1月23日は、ジャンヌ・モローの生誕96周年でした。
(1928年1月23日生誕 - 2017年7月31日死没)

それを記念してジャンヌ・モローの作品を紹介しています。

『突然炎のごとく』『小間使の日記』を凌ぐ、モローのベストNo.1は『エヴァの匂い』です。

凄まじい傑作であり、個人的にもオールタイムベスト10の1本です。

 

『エヴァの匂い』(1962)
監督 ジョセフ・ロージー
共演 スタンリー・ベイカー、ヴィルナ・リージ
撮影 ジャンニ・ディ・ヴェナンツォ 
音楽 ミシェル・ルグラン
挿入歌 ビリー・ホリディ
衣装 ピエール・カルダン

 

【あらすじ】
元坑夫という経歴の新進作家ティヴィアンは、婚約者フランチェスカのいる身でありながら、ベネチア社交界の花形であるエヴァの虜になり、彼女のために幾人もの男が身を滅ぼしたと知りながら、激しくのめり込んでいく。

 

2019年にパリで、ジャンヌ・モローの本を5冊買い求めたのですが、
そのうち2冊の表紙が、この『エヴァの匂い』の写真を使っていたくらい、モローの代表作と言えばこの作品と言えます。

 

この映画でのジャンヌ・モローは、映画史上最高の悪女と言っていいでしょう。

 

恋愛を拒み、男を憎悪し、いたぶる悪女をモローは演じています。

その徹底ぶりは、ステレオタイプの「悪女」のイメージと無縁です。

また、ディートリッヒのように、「一見悪女だが、本当は情の深い女」みたいなことはありません

高貴なまでの、けだるさ・横柄さ。その醒めきった瞳。

無表情での、冷淡で乾いた笑い。その美しい白い歯。

 

このブログのテーマであるエレガンスとは、また別の世界なのですが、

映画女優の到達した究極の世界として、記憶したいと思います。

 































 

「恋はお断りよ」と彼女はひややかに何度も言い放つのである。

男なんかに惚れられたら、うるさくて厄介で面倒で、たまったもんじゃない、と言わんばかりのにくにくしい目つきと冷酷な口ぶりだ。

その悪女ぶりたるや、男への憎悪と軽蔑を隠そうともしないどころか、あらあらしくむきだしにしてみせるというすさまじさだ。
かつてスクリーンで、これほど女がにくにくいしく描かれたことはないのではないかと思われた。

彼女はけたたましく、しらけた笑いかたをする。

ジャンヌ・モローが声を出して笑うときは、眼も顔もまったく笑っていない。
無表情の笑い。
おそろしい笑いだ。
たしかに、あんな笑い方をする女は彼女以外にはいない。

そして、あの悪意に満ちたまなざし。
黒く、つめたく、にらみつけるような、無表情なまなざし。

横柄な無関心さ。

彼女はけっしてまぶたを自然に閉じたり開いたりしない。

ただじっとつめたくひらきっぱなしのまぶたの奥には、空洞のような(彼女の眼のふちにはいつも濃いくまができているのでいっそう深い空洞のように見える)黒い瞳がひやややかに沈殿しているだけなのだ。

冷淡な、ひとをなぶるような表情。

ジャンヌ・モローならではの仏頂面。
いつも男をいやな顔で見下すのである。
身動きもせず、表情も変えず、ただ瞳がかすかにかげるような目つきをするだけ。

ジャンヌ・モローは裸足で、爪先立って、猫のように、あるいはむしろライオンのように---それもめすライオンではなく、たてがみを立てた獅子のように---さっそうとしてかろやかだが、のっしのっしと歩くのだ。
ジャンヌ・モローの場合は、ウエストラインが極端に低く、ウエストラインそのものが妙にすとんと垂れ下がって、淫靡な感じがした。

男の愛の視線によって輝くことも知らないナルシシズムにすがって生きる孤独な悪女を一人芝居のように演じるジャンヌ・モローの演技をあらたかも動物の生態さながらにとらえた<ドキュメンタリー>のような作品なのである。
(山田宏一)



私たちの心を動かすのは、ジョゼフ・ロージーによる演出の素晴らしさです。

私の最も好きな映画監督はジョゼフ・ロージーであり、ロージーの最高の作品は、この『エヴァの匂い』なのです。

 

冬のヴェネツィアやローマを舞台とした、素晴らしい空間構成と不気味なキャメラワークは、映画にザラザラとした肌触りを与え、私たちの神経を逆なでします。
 

撮影監督のジャンニ・ディ・ヴェナンツォは、『8 1/2』『ブーベの恋人』なども撮影していますが、この作品で最も素晴らしい仕事をしています。

 

しかし、ロージーという偉大な監督の演出による、鈍い感動を伝えるのは、この短い紙幅では到底出来るわけがなく、また別の機会にしたいと思います。
ここでは、ジャンヌ・モローの残酷な美しさについては、お伝えしたいと思います。

 

思うに、『エヴァの匂い』のすさまじさとは、『人形の家』のフォンダとセーリグの役がらをジャンヌ・モローが、そしてデヴィット・ワーナーとトレヴァー・ハワードとエドワード・フォックスの役がらをスタンリー・ベイカーがたった一人で演じながら、矛盾と亀裂と崎型性とを、同時的に生きうる錯乱ぶりを凝固させた点にあったのではないか。

 

ロージー的黙契とは、当事者たちにあらかじめ遂行せよと強要する役割を暴力的な通底装置としての扉によって不意に多元化し、また異化装置としての衣裳によって多元化した顔と心とを一挙に超越せしめ、その拡張=増大の力学に従って有効期間の曖味さを不可避的な破局へと変質させえたときに、真にロージー的な作品への条件たりえたものだったはずではなかったか。

(蓮實重彦)



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