こんなに暴力的なのに、こんなにも優しい。
こんなに傷だらけなのに、こんなにも愛しい。
彼らのその魂が、美しい。


シネマな時間に考察を。

『息もできない』 Breathless
2008年/韓国/130min
監督・製作・脚本・編集・主演:ヤン・イクチュン 

吐き出している。剥き出している。曝け出している。
ヤン・イクチュンの想いの全てがこの映画にぶちまけられている。

容赦ない暴力と際限なき悪態、罵声。

スクリーンから溢れる凄まじいエネルギーは魂の叫び。

しがらみへの慟哭とやるせなさへの自虐。揺れるカメラに伴う抉るようなキレ。秀逸な脚本と無駄のない場面展開が見事。何よりバイオレンスにセクシャルを混入させなかったことが作品を一級品にした。

ヤクザと少女。最低の出会いだった。
しかしそれは傷ついた魂が引き寄せあう“奇跡の邂逅”となった。

「教えてくれよ、どう生きりゃいい?」 
劣悪な家庭環境に身を置きながらも勝気に振舞う女子高生ヨニ。ヤクザなサンフンに怖じけることなく対等に張り合うヨニの存在は、いつしかサンフンの心の拠り所となる。不器用に生きることしかできない己をさらけ出せる安らぎを感じて。彼がヨニの取り繕う嘘を見抜いていたかどうかは解らない。考えるより先に手が出る彼には知る由もないだろう。魂が自然に惹かれあう。ソウルメイトのように。漢江の川べりのシーンは素晴らしすぎる。初めて見せた互いの涙に、純愛を凌ぐ愛を見た。


シネマな時間に考察を。 サンフンの父親への憎悪は、言うなれば彼の生きるエネルギーでもあった。憎しみと怒りを言い訳にしてひたすら毎日を暴力的に生きた。そんな彼が見せたもうひとつの優しさ、それは腹違いの姉の子に注ぐ愛情だった。確かにそれは彼の勝手な押し付けだったかもしれない。暴力と悪とに塗れた自分をどこかで浄化できる対象が欲しかっただけなのかも。けれど彼は知る。足元にしがみつき「行かないで」と泣く甥の心に触れ、この押し付けがただの偽善ではなかったと。

償いたかった。

穏やかな家族の形を自分は何より欲している。

そのために何とか自分を許したい。

そして父親をも、本当は許したいのだと彼は知る。

マンシクの開店を祝うために集った彼らが見せる、その満面の笑みに偽りはないだろう。そこにサンフンの姿はないが、彼らの心に生きている。暴力から脱殻した穏やかなサンフンの魂が、

安らかに息づいているのを感じる。

彼の描く理想のため暴力を脱ぎ捨てようと決心したサンフンに降りかかる致命的な悲劇。その悲劇を乗り越えた筈のこの幸せそうなワンシーンを挟み、またしても次なる悲劇を目の当りにさらして映画は幕を閉じる。

暴力の連鎖。終わらない悲しみ。
そのエンディングにはともすれば
非暴力への願いすら

込められていたのかもしれない。


終始暴力描写で彩られた本作は、

彼らの魂の繊細さゆえにとても優しい映画だったと、

そう感じずにはいられない。


2010年7月29日 神戸アートビレッジセンターにて鑑賞