10月1日に法事があるので、甥っ子が家に来ます。
実は、明日が甥っ子の誕生日なんですが、1日に家に来るのでその時に誕生日を祝おうと家族が計画しています。
既に妹が可愛いワンちゃんのケーキをオーダーしたようです。
何の危機感もなく誕生日を祝おうとする家族に頭を悩ませています。
誕生日…まだ悪神とは繋がっていないんですけど、
2年後のペンテコステ、2024年5月19日に誕生日を祝うことが悪神と繋がります。
邪気発生源の前倒しで、誕生日を祝うことも悪神と繋がりました。
なので、今のうちに誕生日に対しても普通の日にすぎないと思えるくらいに固定観念を壊していく準備をしていった方がいいでしょう。まぁ、そもそも時間も日付も作られたものですし、年齢そのものもただの数字にすぎません。
行政の書類に書くくらいしか誕生日や年齢も気にしてないかも…。
誕生日もまた、キリスト教の息がかかっています。
まず、ミトラス教の冬至のお祭りをパクってイエスの誕生日にしてしまいました。
そして、15世紀にドイツで行われていた「キンダーフェスト」という子どもたちの誕生日会から「誕生日ケーキにろうそくを立てる」という風習が始まりました。
当時、子どもの誕生日を狙って悪霊がやってくるという言い伝えがあり、誕生日の子を守るため多くの人が集まり神に願いが届くようにとケーキの上のろうそくを1日中灯したそうです。そして、誕生日の日にケーキにろうそくを立てて食べる文化が戦後GHQによって日本にも広まりました。
この誕生日を祝うことなんですけど、本来なら誕生日も昔は普通の日にすぎなかったのです。
何故か今は誕生日の人が一日主役みたいになっていますが、これも結局は承認欲求を満たしてインチキ自己肯定する流れなんですよね。
誕生日にケーキを食べることもプレゼントをもらうことも当たり前という認識になってしまうと、それがなかったときにものすごく傷ついたり、憎んでしまうことが起きてしまいますよね。見返りを求めるのがパターン化してしまうのです。
プレゼントを期待するということにもなるし、期待してたのと違うと泣いちゃう子も出てくるわでインチキ自己肯定が絡んでくると相手を思い通りに動かそうとしてしまうのです。
また、親が承認欲求の塊だったりすると、「誕生日は親に感謝する日だ」と言われて、親の方が出しゃばってくることもあります。
「あんたのためにこれだけご馳走作ったのだから感謝しなさいよ」とか。
誕生日を祝うことですが、本人が祝ってもらうことでどの業界が潤うのか一度考えてみてください。
記念日は最近いろいろ増えています。いい夫婦の日とかありますよね。
ここ4年でなんと700件も増えたそうです。どんどん後付けで増えていってますね。
日本記念日協会のサイトを見ていただくとその多さに驚くかと思います。
地方自治体や企業、民間団体が思いついた記念日を日本記念日協会に申請して認定・登録している流れです。
こうやって見るともはや記念日の存在そのものが承認欲求とインチキ自己肯定であり、お金儲けのために作られたくだらないものにすぎないのだなということがわかってくると思います。