老荘思想は結果的に人々の暮らしを豊かにするものでした。自己受容を極めた上で「足るを知る」在り方に変わっていくので、結果的に豊かになります。
中国の歴代王朝は老荘思想を取り入れさえすれば、国は安泰となったのです。

 

 

自己受容の視点から見て、名君だなと言える中国の皇帝は残念ながら数人程度しかいません。ほとんどの皇帝が権力を我がものとし領土を広げることばかりにこだわり、独善的な支配となってしまいました。

孔子は王朝に仕官すること、自分の思想が為政者に採用されることを目標にしていました。

 

 

一方、老子は孔子のような目標はなくて自分の教えを弟子に伝授したり後世に残すようなつもりはなく、何も言わず旅に出て消えるつもりでした。



お釈迦様と老子の教えは共通点が見られとても親和性が高いものです。お釈迦様はバラモン教の批判を経て自分の教えを広めていこうとしましたが、そのような使命に縛られていない老子は、自分の教えを記録に残す際にいきなり核心から書き始めました。
お釈迦様の場合は、信者に実践を経て悟りの境地を体感してもらうのが目的でした。だからいきなり核心を突くことはせず、核心の周辺をなでるような表現にし、まわりくどく語ってきたのです。



老子は、儒家を批判していますし、法家も批判しています。
孔子、儒家の教えはいわゆる道徳や倫理の理論が語られて、それを実践させるものです。親を大事にしようとか、自分がされたら嫌なことを他人にしてはいけないとかです。確かにこれは一理あります。
ただ老子は、儒家の道徳を批判しているし、法律が整備されるとかえって犯罪が増えることになると法家も批判しています。

え?道徳も法律も否定されれば無法地帯になってしまうのでは?このように思われるかもしれません。

そもそも、老子の語っている視点そのものがものすごく高いのです。その視点の高さの度合いのことを、苫米地博士は「抽象度」と仰っています。

 

 

孔子の視点を3とするのなら老子は10くらいでしょうか。
例えるなら、5階建てのビルから見下ろす場合と、富士山の頂上から見下ろす場合どちらが視野が広いでしょうか。

 

 


この視野が広い程、先を見据えた長期的な捉え方となります。また、抽象度のレベルは同じかそれ以下でないと理解することができません。
中国の王朝でどんな思想が採用されるかは、支配者の抽象度の高さも関係してきます。

会話がかみ合わなかったりすることは日常茶飯事だと思いますが、そもそも抽象度3の人が抽象度10の人の話を理解することができないのです。

コロナ脳の人がなかなか洗脳が解けないのも抽象度が引きすぎるからで、抽象度の高い我々の意見の意味がわからないのです。まさに日本語が通じない状態です。

孔子と老子は実際に会話をしたことがある記録がありますが、孔子は老子の言っていることを理解することはできませんでした。
これはやはり老子の抽象度がとても高かったからにほかなりません。老子は、後世に理解してもらおうというつもりがなかったため、理解してもらうように抽象度のレベルを下げるつもりはありませんでした。
だから高い抽象度の状態ままで書き残したのです。
 

 

しかもいきなりゴールから書いているため、表現が難解だと言われるのは仕方ないと思います。ただし、後になって荘子が上手く解説したことで多くの人に理解が広まりました。

老子は、大道廃れて仁義あり、と述べ、本来の道を示すとともに、儒家の教えは人為的で相対的なものに過ぎないとしました。老子は、儒家の説く道は、あるがままの白然の道が廃れ、仁義などの道徳が説かれるようになり、それがさらに人間の本来あるべき自然的なあり方を失わせると主張しています。

何故老子は孔子を批判したのか、長くなったので次回書きたいと思います。