母の悲しい選択 | ビバ★ネブラスカ生活

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アメリカ中西部に生息する普通の主婦の普通のレポート?!



風邪やアレルギー症状に悩まされて 二週間が過ぎた


今日は 少し 調子が良かったので


日中 気になっていた 部屋の片付けを少し


それでも 夜八時には 疲れてしまって


風邪用のシロップを飲んで寝たが


さすがに 毎日飲んでいると 効きが悪いらしい


三時間で 目が覚めてしまった



シロップの睡眠薬が効いているうちに


また 寝付きたかったけど どうも 駄目らしい



それで 前から書こうと思っていた 


少し 重い話題を書くことにする



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ここ中西部を車で走っていると


よく こんな看板がある



『 中絶は 犯罪 』 

『 中絶は ●人 』 



私は このような看板を見るたびに


いろいろな事を思い出して


運転しながら いつも 涙してしまう



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母が亡くなる一ヶ月くらい前のこと


ちょうど 母を連れて お蕎麦屋さんへ行く途中だった


母が 突然 号泣しながら 私に言った



『 私は 悪い人間です 悪い母親です 』



それは 母がまるで私に 懺悔しているかのようだった



私は 突然の事にびっくりして


『 なんで そんな事を言うの?? 』 と聞いた



母には 二人の水子がいた


そして 私は最初 流産したと聞かされ


その後 ずいぶん 大人になってから


実は 母自身の体調の為 ドクターストップがかかって


中絶した と聞かされていたのだ



でも それは 事実ではなかった



母は 父にも言わずに 


自分だけで 悲しい選択をしたと言うのだ



私と母は とても深い信頼関係で 結ばれているから


母が なぜ こんな選択をするしかなかったのか


私には すぐ 理解できた



『 それはね・・・仕方がないんだよ

   その時は (子供)二人しか責任持てないって

            そう思ったんでしょ??

おとうちゃんが ぜんぜん 子育てに協力しないで

      子供を可愛がらない人だから

    自分だけでは 二人が限界だと思ったんでしょ 


   それはね・・・仕方がないんだよ 

       水子たちもね その事はちゃんと解ってるからね 』



私は 母にそう話した



母は それでも 子供のように 泣きながら


『 後から思ったら きっと 産んであげたら

   なんとかなったと思ったんだけど


      あの時はね・・・そう思えなかった・・


     ゴメンね ゴメンね

         兄弟がもっといたら

  

   今 あなたにばかり こんな負担を

     かけなくて 済んだのに


        ゴメンね ゴメンね・・・・・・・  』  




その頃 私は 42歳独身で


二ヶ月前から現れた 母の痴呆症の介護の為


仕事を辞める事が決まっていた



そして 弟は いろいろと問題があって


その頃 両親とは 疎遠だったのだ




だから 母は 私が 独身である事


子供を持たなかった事 


結婚を積極的に選択しなかった事


そんな事を不憫に感じていたのでしょう



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この事があって ほぼ 二ヵ月後


そう・・・・・


母が亡くなって 一ヶ月あまりたったある日


私は 天国にいる母から


メッセージを貰った



『 こっちに来てねぇ~

   二人の子供達に 逢えたんだからぁ~


      私 こっちに来て 良かったよ! 』 



と言うものだった




私は 最初 このメッセージを受けた時



?????? まだ 私も弟も生きてるのに・・・・・



一瞬 そんな事を思った後


次の瞬間に 大粒の涙が 溢れてきた



『 あぁぁ~ 悲しい選択をして

    産んであげられなかった

      二人の子供に 逢えたんだなぁ~ 』



そのメッセージから


母の嬉しい気持ちが感じられた


そして 母の安堵の気持ちが感じられた


私は もちろん 複雑な気持ちではあったけど


それでも 母が喜んでいると感じて


なんだか 水子である


二人の兄弟に 無事に母を渡す事ができて


良かった・・・と思った



そして その頃


母の介護をする為に仕事を辞めて


でも 母は 私が退職前に 他界して


ただ 自分のアパートで


いろいろな事を思いながら


毎日 泣いていた時期



母からの このメッセージで


少なくとも 母は この世の自分の使命や


役割を全うして 未練なく


旅立っていったんだ・・・と はっきり 解る事ができた



そして その後 


私は 留学を決心し 



そして 今 私は ここにいる



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ここ数日の間に


ビリー側の親族の中で


少し 変化があった



ビリーのすぐ上の姉・シェリーの次女・アンディ


ビリーが一番可愛がっていた 姪っ子


彼女が 独身で妊娠し


そして その事で ここネブラスカから


フロリダに 引越ししてしまったのだ


ただ ネブラスカには 居られないという理由で・・・



あまりにも 突然 黙って 行ってしまったアンディ



アンディの母・シェリーはもちろん


義理の母 つまり アンディの祖母・ペギーさん


かなり 落ち込んでいるとの事・・・



私は 具合が悪かったので


まだ 義理の母とは 顔を合わせていないけど


調子が戻ったら


義理の母を訪ねてみようと思う



大した事は 出来ないけど・・・・・




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『 中絶は ●人 』 



こんな看板を見る度に 私は 心の中で


母に 語りかける



『 そんな事はないよ

    私は そうは思わない


    仕方が無かったんだから・・・・・・ね

  本当は 産んであげたかったんだから・・・・


        私は ●人なんて 思わないよ  』




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私は 中絶には 反対です


それは 昔から 変わりません


でも それは 望まないなら 


妊娠しないようにすべきだ という意味で


アンディは たぶん シングルのまま子供を産むだろうし


私の母は 自分の悲しい選択を


ずーっと 背負って 生きた



子供を身ごもる事を経験できなかった私にとっては


たとえ 流産しても 身ごもるという経験をしたかった


と 真剣に思うことがある


流産してでも・・・なんて 不謹慎だと思われても 


女として体験してみたかった・・・・



アメリカ 特に ここ中西部は


宗教的に 堕胎を好まない



だから ローカル新聞にも


『 望まない妊娠をしたのなら

    産んで 里子に出してください 』 



そんな広告まで 載っている



生き方は 人それぞれ


母は 悲しい選択をした後


ずーっと その事を自分の胸だけに締まって


私に告白するまで 一人で 背負ってきた



今 天国で 二人の子供達と


きっと 楽しく暮らしているのだろう・・・と思うと


私は とても 嬉しい



きっと 母はもう 悲しい選択をした事で


自分を責める事は 無いと思うから・・・




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私が養子を迎えたい と思うのは


こんな 子供へのいろいろな思いがあるからで


歯の矯正まで してあげられないかも知れないけど


それでも 安全な環境や 温かい家庭や愛情は


分かち合えると 思っている