前回書いたように、この現代はずっと男尊女卑洗脳を持ち越したまま、表面だけ男女平等を課してしまい、男女双方が反発するそんな状況になっています。

男女ともやっていることは上から抑えつけて自分の都合のいいように変えようとしているだけにすぎず、それがずっと堂々巡りしているのです。

だから、男女とも根本にある男尊女卑洗脳の存在を知らないといけないのです。

 

自己受容において正直言いますと男性の方が有利です。ですが、男性の皆さんくれぐれもそれでインチキ自己肯定しないでいただきたい。女性が不利になってしまう原因を男性も知ることで男女間の差を埋めていくことにもなるのです。

男性の方が自立心が強く、女性の方が依存心が強くなります。この傾向は今も尚続いています。

 

まず、二村ヒトシさん著『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』では女性が自己受容しにくい社会構造を鋭く突いています。

 

5-2 しんどい女性は「やらなくちゃいけない」と思いこんでいることが多すぎる。

どのような人生を選択しても、それが自分の意思だったとしても、自分自身のあり方や生き方に疑問を持ち「自己受容できない」でいる女性が、とても多いんです。
こうあるべき自分、こうありたい自分」を考えたときに、減点法でしか自分の姿を見ることができない。「負ける自分」を許せないようになっている社会も、女性には「男性なみに働くこと」を要求しているのと同時に、あいかわらず「女性」としての役割 つまり「妻であること」や「子どもを産むこと」はもちろん、「美しくあること」も求めつづけています。
そのため、まじめな女性たちは「すべてをちゃんとやりたい。やらないといけない。できないのは、くやしい」とか「完壁にできない私は、何かが欠けてる」と思いこんでいるというか思いこまされているんです。
でも、冷静に考えてみてください。
・「いい女」になって、すてきな相手と幸せな恋愛をすること
・男性社会の中で、男性に負けないくらい仕事をすること
・結婚して子どもを産み、良い母になること


この3つすべててを同時に完壁にこなすなんて、ふつうの人間にはムリですよ

なぜ現代の女性は、こんなに「やらなければいけないこと」が増えちゃったのでしょう。そもそも、社会というのは、かつて男たちが作ったものです。
そのころの社会は、男たちのためにだけあり、女には「女だけの社会」があったのです。しかし時代の移り変わりとともに、男の社会に女性も加わるようになり、今では「女が外で仕事をすること」は、あたりまえになりました。
別々だった「男だけの社会/女だけの社会」が、「男と女の社会/女だけの社会」になった。
女性は両方の社会に属さなければならなくなったため「やらなければならないこと」が増えてしまったのです。
女性たちは自己受容しにくい状況だからこそ、愛されることを求めて恋をしてしまうのかもしれません。でも、そこでもやはり苦しい思いをすることになってしまう。八方ふさがりーこれが今を生きる女性たちの現実です。

昔、昭和から平成になる前までは確かに社会全体が男尊女卑であり、「男は仕事、女は家庭」と明確に分かれていました。しかし、時代の移り変わりによって女性の社会進出が進みましたが、女性の負担が増えた分その負担分を男性側がフォローするというシステムが出来上がっていないのです。結果的にですが、男性の方が経済的な負担が減ったことで楽になったのは男性なのです。わかりますでしょうか。

この楽になっている状態に男性が見て見ぬふりをして甘んじているなというのがあります。こういうの良くないですよ。やめてください。

 

もちろん、全ての男性がそうではなく、家事・育児に協力的な男性だっています。ですが、まだまだそれは少数派。昔、婚活アプリ(邪気発生源)をやっていた頃、「正社員で共働き希望で尚且つ家事・育児は女性が全部やるべき」としてしている傲慢な男性が無茶苦茶多かったですよ。あんた何様だと。まぁ、女性も女性で「年収1000万円以上、専業主婦、パートでもOKな人」とか希望している人もいますのでそんな女性も人の事は言えないんですがね。

 

 

ただ、ハッキリ言ってどっちもやっていること変わりないですね。

この人たちの共通点は、依存です依存。

 

男女平等だって本当に言いたいのなら、男性も家事・育児ができるようになることが絶対条件のもと女性も共働きお願いしますと主張すべきであって、女性も家事・育児の負担が減る分仕事バリバリ頑張りますとならないといけないのです。

そうしないと、負担がどちらか一方に傾くことになります。

女性と男性ではどうしても体力や力の面では差が出てしまいますので、実質的な性差というのはやっぱりありますし、平等といっても男性:女性=6:4が限界だと思います。

そればかりはどうしようもできないけれどそこを目指すことは可能だと思います。

結果的には双方が自立した関係性を保つことができ、どちらも不満を最小限に抑えることになるのです。

それ以上楽をしようという考え方は、身勝手で我儘な考え方です。そんな目先のことに囚われたせいで双方の関係性にヒビが入ることになります。

 

 

しかしこう言っても、なかなかそれができません。それはいまだに「男は仕事、女性は家庭」の洗脳が残っていて、女性の方が家事・育児が上手いという共通認識があるからです。

それ故に、男性は自分がやるより女性に任せた方が早くて正確だからと思ってしまうし、女性も男性に任せるのが心配で失敗したらと思うと気が気ではなく、そんなんだったら自分がやった方が早いとなり自ら負担を引き受けてしまうのです。

あと、ダメ出しして頭ごなしに叱るのも良くないです。女性はすぐそんなことやってしまいますが、そうすると、男性は心が折れてやらなくなってしまいます。

 

男性が女性の方が給料が高いことを面白くないと感じてしまうのも「男は仕事、女性は家庭」」が残っているからなのです。反対に女性が男性の方が家事・育児が上手いと面白くないと思ってしまうのも「男は仕事、女性は家庭」が残っているからなのです。

 

何故競争するの?

 

競争してしまうのも男尊女卑洗脳です。

「女より仕事ができない男は男らしくない」「男より家事ができない女は女らしくない」とかないんで。いい加減この古い時代遅れの洗脳は捨てないといつまでたってもまともなパートナーシップを築くこともできません。

 

男性の皆さん、女性にしっかり働いていただきたいのなら男性も家事・育児に参加しないといけません。お子さんがいないご家庭の場合は家事に参加すること。どんなに下手でも自信がなくても少しずつやれるようにしなくてはいけません。

女性は、男性が家事・育児に参加してくれることに心から感謝しなくてはいけないし、どんなに下手でも自分でやった方が早かったとしても、少しずつ教えて気長に男性に覚えていってもらう。そうすることで、女性の家事・育児の負担が減るので、その分仕事の方を頑張れるのです。ちなみに仕事嫌だからその分全面的に家事頑張りますは、この時代通用しなくなりました。

 

ですから、何が得か楽かで考えず、お互いに譲歩し合うことで対等な関係が生まれるのです。男尊女卑のねじれによる対立は、結局支配と服従の二元論になりますし、女性は男性の経済力に依存、男性は女性の家事・育児能力に依存していることになります。

だから結局二元論の関係性は何かしら依存しているということになってしまうんですね。

 

 

そのような関係では、どちらか一方が先に死んでしまったとしたらそこからどう暮らしていくというのでしょうか。路頭に迷ってしまうではないですか。男性は家事・育児能力をつけておくことで、女性が先に死んでしまったとしても生きていくことができます。

女性は、仕事をすることで男性が先に死んでしまったとしても生きていくことができます。誰にでも皆等しく死という宿命からは逃れることはできないし、結局孤独になるものなのです。

 

💉を打った人が大多数となった今、数年後に命を失うのかもわからないくらいになりました。そんな中、男性の経済力という後ろ盾で過ごしてきた女性、女性の家事を全面的に任せてきた男性は最悪の人生が訪れるかもしれません。

たとえ一人になったとしても生きていく力をつけていかないと、これから先やっていけなくなります。女性の自殺が増えているのもそのせいです。男女とも意識改革が必要です。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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