キリスト教の存在たちが消え、イスラム教の存在たちも消え、YHWHもついに消える。YHWHは信じる者を守る代わりに、信じない者には排他的な攻撃性を示します。
(信じるは邪気)
と言ってもこのような神を信仰してもそもそもインチキなので守ることなどできないし、もう存在もしないのだから何の意味もなさなくなりました。
旧約聖書は、バビロン捕囚で連れてこられたユダヤ人たちがバビロンに住み慣れてしまって、エルサレムに戻ってこなくなったことに危機感を感じた祭司階級たちが、ユダヤ人のアイデンティティのために旧約聖書をつくり始めました。旧約聖書はユダヤ人のインチキ自己肯定のためにつくられたパクリと捏造だらけの聖書です。
救世主が邪気発生源なのも旧約聖書に書かれたインチキだからで、救世主をヘブライ語で表したのがメシアで、救世主をギリシャ語で表したのがクリストス(キリスト)です。だから当然、メシアもキリストも邪気発生源となります。
ちょうどタイムリーな曲がありますので、歌詞を紹介させていただきます。音楽はAdoの件がありましたので、今回も紹介はせず、歌詞だけを載せます。
曲はPIERROTの「ドラキュラ」です。
なんと、約20年前の曲となります。ドラキュラ視点で書きつつもキリスト教に対する批判です。ドラキュラに十字架が効くというのは架空の作り話ですが、十字架が「悪霊・悪魔」を退治する神聖なものとしてつまり、キリスト教の正当化のための印象操作のために設定されたものです。エクソシストたちは十字架で悪魔祓いというのをやってきたようですが、かえって悪魔を呼ぶ行為になってしまうんですよね…。笑えませんよ、本当に。
このバンドは解散してしまいましたが、社会風刺の曲を本当によく出していました。ただ、2003年にタトゥーを入れてしまったバンドでもあるのでもちろん情は入れられません。
太字は邪気発生源の言葉となります。
ドラキュラ
白夜に浮かび上がる肖像画
眼光が選んだ 今宵の生け贄が捧げられる
逃げ惑う後ろ姿は綺麗な衣装で身を包み
そそる薫りを振り撒く Fu-Who-Um
光る首筋に背後から
口付けるように牙を向けた
振り返った君が翳した
無責任な-救世主-
汚れた ただの銀の首飾り
何の効果も無い 一言告げておこう Fu-Who-Um
磔にされた人形は救いの手など差しのべない
跪き祈り頼っても 涙さえ見せない
振り上げた十字架をこの胸に突き刺すなら
生き血に飢えた僕の目が覚める前に
古びて さびた銀の首飾り
何の効果も無い 一言告げておこう Fu-Who-Um
祭り上げられた人形は救いの手など差しのべない
跪き祈り頼っても 涙さえ見せない
振り上げた十字架をこの胸に突き刺すなら
悔やみ始めた僕の目が覚める前に
惨劇に明け暮れた猟奇に縋る孤独を
あの人に似た君に幕を降ろして欲しい
赤字の所をそのまま、キリスト教とはそういうものだという認識にしていただきたいですね。存在しないインチキな神なんかのために悔い改めないで、現実を受け入れようと心から言ってやりたいですね。