キリスト教国の黒人奴隷制は残酷です。

異教徒の野蛮人なら物のように扱っても良いとする考え方はあまりにも恐ろしいです。

 

奴隷制に関して、キリスト教を弾圧してきたローマ帝国にも奴隷がいたではないか、多神教なのに奴隷の存在があるのはどうなのかという点について書きます。

 

 

確かにローマ帝国には奴隷がいました。

紀元前1世紀末にイタリアで暮らしていた自由民人口の90%が、奴隷の子孫だといわれています。ローマ市民は奴隷が最低2~3人すらもてないと軽蔑される風潮さえありました。イタリア半島の居住者の3、4人には1人は奴隷でローマ帝国全体では8人に1人が奴隷で首都ローマの人口100万人のうち、少なくとも3分の1は奴隷でした。

 

奴隷である以上は人身売買がされていました。

西暦元年の奴隷の値段として、

  • 普通の奴隷   500~1500デナリウス
  • 葡萄園の熟練者   2000デナリウス
  • きれいな女性 2000~6000デナリウス
  • 歌の上手な女性   4000デナリウス

という記録があります。
(1デナリウス=銀3.9g。 当時のローマの市民の年収は、500~1000デナリウス。)

 

ローマ市民の年収を軽々超える高い額で取引されていたようです。ローマ帝国も領土を広げていくにあたって捕虜が増えれば奴隷が増えるのも当然です。

しかし、キリスト教国の奴隷はタダ働き同然で使役させられる一方で、ローマ帝国の奴隷は給料が支給されていました。

 

 

奴隷たちの生活環境は割り当てられる仕事によって大きく変わりました。一番悲惨なところは炭鉱夫で、いつ落盤があってもおかしくない常に命の危険に晒され死んでしまうことも多かったようです。このような場所には素行の悪い奴隷が割り当てられました。

逆に恵まれた環境もありました。例えば剣闘士奴隷は死亡した場合は教官が興行主に市場価格の100倍の金額を賠償金として請求できるので、お金を払いたくない興行主たちは剣闘士の体調を慎重に管理し、死傷者が出さないようにする配慮がなされました。高水準高タンパクの食事や、寝泊まりできる宿舎が提供されたりと恵まれた環境で引退後の生活もしっかり保障されていました。ただし、訓練に脱落した者の場合は「闘獣士」になり、生きたまま食べられる役を割り振られることもあったようです。

家事手伝いの奴隷たちは、雇われ先にもよりますが家族のように接して大切に扱ってくれるところもありました。奴隷は、お金を貯めて「自由」をお金で買えば解放奴隷になる権利を与えられていました。ローマ市民=個人事業主、奴隷=社員みたいな位置づけです。

あと驚くかもしれませんが医者や教師、秘書も奴隷という扱いでした。知的奴隷と言います。

 

ローマの市民は、奴隷がいなかったら生活が成り立たないと考えていたようで、できるだけ奴隷の待遇を良くしようと努力していたのです。

コインの裏表の関係性であることを理解していたようです。

奴隷たちのおかげで、豊かになれる、快適に暮らせるそういう視点が既に、キリスト教徒とは明らかに異なることがわかると思います。流石は多神教です。

奴隷の中には、裕福になる者もいて奴隷よりも貧しいローマ市民も普通にいたそうです。現代のサラリーマンとそんなに変わらないのかもしれません。2000年以上前でこの体制はよくできていると思います。産業革命のイギリスの工場労働の方が劣悪だと感じます。

 

産業革命時のイギリス:炭鉱で働く子ども

 

年間総労働時間のデータがもしあれば、ローマの奴隷よりブラック企業での労働時間の方がきつい可能性もあります。

 

 

 

2000年前のローマの奴隷たちが現代のサラリーマンを見たら、お前たちも奴隷なのかと思うに違いありません。

古代の奴隷というバイアスで見てしまうと、先入観が入ってしまいます。例えば奴隷は粗末に扱われるとか鞭で打たれるとか。先入観が入ったまま誤解して歴史を語る人もいるので注意が必要です。教科書も捏造されている場合がありますからね。歴史も必ずしも真実とは限らず、常に中立的な目線で見ることが必要なのです。

 

ローマの奴隷制はローマ帝国領が最大となり対外戦争が行われなくなると次第にその供給も減少し、あい次ぐ奴隷反乱によって、待遇も少しずつ向上していったことから奴隷制はコロヌス制という小作人制度に変わっていきます。

キリスト教国目線の奴隷の在り方とはずいぶん開きがあります。

キリスト教を入れたことにより、ヨーロッパの文明は停滞してしまったのは言うまでもありません。