前の記事で、サロンのプレシューズたちが恋愛ものの妖精物語で
盛り上がったところを見ると、彼女たちの恋愛観はどこから来ているのだろうかとそこがとても気になりました。
キリスト教圏だから、ろくでもないことであるのは容易に想像ができますが…。
恋愛という概念が誕生したのはなんと12世紀の南フランスだそうです。
古代ギリシャでも抒情詩人たちが、恋の詩を歌ったりしてきたが、それとはどうやら違うらしい?
12世紀にフランスで恋愛が発明されたともいわれている。
どうも新しい概念が誕生したと言いたいようです。
今まで、男性中心の社会制度の中で、恋愛においても男性が能動的な立場を取る場合は、女性はあくまで欲望の対象であり、獲物だと見なされることが多かった。
キリスト教の道徳観の元で恋愛感情は野蛮なものとされていました。
そんな中で、パリにノートルダム大聖堂が建立されました。
ノートルダムとはフランス語で「私たちの婦人」つまり聖母マリアを意味します。ゴシック時代には、キリストだけでなく聖母マリアを信仰することが盛んになりました。
イエスは人間であるが、やはり神なので畏れ多く、ちょっと近寄り難い。そこで、親しみやすいマリアを仲介者として、天上の神に執り成してもらうことを民衆は望んだ。人々はマリアに祈りを捧げることで、神に救いを求め、赦しを請うた。マリアが「とりなしの聖母」と呼ばれるゆでんである。また、「憐れみに聖母」と言われることも多い。
高橋秀爾「《受胎告知》絵画でみるマリア信仰」PHP新書
このマリア信仰が盛んになったことで、キリスト教の中で、女性的なものを崇める機運が高まってきたわけです。
その機運を個人的なレベルに移行させると、愛の対象は、「私たちの婦人」から「私の婦人」になる。恋愛とは、男性が女性を落とすもの(女性を惚れさせるもの)から、女性に対して捧げる感情になる。男性が女性に尽し女性は愛されるという構図です。
12世紀のフランスに誕生した恋愛はキリスト教信仰の中で聖母マリアをノートルダム(notre dame 私たちの婦人)として崇めるように、愛する対象(Ma dame、私の婦人)に心を捧げるものへと性質を変えていきました。
「トゥルバトゥール」と呼ばれる叙情詩人が登場し、「まことの愛」をテーマに恋愛を歌い上げました。その「まことの愛」とは、独身の騎士が既婚の貴婦人に捧げる女性崇拝の愛で、のちに「騎士道恋愛」と名づけられました。これが西欧的恋愛の原型です。
つまりフランスの恋愛とはもともと「不倫」であり、結婚とは別のものだったのです。
もう、不倫と聞いて吐き気がしそうです。
アーサー王物語も確かランスロットが王妃と不倫関係になるんでしたね。
この騎士道恋愛が17世紀から18世紀にかけて発展していきます。
恋愛を楽しむゲーム的な要素が加わり、宮廷での恋愛に受け継がれていきました。
宮廷において恋愛は日常茶飯事であり、宮廷文化をリードする既婚の貴婦人たちは夫以外の男性と宮廷で恋に落ちた。17世紀の宮廷恋愛を象徴する言葉として、「ギャラントリー」(優雅な趣味的恋愛)がある。
この頃女性は手の届かない高嶺の花のような存在ではなくなり、多くの場合恋愛は情事となっていった。
なんだこれは…。最悪すぎるではないですか。
不倫というのは配偶者から略奪する行為になるので、最悪レベルの執着です。
思いっきり思い通りにしたいと相手を支配する関係性ではないですか。
そんなものは愛ではない。
配偶者を傷つけることになる不純な愛など言語道断ですね。
私は、恋愛に関してサービスを提供する立場になったら、不倫は絶対に扱わないです。まぁ、邪気発生源になっている以上無理なんですけどね。
蓋を開けたら、やはりろくでもなかったというか予想以上に酷くてびっくりしました。こんな恋愛が妖精物語にひいてはシンデレラにも影響してたとは不気味でしかありません。やはりキリスト教の息がかかったものは百害あって一利なしですね。