中国において女性が再び活躍しはじめたのは、異民族支配の王朝になったことにありました。異民族である、遊牧民族は女性の地位が高かったのです。

 

 

何故、こんなにも女性の地位が高かったのかというと、遊牧民族の独特の遊牧生活にあったのではないかと思います。

農業と牧畜によって生活をしてきた遊牧民族は、定住と移動を繰り返す生活スタイルだったため、機動力が必要であり、広い草原の地の移動に馬は必要不可欠でした。

幼いころから乗馬の訓練を行い、女性も馬に乗ることは当たり前でした。

そのような生活環境だったからこそ、男女を問わず騎馬と騎射に優れる者がいたということです。

 

3人の皇后を歳出した独孤氏のルーツである匈奴なんですが、カラパイアでは次のような記事が出ています。

 

 

2000年以上前に匈奴の女戦士の遺体が発掘されたということです。副葬品として宝石がちりばめられたベルトバックルがみつかったとのことです。

女性も最前線で戦っていたということなんですね。

 

 

独孤家の女性たちは、武川鎮で育ち弓馬を自在に操るなど当たり前で元気で活発な女性が多かったようです。

 

 

出典:独孤伽羅~皇后の願い~

 

こちらの襟が特徴のトレンチコートにも似た服は胡服という、北方の異民族たちが着用していた衣装で、漢服と比べると動きやすいのが特徴です。

南北朝時代、北魏の漢化政策以降、一時的に胡服は禁止されましたが、胡服の要素が官服に取り入れられるようになり、その後の王朝でも官服には胡服の影響が見られます。

 

女性の地位が向上したことで、政治や学問にも興味を示す優秀な女性が出てくるようになりました。唐の武則天の登場まで、中国女性の地位は比較的高い状態が続いていきます。