どうも、こんにちは。
自己受容とは、良い面も悪い面もありのままを認め、受け入れることです。
強迫観念に陥った時や状況が悪いときに自己受容の必要性を特に訴えてきましたが、
逆に嬉しいことが起こったなど状況が良い時はどうすればいいのかに着目して書いてはいませんでした。
実は良いことが起きた時もやる作業は同じなのです。
何故ならば良い面も悪い面もありのままを認めるのが自己受容なのですから。
良いことが起きたら嬉しいに決まっている!この嬉しい気持ちに浸るのはダメなの?
笑う門には福来たるでは?
良い気分でいることは類友の法則にも影響するじゃないの。何がいけないの?
このように思うかもしれませんが、実は良い気分になっていることも注意が必要なんですよ。
「勝って兜の緒を締めよ」ということわざがあります。
戦いに勝ったからといって油断してはいけない。いつ再び敵が現れないとも限らないのだから、兜の緒もきちんと締めておけ。成功したからといって、気を許してはならぬことをいいます。
良い気分になったその理由に注目していただきたいと思います。
たいていの場合は、何かプレゼントをもらったとか誰かに褒められたとか、見返りがあった時だと思います。他にも共感してもらえたとか、相手が喜んでくれた、お礼を言われたとかもそうです。人を介した外部からの何らかのアクションを受け取った時全てをお考えください。
この時の嬉しい気持ちは、承認欲求が満たされた状態です。
この承認欲求が満たされた時の気持ちよさに浸り、それを心の拠り所にすることは危険で確実に悪神を呼び寄せます。
これは、自己受容がある程度進んだ上級者にも言えることです。
自己受容が進んでいる人は、思考パターンが相手に期待しない方にベクトルが向いています。なので、誰かに認められなかったとしても冷静な対処ができます。
「認められなくてもいいけど、認められてもいい」という土台ができているんです。
ですが、思いがけず人に認められてしまったら…
ついつい嬉しくなることはあるでしょうね。
自己受容できてくると、人間関係は上手く行きやすくはなります。人から感謝されることも増えてきます。ですが、それすらも悪神は利用してくるのです。
気分がいいときは気持ちが緩みがちです。
宴会でバカ騒ぎをして警備が手薄になったお城を攻めてくるのが悪神なのです。
油断は命とりです。
嬉しくなってしまったとき、あまりにもその刺激が強く気分が高揚しているときは自己受容を怠るとそのままインチキ自己肯定化してしまうので、その時も自己受容しないといけません。