何があっても日は昇ります。あれから26年。1月17日から
朝の出勤が超早な私は5時47分頃、
官舎のキッチンのテーブルで朝食を食べていました。
忘れもしない1995年1月17日。早朝
いきなりテーブルが左右に大きく揺れて~
そして あっ、地震だ!
直ぐにテーブルの下にもぐったことを覚えています。
そして揺れはそう長くは続かず
私はいつものように6時25分に家を出ました。
その頃、私は新婚さんでした。
夫婦で警察署にお勤めしていたので
一戸建ての官舎での新婚生活。
地震の朝は主人は当直明けなので居ませんでした。
一人で怖かったことを想い出します。
警察署に着いて朝の街頭指導から庁舎に帰ると
庁内のテレビが全部ついていました。
その時、阪神地方で大変な災害が起きたことを知るのです。
午前も午後もずっとテレビはついたままでした。
その頃、テレビしか情報を受け取ることが出来なかったからです。
火災・がれき・・・・
改めて被災を受けた方々にお見舞い申し上げるとともに
お亡くなりになられた方のご冥福をお祈りいたします。
。
。
。
あれから 26年。
昨日、あるYouTubeで以下のことを知りました。
① 1995年の阪神淡路大震災の時にカセットコンロが活躍したそうですが
製造会社によって規格が違ったため
あの地震のあとから、全てのカセットコンロは規格を同一にして
ガスがどのコンロにもスポッと嵌るように製造されるようになったこと。
② 1995年の阪神淡路大震災から水道の蛇口レバーは上に挙げると出るように変更となった
それは震災の時に蛇口レバーは下に下げると出る様式になっていたため
がれきや上から落ちてきたものでレバーが下がり水が止まらなくなり大変だったことから
レバーは上に挙げないと水が出ないようにしたそうなんです。
災害から学ぶことは多いと思いますが
私達が今、これは便利だなと想うことが災害の教訓として出来ていることにも驚きました。
26年。一口に26年といっても、
忘れられない1月17日です。