2月2日のモニカ・ヴィッティの没後2周年を記念し、モニカ・ヴィッティの作品を紹介いたします。
(1931年11月3日生誕-2022年2月2日逝去、90歳)



モニカ・ヴィッティは、1931年にローマに生まれました。
10代の頃からアマチュア劇団に参加し、ローマの演劇学校で学び、1954年に映画デビュー。
1957年 アントニオーニの劇団に参加し、『さすらい』に端役で出演。
以後、アントニオーニ監督作品の常連となりました。
去る2022年2月22日に逝去した際には、
イタリアの文化相は以下のようにコメントを出したようです。【出典

 

さようならモニカ・ヴィッティ、さようならイタリア映画の女王。
きょうは本当に悲しい日だ。
われわれは偉大なるアーティストと偉大なるイタリア人を失った。

 

まずは、出世作となるアントニオーニとの作品であり、アンニュイ=「愛の不毛」三部作の第1作目です。

 

『情事』(1960)
監督 ミケランジェロ・アントニオーニ
共演 ガブリエル・フェルゼッティ
撮影 アルド・スカヴァルダ


【あらすじ】
元大使の一人娘アンナは、仲の冷めかけていた建築家の恋人サンドロと親友のクラウディアを連れ、公爵夫人の招きで、夏の終わりの数日間をシチリアのエオリア諸島に過ごすことになり、ヨットで出かける。
気まぐれに小さな無人島に立ち寄る一同だったが、そこで忽然とアンナが姿を消す。
捜索隊も出動し、残された二人も懸命に行方を捜すが、そのうちやましさを覚えながらも情事に耽り、やがて誰もアンナの件を口に出さなくなる……。

 


ハリウッドの映画産業が斜陽を迎え、フランスでヌーヴェル・ヴァーグが起きたとき、イタリアでは、更なる前衛的な映画が生まれました。

それが、このアントニオーニの『情事』です。
この作品は、カンヌ映画祭の初上映の際に不道徳のみなされ、イタリアでの公開時にもカットを余儀なくされた問題作です。
ストーリーも大きな謎が解決されない不条理的な作品です。

 

戦後廃墟と化した貧しいイタリアを映しとっていた戦後の映画運動ネオレアリズモは、イタリアの復興とともに、その力を失ったために、映画のテーマも貧困ではなく裕福さへの懐疑へ移ってきたとも言えましょう。



当時、モニカ・ヴィッティより3歳若いソフィア・ローレンが、アメリカに進出し、アカデミー賞主演女優賞を獲得しています。
モニカ・ヴィッティは遅咲きながら、この映画で英国アカデミー賞の最優秀外国女優賞にノミネートされ、この後、映画史においてアンニュイを代表する女優となります。
(彼女と並ぶアンニュイの女王の双璧は、ジャンヌ・モローです)

 

ソフィア・ローレンが、瞳が大きな肉感的なエロティシズムで人気を博していったのと対極的なのが、モニカ・ヴィッティです。

切れ長のうつろな瞳、豊かなブロンドヘア、厚い唇、均整のとれた歯が印象的なクールビューティです。
肉感的なところがまるでない体型をしています。

 

ガルボ、バーグマン、グレース・ケリー、バコールに続いて登場したクールビューティが、モニカだったのです。
(その後、ドヌーヴに引き継がれます)








さて、この作品で、彼女が立ち会うのは「愛の不毛」です。
時にはしゃぎ、時に微笑むことはあっても、彼女の瞳は常に虚ろな印象を残します。














シチリア島の強い風に彼女の髪は乱れ、からからに乾いた空気は彼女の瞳に潤いを与えません。

この独特の味わいを堪能いただきたいと思います。











 


この後の『夜』(1961)、『太陽はひとりぼっち』(1962)、『赤い砂漠』(1963)と、モニカ=アントニオーニの作品世界は続きます。
この4作品こそがモニカのベストです。

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