脳内麻薬の続きを書きます。

 

前回の記事はこちらです。

 

 

オルレアン公ルイは結婚の義務を逃れる新たな理由をいつも探していた。

若い夫妻の不仲はすぐに知られるところとなり、ベリー地方やロワール河岸だけでなく、パリ中でも噂になった。ある者は若いオルレアン公爵夫人ジャンヌを憐れみ、ある者は強引に結婚させられたルイを擁護し、ルイ11世が2人を不幸に陥れたと非難することで全員が一致した...。

 

そんな中、1479年3月、ルイ11世が突然、原因不明の病に倒れた。

 

出典:最後の騎士マクシミリアン 権力と愛の物語

 

ルイ11世のこの突然の発作はかつては脳卒中による発作だと言われてきましたが、1903年にてんかんであると結論づけられています。何故てんかん?それはこの人近親婚で生まれているからです。王が常に帽子をかぶっているのは、発作が起きて転倒した際に衝撃を和らげることができたからだとも言われているんですね。

てんかんの発作は晩年に繰り返すようになってきました。

ルイ11世は赤のフェルトの帽子の上に更に茶色い帽子をかぶるという特殊なかぶり方をしています。このようなかぶり方をしている人はこの人くらいです。

 

 

ルイ11世は半身不随で言葉を失い、カラブリア出身のパオラの聖フランチェスコが枕元で奇跡を起こし、医師たちを驚かせたという。

 

 

 

このパオラの聖フランチェスコという人、奇跡を起こす人で有名だったそうです。Youtubeにもこの人の動画があり、キリスト教国では有名な人みたいです。フランス語版Wikiにはヴィーガニストであったとも記載されていました。

7人の死者を蘇生させたとか。大麻でも使ったのかな。インチキ臭さ全開ですが…。

 

メッシーナ海峡をマントを広げて船代わりにして海峡を渡った奇跡を起こして、1943年にイタリアの船乗りの守護聖人とされたらしいです。

 

 

怪しい…実に怪しい。予言の才能もあり評判だったとか…。

1447 年、1448 年、1449 年に、オスマン帝国によるコンスタンティノープルの占領を何人かの人物に予告したようです。1453年にメフメト2世によりコンスタンティノープルが占領され東ローマ帝国は滅亡します。

この人物は偶像化されています。

フランツ・リストもパオラの聖フランチェスコを偶像化していてこの人の曲まで作曲していますね。

そして、この人の予言を真に受けインチキ自己肯定した人物がフランス国内にいます。登場は後になりますが、これにより、フランスは更に負のスパイラルに沈むことになります。

 

 

パリの庶民たちがありもしない噂を繰り返していた頃、アンボワーズ城では、アンヌ・ド・ボージューが、オルレアン公ルイのために心を痛めていた。

 

アンヌ・ド・ボージューは、何ヶ月もの間、父親の良き参謀となっていた。父親は、彼女の聡明さ、政治的手腕、手際の良さ、狡猾さを賞賛していた。彼女は父の素質をそもまま受け継ぎ、冷徹さ強い自制心を兼ね備えるまでに至った。彼女も父と同じく権謀術数を得意としている。

家臣らは彼女のことを「フランスで最も聡明な女性」と称賛した。それに対し、

 

「馬鹿なことを言うな!この世に聡明な女などおらぬ!!」

 

しかしルイ11世は時々微笑みながらこう言った。

 

「お前はフランスで最も愚かではない女性だ。」

 

ルイ11世は、自分の権力を脅かす女性の存在を恐れていました。それがたとえ親戚であっても。例えば、ルイ11世の従妹であるイングランド王ヘンリー6世妃マーガレット・オブ・アンジューはヘンリー6世亡き後、フランス帰国となりますがアンジュー家における相続権をルイ11世によって取り上げられ、マーガレットは貧困に苦しむことになりました。

 

 

アンジュー家…ナポリ・シチリア侵略者の家系です。

シチリアの晩祷の記事でも出てきたカペー朝シャルル・ダンジューの一族ですね。

 

 

アンジュー家はナポリ王国も支配していたわけですが、最後のルネ・ダンジュ―の代でアラゴン王国に奪われたというか、アラゴン王国が取り戻しました。男系女系共に継承者が途絶えてしまったのでアンジュー家の従来の領地すらも王領地に吸収されます。アンジュ―がかつてナポリを治めていたこと、これが後のシャルル8世のイタリア戦争のフラグともなります。

ルイ11世はマーガレットがイングランド王室の政治に介入した実績を知っているので、それを恐れての処置でもありますが、本当にこの王はやることなすことが抜かりない。自分を脅かす存在は徹底的に無力化する一方で、自分の血を引き尚且つ従順な娘であれば話は別。自分にとって確実に都合が良ければ優遇する。ルイ11世はそういう王なのです。

 

アンヌ・ド・ボージューは不器用で極度の女嫌いで女性を滅多に褒めることのない王の言葉を最高の褒め言葉だと受け取って喜んだ。

 

結局ルイ11世が生まれた子供の中で最も信頼していたのはアンヌ・ド・ボージューだった。

そして、いつかこのフランス王国を受け継ぐことになる王太子シャルルを彼女に託すことになる。オルレアン公ルイをとるか、それとも国(父親)をとるのか。

彼女が選んだのは父だった。

 

 

女性嫌いのルイ11世が認めた女性は母マリー・ダンジュ―とアンヌ・ド・ボージューの二人だけです。

 

『お父様は女性が嫌い。私も女性だけど認めてくれた。お父様が認めた唯一の女性として弟を立派な王にさせる!』

 

彼女は父の方針をそのまま受け継ぎ、フランスの宿命を背負いシャルルが自立するまで統治することになる。まるで、ルイ11世がそのまま生きているかのような恐るべき頭脳を発揮する。フランス初の女性摂政の誕生である。

 

シャルル8世の即位は1483年からだが、実質彼女が王のようなものである。影の支配者だ。

 

 

シャルル8世の本格的な親政は結婚後の1491年からである。

 

 

というのが歴史の通説であるが、実際は1492年からである。1492年のシャルル8世の親政とほぼ同じタイミングで、コロンブスの新大陸発見、スペインでのレコンキスタの完了とユダヤ人追放令、教皇アレクサンドル6世の就任と激動の年を迎える。

 

 

アンヌ・ド・ボージューは約9年に渡って王の代理をしていたことが明らかになった。実質彼女が王だと言っても過言ではない。

 

サリカ法に縛られた男尊女卑の強いフランスで何故彼女が表舞台で活躍できたのか…。フランスでは女性は君主になれません。また王妃が政治に口を出すことは許されず、王妃は世継ぎを産むだけの役割なんです。ただ、この人は王姉なのでそのような縛りはありませんでした。それを利用し、尚且つ彼女が極めて有能だったからこそルイ11世は彼女に託したのです。これは極めて稀なケースです。

周りの男性が頼りない時、女性が権力を握りやすいのは世界各国共通しています。

 

ある時、アンヌ・ド・ボージューは驚愕の事実を耳にすることになる。ルイ11世が病に倒れている間に反抗的な家臣たちが弟の誘拐を計画しており、その計画の主犯が、彼女が思いを寄せているオルレアン公ルイであったことを聞かされたのだ。

 

「そんな!?まさかルイが弟の命を狙っているだなんて…」

 

第一王子の称号を誇りにしていたオルレアン公ルイは野心家だったが、国王の死後、王位を奪うためにシャルルの姿を消したいと考えるような人物だとは、彼女にはとても思えなかった。彼女は愕然とした。

 

彼女は大いに傷ついた。そして王太子が誘拐されるのを阻止するために必要なあらゆる手段を講じた。

しばらくするとルイ11世の容態が回復した。よってアンヌ・ド・ボージューが抱いたのは単に杞憂で終わった。オルレアン公ルイは計画のことは忘れ、再び放蕩に走った。

 

そして1483年、ルイ11世が崩御する。新しい国王シャルル8世は13歳で若年であったため、まだ親政することはできなかった。父の遺言通りアンヌ・ド・ボージューが摂政となった。

 

もう一度、彼女はルイに優しく思いを馳せた。1477年の誘拐未遂事件を全て水に流し、後のルイとジャンヌの結婚無効と同じように、夫ピエール・ド・ボジューとの結婚を無効にすることも...。王と同じ権力を持った彼女は、そうすることも可能だったのだ。そのためにはただただルイが微笑むだけでよかったのだ。

 

弱っていたルイに、彼女は贈り物と恩赦を与え、イル・ド・フランス総督に任命し、指輪と宝石を贈り、2匹の白いグレイハウンドを送った。

 

 

 

イル・ド・フランス=パリ軍総司令官 1483年 - 1485年までオルレアン公ルイが就任していますね。ポジションは中枢なので大抜擢ですね。1483年10月3日就任です。ルイ11世が亡くなってから34日後のことです。

パリ総督の責任は当初軍事的(軍隊の編成、軍備および要塞の組織化)でしたが、その後秩序を維持するための措置にまで拡大されました。

 

そして緊張と不安の中、彼女はいつも以上に情熱的に彼を見つめた...。

彼女は、彼がやがて自分の方を向き、自分の好意に気づき、自分の気持ちを分かち合ってくれることを望んでいたのだ。

 

 

その答えは…!?

 

 

彼は見て見ぬふりをして無表情のままだった。

 

『何か、重たいし圧を感じるんだよな。見返りに従姉の傀儡にさせられそう…

 

残念ながら、決して振り向くことはなかった。

 

アンヌ・ド・ボージュ―は振られてしまった。

 

ハートブレイクハートブレイクハートブレイク

 

そして、心に傷を負った彼女は彼を恨み、本心を固く閉ざしてしまう。そして永久に彼から目をそらすことになる。彼女の気持ちを変えてしまったのはここにある。

 

 

私のものにならないなんて許せない!その鼻っ柱をへし折ってやる!

 

失恋したら相手のことを憎み嫌いになってしまうケース、あるあるです。私は無茶苦茶ありました。承認欲求の塊だった頃の私は、失恋する度に相手を憎み罵りました。その本心は、私のことを好きにならないなんて許せない!あいつ見返してやる!です。

 

執着する限り、自分の思い通りにならなければ憎しみに変わってしまうのです。

アンヌ・ド・ボージュ―の場合はまさにこれであり、父からは権力をもって相手を思い通りに動かす手法を学びました。このような毒父に育てられた彼女は本当の愛がわかっていません。相手を自分の思い通りにすることが全てだと思っているのです。

彼女の存在がシャルル8世の人格形成に大いに影響を与えたのは間違いありません。

 

続きます。

 

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