4年前の今頃・・・ | ビバ★ネブラスカ生活

ビバ★ネブラスカ生活

アメリカ中西部に生息する普通の主婦の普通のレポート?!



一年前の今頃 もう ここネブラスカに移り住んでいました


でも ちょうど グリーンカードが取れて


私のふるさとである 北海道・函館に帰省中


たくさんの友人達から 結婚祝いを貰い


そして 実家と従兄弟の家に預かっていた


私の荷物を アメリカに送ったり 寄付したりと


多忙な日々でした



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二年前の今日 6月16日 


この家に移って 3日目


まだまだ 不便な生活でしたが


私は 初めてのマイホームにわくわくしてて


そして 私達は まだ 婚約中でしたが


結婚が いよいよ現実になりつつありました



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三年前の今頃


私は カリフォルニア・アーバインで


語学学生として 英語の勉強をしていました



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そして 四年前のちょうど今頃


私にとって 忘れられない出来事がありました



その年の3月の半ばに 突然はじまった母の認知症


悩んだ挙句 私は母の介護の為


仕事を7月いっぱいで 辞める事が決まっていました



ある日


3月の半ば頃から 突然 オシメが必要になった母が


食事中に泣き出しました



『 私 死にたい・・・


   こんな体になって 生きているのが辛い・・・ 』



私は突然の事で 驚きました



『 そんな事を言わないで


     私は 精一杯 やってるんだよ


        7月いっぱいで 仕事を辞めたら


   もっと 一緒に居られるからね


      だから そんな事を言わないで 』  と



私も 泣きながら 言いましたが


母は 泣き止みませんでした



『 こんな体で 生きていたくない・・・ 』 



『 嫌だ! おかあちゃんが 逝ってしまったら


   私は どうやって 生きていったらいいの・・・


    おとうちゃんと2人で生きるのは 嫌だ! 


               私を残して 逝かないで! 』 



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今思うと 二階に居る父には 悪かったですが


これが あの時の 正直な気持ちだったんです



すると 母は 突然 泣き止んで 私にこう言いました



『 じゃあ 一緒に死のう 』



私は 一瞬 びっくりしましたが 少し静かに 



『 それは出来ないよ


   だってね 人間は 最期まで 精一杯生きないと 』 



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母は 私の言葉を聞いて 少し 安心したようでした



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私は 今でも この時の母の言葉



『 一緒に死のう 』 



これは 母の本心だったと思っています


それだけ 母は 苦しかったんだと思うんです


結婚もせず 40歳を過ぎて 母と共に居る私を


母は 少し不憫だと 思っていたようですから・・




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もう ずいぶん前に


ある知り合いが 私にこんな事を言いました



『 痴呆の方って 自分で 自分が痴呆だって


     解ってるんだって・・・


           これって 悲しいよねぇ~ 』



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オシメが必要になってから


母は やはり 時々 不思議な事を言ったりしました


そして 母は 私に何度か言いました



『 自分でも 可笑しい事を言ってるって


        解ってるんだけど


    自分の中で 何かが変なんだよねぇ 』 と





私の元・知り合いで こんな事を言う人が居ました


『 人間 ボケるが勝ちだよね 』 


つまり 先にボケた方が 


何も解らなくなっていい と言う意味なんですけどね



私は そうは思いません



この頃の母は


自分が自分で無くなって行く事に


不安と悲しみがあったように思うからです



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母の死後


しばらくして 私は母の部屋を泣きながら 片付けていました


そして 何枚もの メモを見つけましたが


その数枚に 『 早く死にたい・・・ 』 と


書かれてありました



母は 自分の母


つまり 祖母の死後 一ヶ月後から


リューマチの酷い症状があり


肉体的にも 辛い時期がありましたが


母が 『 死にたい 』 と思ったのは


リューマチの痛みや 自由にならない体のせいではなく


私は 認知症 という


自分が自分で無くなる 深い悲しみと絶望感からだった


そう思っています



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認知症であるという事が


どんなに 悲しい事なのか


今の私には 解りません



でも あの頃の母が


そんな不安や悲しみを押し殺して


私に精一杯 笑顔を見せていてくれた事


精一杯 明るく振舞ってくれた事



その事を今でも 


『 おかあさんは 本当に 素敵だったなぁ~ 』 と


時々 思い出しては 少し涙しています



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この日から 約二週間後に


愛猫・ゴンタが 天国へ逝った時


母は 『 ゴンチャン 天国へ行くまで 待っててね 』


そう言って 号泣していました



そして その10日後


母は 急性肺炎の為 旅立ちました



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私が 今 こうして


新しい家族に出会えて


幸せに暮らしているのは


今でも 母が 私を応援してくれているからです



新緑のこの季節に 


こんな母の事を思い出し


少しだけ涙 


そして 天国からの母の愛に感謝