私がブログで最も記事にしているのは承認欲求です。
読んでいておわかりいただけるかと思いますが、私は承認欲求の塊の人が大嫌いです。承認欲求の塊の人というのは、
私を認めて!認めて!です。
言い換えるなら、
私を最優先にして!
でもあるのですよ。
冗談じゃありませんよ。
私にも生活があるし、優先順位があります。じっくり考えて取り組まないとできないことだってあります。私は、スピードより質を重視するのです。睡眠だって取らないといけませんし、睡眠時間まで削られてはやることに支障が出てしまいます。
だけど、承認欲求の塊の人は、あなたの生活なんかどうでもいいから私の面倒を最優先に見てちょうだい!です。究極の自己中なんです。
相手のこと全く尊重できてませんね。だから他者受容できていないし、足るを知るもできない。嫌われて当然ですね。
LINE返信が来ない、既読にもならない、トイレや風呂に入っている時間があるんだから返事くらいさっさと済ませろよ!と交際相手に不満の女性は多いですが、こじらせているのは本人の暴れ狂った承認欲求です。相手に不満をぶつける前にご自身の承認欲求をどうにかしましょうよ。
承認欲求があるからこそ相手を疲れさせ、相手は距離を置こうとするんです。どんなに顕在意識で覆い隠しても本心はバレバレ。
「仕事と私どっちが大事なの!」を言ってはいけないのをいくら顕在意識でわかっていていて言わないようにしていても、結局本音が「仕事と私どっちが大事なの!」だったら、それが無意識下で相手に伝わっています。
このような人に寄って来るのは依存症ビジネスで金儲けしようとする奴らと、ヤリ目の男性とか打算的なことしか考えてない人です。
恋愛や人間関係の悩みに対するアドバイスは実は10秒で終わってしまいます。
今すぐ承認欲求を捨ててください。
以上。
本当にこれだけなのです。それ以上の薬はない。
本日、ちょっとした事件がありまして、わかりやすい例なので記事にしたいと思います。
私の作業中、横槍が入り中断させられることになりました。
まぁ、もしかしたらこれも悪神のシナリオなのかもしれませんが、私が最も嫌なことは、せっかく作業に集中できているのに突然強引に中断させられることなのです。何度もやられました。
あまりに頭に来るときはその怒りを感情解放させることもあったりします。
何があったかと言うと、父が町内会の名簿を作ってほしいという依頼でした。
てっきり、父の仕事だと思って、できるだけ父の力でやってもらうように口頭で説明しました。Wordで作ったらレイアウトが崩れてどうしたらいいかだったので、文書そのものをExcelにコピペをして幅とか微調整すれば直ぐにできるよと言いました。
すると、そんなこと言わないで見てくれよ。頼まれて引き受けた仕事なんだから…と。
頼まれて引き受けた仕事???
不審に思って事情を訊くと、父はこんなことを言いはじめました。
「本当は俺の仕事じゃないんだけどな、担当になった人がばあさんでな、そのばあさんPCできないから作れないんだよ。だから俺に泣きついてきてな、だから俺が引き受けたんだ。」
「その人、他にできることはないの?PCできないなら手書きでもいいんじゃないの?」
と私が言うと、
「あいにく、その人は旅行に出かける予定があって何もできないんだ。そんな手書きでやれだなんだ冷たいこと言わないで、やってやってくれよ。」
おばあさんが旅行に行っているという事実を知って頭に来ました。
依頼している本人が旅行に行くとか何様のつもりなんでしょう???
「私できないから~私できないから~、助けて!」「私旅行に行くから~旅行に行くから~、助けて!」
おばあさん → 父 → 私
と依存リレーになっているのがわかるでしょうか?
何故父が面倒な野暮用を引き受けたのか。
おばあさんに情を入れたのです。
何故、情を入れたのか。父も承認欲求の塊です。おばあさんに認められたい、すごい!流石!と称賛されたい気持ちがあったから引き受けたのです。
ホントくだらない。承認欲求要らない。
そしてそのとばっちりが私に来たということです。
何故私が、他人の野暮用のために振り回されなければならないのでしょう。何故、旅行に行く、年寄りだからできないを免罪符にする(インチキ自己肯定する)おばあさんのお尻を私が拭かないといけないのでしょう?
例えそれが5分程度で片づけられる内容であったとしても。。。
私がやった方が早いし正確という理由で何もかもやってしまうのは、結局その人のためにはならないし、更に依存させてしまいます。
私が頭にきたことはもう一つ。
父は承認欲求の塊な上に薬の副作用が原因で耳が遠いのです。
耳が遠い人と言うのは声がものすごく大きいのです。
承認欲求の塊の人の声というのは圧がかかります。そして更に耳が遠くて声が大きいとなるとたまらない…。
私は、父の声にうんざりしています。
依頼されても私は「あー、わかった。わかった。」こんな対応になります。何が言いたいかというと、要件がわかったのでそれ以上できるだけ父の声を聞きたくないんです。50cmくらいの距離で叫んでいるように声が大きいので、あまりに聞きすぎると頭が揺さぶられて気持ち悪くなるのですよ。
やはり思った通り、5分足らずでその野暮用はできてしまったけれど、父も父で家にPCできる人がいるからお安い御用という感じで勝手に引き受けちゃ困るわけなんです。
自分の力でやってないから。人に依存し人を利用し、人の手柄を自分の手柄にして承認欲求満たしているわけですからね。
負の連鎖です。私が死んだらどうするのでしょう。
私は父に認められようが認められまいがどうでもいいです。
こういうすぐ人に頼る姿勢は害でしかないし、他人にとってはものすごく迷惑なんです。その人の大切な時間を奪う行為になってしまうのです。
話を整理しますと、何が一番足を引っ張っているかわかりますか?
依存ですか?
確かに依存もいけませんよ。ですが、依存はあくまで二次的な作用です。
根本は何か。
承認欲求なのです。
承認欲求があるからこそ依存を呼ぶのです。
ですから、依存をどうにかする前にまず承認欲求。
承認欲求を切り捨てること。ここからです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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