再びインチキ自己肯定を繰り返す親について書きたいと思います。

それが非常に残念なことに、私の身内にいます。

その人物は義理の叔母です。

 

うちの家族がインチキ自己肯定一家だったからこそ、叔父は類友の法則で似たような女性と一緒になったのだと思います。とても残酷なことだと思います。

 

叔父もまたコンプレックスの塊で、特に酷い学歴コンプレックスでした。

これも子どもや孫の学歴でインチキ自己肯定する祖父のせいなんですけど、とにかく叔父は祖父に認めてもらいたくて仕方がなかったのだと思います。承認欲求の呪縛です。

そんな中で職場で義理の叔母と出会い生活を共にすることになったわけなんですけど、当時の女性は寿退社するのが当たり前でした。

 

今の時代はそれがとても難しい時代遅れの概念なんですけど、多くの独身女性たちが未だ無意識下で夢見ているくらいの禍根を残しています。何かあったら全部男性に頼ればいいという依存的な洗脳です。それは、ほとんどの母親が結婚後に専業主婦やパート主婦になっているからその洗脳を受けているのです。

 

義理の叔母もまた叔父と同じくコンプレックスの塊でした。会社を辞めて専業主婦になって嫌な会社からおさらばできたと思いきやそこで一つの壁が立ちはだかります。なかなか子宝に恵まれませんでした。同じ主婦友達と関わっては常に自分と比べては悩み、そのコンプレックスを埋めるためにブランド物を買い漁っていました。それも叔父の給料で。

叔父は何一つ文句を言わず外で働き彼女を養っていました。

義理の叔母はお盆やお彼岸、年始の挨拶に行く度に子どもができないことが肩身が狭いと感じていたそうです。祖父母からの「早く孫の顔を見せてくれ」というプレッシャーに怯えていました。特にうちの祖父は明治時代クラスの厳しい男尊女卑の人なので、「子供を産まないなら何故結婚したんだ?息子の財産目当てか」「子どもができない女は価値がない」という固定観念を持っていました。

義理の叔母は、何としても子どもを産んで一家の主である祖父に認められたいと思っていました。そんななかで、やっと子どもができました。それが従妹で現在大学3年生です。彼女が生まれた時は私は高校2年生でした。かなり年の離れた従妹で、従姉妹の中では最年少です。ずっと子どもができることを望んで屈辱に耐えながらやっとの思いで産んだ一人娘。

 

 

だからこそとても思い入れが強い。

従妹を出産した時の感動や喜びは確かにあったでしょう。それはわかります。しかし、それは出産したその日にしっかり受け入れて自分のなかで完結させる必要があり、そこから新たに気持ちを切り替えていく必要がありました。

もちろん、祖父母は孫ができたことを喜び、彼女を叔父の妻として正式に認めました。しかもそれだけにとどまらず、祖父母も彼女も、従妹が誕生したことでインチキ自己肯定してしまいました。悲劇はここから始まりました。