№28

日付:2017/10/14

タイトル:三度目の殺人

監督・脚本:是枝裕和

劇場名:TOHOシネマズ小田原 SCREEN5

パンフレット:あり(\720)

評価:★★★★

 

世の中には人を殺しても罪に問われない2つの行為があって、ひとつは戦争。そしてもうひとつが死刑判決。本作は後者をモチーフに娯楽映画として成立させながら、様々なテーゼを詰め込むことにも成功している。

 

映画の冒頭、何の工夫も感じられないような演出で事件が始まる。

役所広司演じる三隅のこの行動だけが唯一の事実であり真実なのだが、罪の重さはここから二転三転し、それどころか先の真実すら揺らぎ始めるという恐ろしい仕掛けが施されていた。新たな事実が掘り起こされる度に少しずつ真実に近づいていると感じていた観客の心情を翻弄するかのような展開に呻らされる。

 

インタビュー記事によると、是枝監督のスタンスは演出家ではなく立会人なのだそうだ。観終わってこの記事を読むと、監督が自ら用意した舞台に傍観者として参画するなどという手法が成立し得る事を改めて追認させられる。原案・脚本・監督・編集と作品の要諦を支配した上でこそ可能な立ち位置。

 

人が人の命を絶つという行為への様々な疑念。殺人という罪と、死刑という判決の双方を相手に、"裁く"という行為の在り方を問いかけてくる。死刑制度はルールとして容認できる一線を越えてしまっていると考える私のような者にとっても、是枝監督の問いは素直に耳を傾けたくなる内容だった。

 

ただ、空っぽの器とは何なのか。

三隅と重盛。父親を介して間接的な接点はあるものの、何の共通項も見いだせないこの二人をシンクロさせる心象風景と演出の意図は良く判らなかったし、判りたくもなかった。

 

福山雅治は「そして父になる」同様、社会的地位は高いが家庭を蔑ろにするステレオタイプな父親役

 

 

 

事件の関係者に重たい十字架を背負わせる一方、裁判官、検事、弁護士という裁く側の者達はいずれも事なかれ主義な役回りに終始

 

パンフレット

チラシ