来たる12月1日の藤純子(富司純子)の生誕78周年を記念して、藤純子の作品を紹介しています。
(1945年12月1日生まれ)
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1968年に始まる「緋牡丹博徒」シリーズは有名ですが、中でも、加藤泰による3つの作品は、日本映画史上に残る美しさを誇っていると言っていいでしょう。
今日は、加藤泰による傑作である「緋牡丹博徒」第7作目をご紹介します。
この作品では、藤純子の乱れ髪の美しさを堪能できます。
『緋牡丹博徒 お命戴きます』(1971)
監督 加藤泰
共演 鶴田浩二、若山富三郎、待田京介、嵐寛寿郎
撮影 わし尾元也
【あらすじ】
九州熊本の矢野組々長矢野竜子こと緋牡丹お竜は渡世修業の旅の途中、上州伊香保の久保組の賭場で、胴をつとめる親分の実弟・猪之助のイカサマの一件で危機に直面したが、武州熊谷結城組々長・結城菊太郎によって難をまぬがれた。
お竜は父の法要のため一時九州に帰ることになるが、大前田一家の高崎観音建造の勧進賭博の日までに再び来ることを約して結城と別れた。
その頃、熊谷に軍御用の兵器工場ができ、百姓は悩んでいた。
結城は百姓の暴動を未然に防ごうと工場と交渉するが、軍の監督官、畑中の企みにより殺されてしまう・・・
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やくざ映画なんて、みんな一緒だと思う方は少なくないと思います。
ある意味正しい意見だと思います。
映画だけでなく、レコード、ラジオ、テレビ、ポスター、雑誌のデザインや広告、商品パッケージ、CM、景品、ピンナップ写真...
商業的な文化は、全てが算盤ずくで作られ、どぎつい配色や扇情的な内容で、似たようなフレーズで売り出されます。
そこでは、シリアスなクラシック音楽や純文学にあった芸術性が、脱色され、軽薄な形で消費されているかのようです。
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しかしながら、それは20世紀を貫く膨大な文化についての、あまりにも薄っぺらいものの見方です。
そんなに単純に切って捨てられるものではないのです。
全部同じに見えるやくざ映画にあっても、1963年から74年あたりの東映やくざ映画については、高いクオリティが保たれており、なかでも、加藤泰やマキノ雅弘が演出した作品では、日本映画史に残る傑作がいくつも残されているのです。
(なお、他にも、日活の鈴木清順による任侠映画や、大映の三隈研次による眠狂四郎シリーズや座頭市シリーズ等々、1960年代の日本映画には、豊かな作品群があります)
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しかし、それにしても、加藤泰による藤純子の映画の素晴らしさは、突出しているように思います。
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この映画の冒頭、闇討ちに遭って、破れたすげ笠から覗く藤純子の左目の美しさ。
後のシーンで、藤純子が殴り込みを決意する際の、左目のすさまじいアップと呼応しております。
映画とは、血や殺陣などがすべてではないのです。
ここにあるのは、上質で洗練された映像表現なのです。
シネスコの大画面の左端に、寝棺でない棺桶があり、その前の位牌のところにお竜が座る。彼女の位置はほぼ中央で、結城(鶴田浩二)の妹、子分たち、農民たちが、それを取り囲む。
その構図のなか、お竜が結城の妹に手を伸ばし慰めるとき、両人が白っぽい着物なので、女同士の心の通い合いが印象深い。
やがて子分たちが怒声を挙げて闘いに立ち上がり、お竜や結城の妹が押しとどめ騒然となる。
お竜が、大事なのは、そこにいるお百姓衆のことではないかと叱咤し、全員がふたたび腰をおろす。
長回しのなか、さまざまな思いがダイナミックに渦巻くのである。
お竜はそんな心の叫びを担って闘いに向かう。
(山根貞男)
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ラストシーン近くの殴り込みで、藤純子は玉かんざしを抜いて、悪漢を刺すと、
それまで束ねられていた髪がほどけ、長く黒い髪が現れます。
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藤純子が、隠されていた暴力性や復讐心の象徴ともいうべき長い髪を乱しながら、敵の親玉を追い詰めるシーンの美しさ、そして、血にまみれた手で親を亡くした幼子を抱きしめ、嗚咽するシーンの豊かな情感。
藤純子の黒く長い髪の乱れた様子を見るとき、私たちは胸を突かれる思いがします。
しかし、これを見るとタランティーノの『キル・ビル』は、近年の作品の中でも悪くないアクション映画だとしても、
遥かに小粒にかすんでしまうと言わざるを得ません。
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