生きることは、学ぶということ。
マルゲは言う。
私はまだ死んでいない、と。


シネマな時間に考察を。

『おじいさんと草原の小学校』
2010年/イギリス/103min
監督:ジャスティン・チャドウィック
出演:ナオミ・ハリス、オリヴァー・リトンド


わが国において小学校は義務教育である。
さて、「義務」の対義語は言わずもがな「権利」だ。そこで一考。本来、教育制度とはどうあるべきだったのだろう。そもそも義務として押し付けられるものなどではなく、それを受ける権利を誰もが持ち得るもの、言い換えれば、教育を受けたければ誰でも受けられるものであるという認識が前提であるはずなのだ。


シネマな時間に考察を。 中東やアフリカなどを描く映画には、学びたいのに学べない子供達の姿に度々出会う。教育の機会がないことが反政府ゲリラへ身を投じる一因となっている国さえある。1冊のノートと1本の鉛筆が他の何より大切だと瞳を輝かせる子供達に私達は出会う。教育を受けることは義務ではなく権利なのだということを、我々にはたと思い知らせてくれるのだ。この作品も然りであった。


しかしこれまでと大きく違う点は、学びたいのに学べない人物が子供ではなく84歳の老人だというところ。貧困或いは戦時下・占領下の混乱などにより教育を受ける機会のなかった親・祖父母世代がいて、一部の子供世代が今辛うじての教育を受けているという図が常套であったのに対し、この映画で描かれるのは、独立から39年後、ケニア新政府が小学校の無償化を発表したことを受け、4キロの道のりを杖をついて歩き小学校の門を叩く孤高の闘士,84歳キマニ・マルゲの実話である。


ひ孫にも等しい幼い子供たちと机を並べて、真剣に授業を受ける老いたマルゲのその瞳には、溢れんばかりの学べる喜びがきらきらとしていた。


学ぶことの喜び、それは生きることの喜びであり、
学ぶことの尊さ、それは生きることの尊さである。
今が生きているならば、学ぶのに遅すぎることなんてない。


次の世代のために自らを犠牲にすることを厭わなかった先人たちの雄姿。
過去の悲劇を背負う血走った瞳から放たれるのは屈強なパワー。
信念を貫く、強く諦めない精神。


教育者ジェーンの存在もまた賞賛に値する。
老人の真摯さに触れた教師の、同胞人としての寛容と慈しみ。
教育者としての真っ直ぐな理念と、生徒全員の母であるという大きな母性。


学ぶ姿ならばマルゲから、学ばせる姿ならジェーンから。
教育の理想的な構図がここに在る。


アフリカ大陸の地図を見るにつけ、遣る瀬なく込み上げる悲しみがある。アフリカの国々の国境線がいかにも不自然な直線でもって断ち切られているその視覚は、かつての西欧諸国によるアフリカへの分断統治の歴史を如実に刻みつけた証を見せ付けるから。


目の前で虐殺された妻子の光景、収容所で白人から受けた数々の拷問のこと。フラッシュバックで蘇る過去の悲劇が回想シーンとして繰り返し挿入される。「センセーショナルな映像にするつもりはなかった」とのちに監督が語っている通り、確かに場面はむごいが淡々とした印象さえある。しかしここにこそ、この作品の公正な視線を見る思いがした。


当時、マウマウ団はゲリラ的な象徴であり野蛮な過激派集団と目されていたという。けれど今は祖国のために闘った勇敢な戦士として認識を改めている。それは即ち英国が過ちを認め、ケニアも国を以って彼らの名誉を挽回させたからに他ならない。


英国の植民地支配に対し土地を守る為に闘ったキクユ族としての誇り。その自尊心が彼の老いて尚の決して屈しない精神を培ったに相違ない。


つま先を切られた不自由な足でさえ、杖を頼りに前へ前へと歩くことを止めなかったマルゲ。その姿は現在の世界が抱える様々なつまづきに、どこかしら湧き上がる勇気を与えてくれる。


シネマな時間に考察を。 幾度も幾度も涙を誘われながら、時に歴史の悲劇にはっとして、そしてまた心ぬくもる涙に濡れて、心がしんしんと洗われてゆく。悲しい歴史を背景に据えながらも、牧歌的なイメージの邦題も功奏してか、観る者のハードルは決して上げずに、人と人との心の作用に温かい感動を運んでくれる善き映画だった。ケニア史における悲劇の当事者であるイギリスが制作したというのも実に感慨深い。


過去から学べ。未来を変えろ。
単身、教育省へ乗り込んだマルゲは主張する。
彼はまさに体現した。過去に打ち勝ち未来を切り開いたのだ。


英国を支持した者たちの、生き残りたかったからだという思いは責められやしない。選択肢はなかったのだ。けれどマルゲたちは違った。闘うという選択肢をとった。囚われてもなお翻らない精神を。けれどどちらも願いは1つ。自由であるために。


小学校の校庭。真ん中に聳え立つケニア国旗が風に揺れている。
黒いラインは国民を表し、赤いラインは独立で流された血を、緑のラインは豊かな大地を表す。白い2本の線は国民の団結と平和を、そして中央に描かれる盾と槍は自由と独立を象徴する。自由と独立の果て、大地に染みた尊い血の上に団結と平和を重んじた国民がある。それがケニア共和国。


老人と子供という図もまたひとつのメッセージである。
長く生きてきた者の持つ叡智、或いは重ねてきた失敗や挫折。
これからを担う子供世代へ引き継ぐもの。
残された人生があと少しの老人と、生きてきた人生がまだ少しの子供達。
そんな彼らの間に纏う、人生のきらめきが眩しくて。


もっと勉強して獣医になるんだとマルゲが言う。
ジェーンはいたずらな笑顔で応戦する。100歳までかかるわよと。
彼は答える。土に埋められるまで勉強するさと。


素敵なエンディングに清々しい涙を払う。しかし幕はまだ閉じなかった。要所要所で軽快な語り部の役割を担っていたラジオのDJが、マルゲの今を興奮気味に伝えてくれる。おかげでこちらは最後の涙をまた、はらり。


90歳。胃がんで死去したキマニ・マルゲは最後まで学ぶ意欲を失わなかった。病室に教師を呼んで欲しいと頼み、息を引き取る直前まで獣医の夢は捨てなかったという。


映画公開前に亡くなってしまわれたことが残念でならないが、
この映画によって私達は彼の人生と信念に出会えたことを忘れない。



『おじいさんと草原の小学校』:2012年1月31日 元町映画館にて鑑賞




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この映画を見届けて、ふいに『無言歌』の彼らを思い出していた。
彼らの名誉はいまだマルゲのようには回復されていないんだな、と。