儒教の男尊女卑思想に入っていくにあたり、先に書いておこうと思います。
孔子の駄言についてです。
それは『論語』の陽貨第十七の二十五に書いてあります。


子曰く、唯女子と小人とは養い難しと為す。これを近づくれば則ち不孫なり。これを遠ざくれば則ち怨む。

 

これの現代語訳が

孔子が言った。「女と使用人は始末におえない。目をかけてやるとつけ上がるし、突き放すと逆恨みする」

と解釈されることが多く、「孔子は女性軽視をしている。だから男尊女卑だ。開祖がこうなら儒教が男尊女卑になるのも無理はない」と誤解している人があまりにも多いです。これだけで、男尊女卑だと決めつけるのは無理があると思います。これはただの孔子の愚痴だと思います。
孔子は、仕官できない愚痴を頻繁に弟子にこぼしていましたから、これも何気ない一言で深い意味はないように思えます。

その箇所以外は女性の事は書かれていませんでした。



 

渋沢栄一が、孔子のこの記述に次のような解説をつけています。

「今は昔と異なり、人はみな平等で、男女も同じ(政治上の権利を除く)権利を持っている。職業には管理する側とされる側があるにせよ、人権に高い低いの区別はないのだ。
みな同じ人の子、もちろん奴隷視などしてはならない。世の中は籠に乗る人乗せる人、ともに一蓮托生の同じ国民。和気あいあいのうちに働いて、家業を盛んにし、家庭を管理する。これこそ善良な家庭の父母なのだ。
孔子の言う『女と使用人は始末におえない』というのは、第一に男尊女卑を原則として、第二に女子に教育機会を与えない時代の見方を反映している。
今や政治上も男女同権に近づき、また教育も女子に行き渡ったのだから、昔と同じ見方はできないだろう。わたしはこう思う。
孔子は、『過去の歴史を勉強することによって、現代に対する洞察を深めていく(故きを温ねて、新しきを知る)』と述べているように、
意欲的に新しいものを取り入れようという考えを抱いている方だった。だから、もし孔子が今日に生れたならば、絶対にこのような言葉は残さなかったろう。
婦人参政権も否認しないに違いない」

 

渋沢栄一は日本女子大学を創設した成瀬仁蔵の影響を受け、儒教的な価値観に基づく男尊女卑を完全に否定しています。
孔子の考え方は女性がまだ身分が低い頃の古い時代の女性観であり、近代化を進めている日本には時代遅れの古い考え方でそぐわないといいます。
そして既に大正時代に、女性にも参政権を認めるべきだとまで主張しています。
渋沢栄一は天保11年~昭和6年まで生きた人です。江戸、明治、大正、昭和の時代を生きてきました。
その頃はまだまだ、男尊女卑が根強いです。そんな中で既に男女同権を主張できることはとてもすごいことです。

「資本主義の父」であるとも言われていますが、次のような名言を残しています。

 

商売をする上で重要なのは、競争しながらでも道徳を守るということだ。

ただそれを知っただけでは上手くいかない。
好きになればその道に向かって進む。
もしそれを心から楽しむことが出来れば、いかなる困難にもくじけることなく進むことができるのだ。

金儲けを品の悪いことのように考えるのは、根本的に間違っている。
しかし儲けることに熱中しすぎると、品が悪くなるのもたしかである。
金儲けにも品位を忘れぬようにしたい。

 

現代の利権だらけの政界やインチキ自己肯定ビジネスを知ったら失望すると思います。
新一万円札が出回るようになったら、この人は多大な貢献をした立派な人だということを思い出していただきたいですね。