~ほんものの正義が宿る場所を探して~
ヴェンダースが捧げる<アメリカの今>への願い。


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『ランド・オブ・プレンティ』
Land Of Plenty
2004年/ドイツ・アメリカ/124min
監督:ヴィム・ヴェンダース
出演:ミシェル・ウイリアムズ、ジョン・ディール


シネマな時間に考察を。-land1.jpg 誇り高き国アメリカに生き残るベトナム戦争の帰還兵ポー。彼は何より自分の愛国心を信じている。母国をテロから守ろうと、ロスの街中をひとりパトロールし続ける日々。その任務は正義のためであり、自分はアメリカにとって必要な人間であると、妄想的に思い込んでいる。

ではなぜ彼は苦しむのか。ベトナム戦争の後遺症とトラウマを抱え、夜ごと悪夢にうなされて。勝手な正義感を体中に巻きつけ武装し、的外れな民家へ押し入った彼に放たれた言葉は、「変な格好ね。」
格好悪い正義感、格好悪いプライド、格好悪い思い上がりの国。

ポーはやがて気づいていく。

本物の正義と本物の勇敢な心を持つ弱冠20歳の少女ラナによって気づかされる。第三世界で暮らし、信念を持って世界を冷静に正しく知るラナによって自分は間違っていたのだと。そしてポーは呟く。俺が今までしてきた事は何だったのか。俺は一体何を追っていたんだと。グラウンド・ゼロを見下ろしながら、思ったほど迫ってくるものはないなと言うポーにラナは言う。「沈黙を。そして声を聴くのよ」


アメリカン・ドリームの正体
そんなものは存在しないとヴェンダースは言う。それは単なる神話だと。その昔アメリカに渡ろうとしたヨーロッパ人達の創造の産物に過ぎないと。しかしそれは20世紀になっても廃れずに残った。<アメリカ映画>の中に描かれて。でもその実際は、アメリカという国のただのコマーシャルだった。陳腐な宣伝文句。そして21世紀の今、誰もそれを信じていない。

『都会のアリス』でも描かれたアメリカという国へのシニカルが本作ではよりストレートに描かれている。世界の中心だと思い込んでいるが実は世界から取り残された国であることに気づいていないアメリカへ、友人としての忠告をヴェンダースは惜しみなく作品に注いでいるように感じる。
彼はただアメリカに気づいて欲しいと願っている。だからこそ自国ドイツを出て今なおアメリカで映画を撮り続けている。行く末を案じていると彼は言う。私もアメリカの行く末を心から案じてやまない。


低予算映画だからできること
シネマな時間に考察を。-land2.jpg 低予算であるということイコール、自由な表現ができること。高予算であればあるほどその価格に見合ったものを提供しなければならないために表現に制限がつけられてしまう。だからハリウッド映画は恐ろしくつまらないのだということに改めて気づいた。低予算であれば表現はほぼ無限。だから非ハリウッド映画には、なみなみとしたメッセージが溢れているのだろう


The land of plenty
挿入歌の一節。「豊かな国の光が真実を照らしますように」。この一節こそがヴェンダースのメッセージでありこの映画の願いである。物語の終盤に通りかかる町の名前。“The truth or consequence”真実もしくは結果。9.11は平和を築くきっかけになるはずだったのにそうはならなかった。その結果は戦争のきっかけをもたらしただけ。


映画監督だからこそできることがある。

<アメリカ映画の中のアメリカ>ではない、

真の姿やメッセージをもって<アメリカの今>を描くこと。

マイケル・ムーアでも描けないそれが

ヴィム・ヴェンダースにならばできる。それが真実。


『ランド・オブ・プレンティ』:2010年2月15日 DVDにて鑑賞