11'09''01/セプテンバー11  (後半)



シネマな時間に考察を。-sep-pen1.gif 第10話
ショーン・ペン監督(アメリカ)
代表作:『インディアン・ランナー』 『プレッジ』


これはもう、感嘆のため息をつかずにはいられないような、美しくも悲しい<一篇の詩>である。当事者であるアメリカの代表としてショーン・ペン監督を選んだことからして、この「セプテンバー11」という企画の方向性を知る思いである。

シネマな時間に考察を。-sep-101.gif 暗い部屋。枯れ果てた鉢植えの花のアップ。蛇口から零れ落ちる水滴。目覚まし時計、剃刀の刃、冷風機。これらのアイテムがほぼ順列に繰り返し映し出され、唯一の登場人物である初老の男の淡々と過ぎ行く毎日を見守るようにそれらはそこにある。彼は花や剃刀や時計に語り掛け、時に大声で笑い、まるで幸せな日々を送っているかのような表情だ。

「この部屋は暗すぎる。暗いと目覚めが悪い」とこぼしながら、クローゼットのマメ電球をつけて「光があった」とまたしても幸せそうな顔をする。クローゼットの中からサマードレスを選んでベッドの上に広げ「とてもかわいいよ」と笑顔を向ける。買い物に出かけ、掃除機をかけ、食事を取り、アルバム写真を眺め、大笑いし、夜ベッドに入り、誰もいない左横にgood night darlingと声をかける。

冷風機、蛇口の水滴、時計は9:16を指している。いつもは8時に起きている彼は、今朝はまだ暗いベッドで眠ったまま。
目覚まし時計は鳴らない。哀愁のギターの音色が聴こえてくると、TV画面にはワールド・トレード・センターが黒煙をあげる様子が映し出される。やがて窓からまばゆい光のカーテンがベッドの上に舞い降りる。男の寝顔に光が纏う。

その光に目を覚ました彼はふと、窓辺の枯れた花がみるみる鮮やかに色をつけて蘇っていくのを見つける。

「光だ!ごらんよ、おまえの花が咲いたよmy darling、見てごらん」とベッドの上に鉢を置いて喜ぶ彼は、ふと笑うのをやめ、何かとてつもなく重大なことを思い出したかのように、その顔は突如として哀しみの滲む落胆の表情に変わる。
なんてことだmy darling、おまえにも見せてやりたかった」

素晴らしい。実に卓越な映像であり、極端な接近撮影とスローモーションによるその映像美、そして人の心の表側と奥に照明をあてた描写にハッとさせられた。



男は大事な家族を失い、たった1人きりで生活している。その事実を受け入れられず、意識的に彼は毎日幼い娘の洋服を選んでやり、暗い部屋の中でさも楽しそうに振舞う。部屋の暗さを隠れみのにして、彼は哀しみという名の現実から逃げていたのだ。彼にとってはクローゼットの中のマメ電球くらいの明かりでよかった。現実を目の当たりにすることを恐れていたから。そんな暗い部屋に光がまとったとき、彼は思い知る。

これが現実だったと。


愛する者はもうこの世にはいない。なんてことだ。光の中で彼は落胆する。なんてことだこの哀しみは。 暗闇と光。嘆かわしい現実の傍らにあるもの。ラストの壁に映し出された黒い影を私は忘れることがないだろう。とても深く心に突き刺さる映像だった。これまでの彼の表情があまりにも幸せそうだったから、切なさが輪をかけて迫ってくる気がした。


シンプルだがとても多くの言葉を語っている作品だと思う。ショーン・ペン監督のこの視点は素晴らしい。実に素晴らしい。


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シネマな時間に考察を。-sep-im.gif 第11話
今村昌平監督(日本)
代表作:『うなぎ』 『黒い雨』

『うなぎ』でカンヌの最高賞をキアロスタミと分け合った今村監督が「セプテンバー11」に選んだモチーフは「へび」だった。監督はテロ事件については直接触れず、むしろ全く時代の違う戦争を持ってきて、戦地から生き長らえて戻ってきたある男の姿を可笑しくも哀しく描きながら、聖戦の是非を問いている。

シネマな時間に考察を。-sep-j.gif 勇吉は終戦間際に戦地から復員して田舎へと戻ったが、何故か檻に閉じ込められている。腹ばいになって這い回る勇吉は言葉を喋らず、蛇のように時折舌をシュッシュと出しては人間を威嚇してみせる。戦地でよほど辛い思いをしたのだろうと同情していた家族も、ついに勇吉をほうきで追い出してしまうのだった。かくして蛇人間の勇吉は相変わらず蛇のように這い回りながら川岸へとやってくる。そして川の中へと潜って消えていった。画面には“聖戦なんてありゃしない”との文字がスローガンのように打ち出されて、ジ・エンド。



昔の日本の戦争を引き合いに出して、聖戦なんてものは無いんだ(=戦争反対)というメッセージはラストになって一目瞭然だが、蛇人間になることを決意した勇吉の心がどうも伝わってこない。現場にいながら聖戦なんてクソくらえだという人間らしい判断をした勇吉は、その名の通りある意味の勇者かもしれない。家族の冷ややかな視線も戦争の愚かしさを蔑んでいるようにさえ見える。

でも何だろう、何かが物足りない気がする。
何だろう、何故だろう、わからない。


この不可解な気持ちもまた真実ということなのだろう。「セプテンバー11」は世界何十億という人の中から選ばれた、たった11カ国11人の監督による、11の視点に過ぎない。
ものごとの見方はひとつではないのだから。



最後にもう一度、今は亡き筑紫哲也さんの言葉を。

それぞれの真実を求めて。
真実はひとつではない。正義もまた、ひとつではない。



「セプテバー11」
2002年9月11日 TBS系列「NEWS23」特番内にて鑑賞