どうも、普通の人です。

 

本日は偶数日です。邪気は消える日となっていますが、まだ時々こめかみや頬・耳・肘がチクチク痛いです。

邪気発生源も大分追加されてきて、本来ならばそちらの更新もする必要がありますが、安定して波動を感知することができない以上書くことができません。

 

 

優しすぎる……

 

一人のアニメキャラクターが思い浮かびました。

 

出典:美少女戦士セーラームーン

 

セーラームーン(月野うさぎ)です。

私はセーラームーン世代であり、小学校から中学まで1期~5期まで全て見てました。

女性人気は絶大であり、親子…いや親子孫三世代で見ているという人も聞くくらいです。

母も叔母もセーラームーン見てたな…そういえば。

その中でも特に推しだったのが3期の「セーラームーンS」。

 

昔、公式ファンブックも持ってました。

もう捨てちゃったけど、その中にうさぎちゃんの弱点は「優しすぎること」と書いてあったことを思い出しました。

 

そしてそれが3期のセーラームーンSにリンクするんですけど、この3期のテーマが、「誰かを犠牲にしないと世界は救えないのか」という非常に深いテーマでした。

 

シンプルに考えれば、セーラー戦士VSデス・バスターズの正義と悪の構図のストーリー展開になっていくはずが、そこに新たな視点として外部太陽系の戦士セーラーウラヌス、ネプチューン、プルートが絡み、より複雑さを増しています。
「誰かを犠牲にしなければ世界を救うことはできない」と信じるウラヌスたちと、「誰かを犠牲にしなくても世界を救うことができる」と信じるセーラームーンとの対立です。
 

 

この3期の中で何度も何度もこの「犠牲」というキーワードは出てきます。
その中でセーラームーンのこのように言っています。

 


「犠牲になる人たちのことは考えなくてもいいの?私は他の人たちが不幸になるのを見過ごして、自分だけが助かるなんてことできないわ!一人じゃ無理かもしれないけど、みんなで力を合わせれば犠牲者なんて出さなくてもいい方法が見つけられるはずよ!」
 

 

それに対し、ネプチューンは「あなたって、優しい子ね」と、ウラヌスは「あまちゃんだ」って言っていたと思います。


特に後半に差し掛かって、滅びの戦士であるセーラーサターン(土萌ほたる)が目覚めると、彼女が世界を破滅の道へと導く宿命を担ってしまうということで、
 

 

世界を救うために、土萌ほたるを殺して世界平和の犠牲になってもらうべきだと主張するウラヌスたちと、ちびうさと仲良しになっていたほたるちゃんが悪い子のはずがないから、殺してはダメ、ほたるちゃんという一人の尊い命が世界全体の犠牲になるなんておかしいと主張するセーラームーンたちとで再び対立してしまうのです。



この長い長い「犠牲」をかけた対立の結末は…


結局誰も犠牲にすることもなく世界を救うことができた。

出典:美少女戦士セーラームーンS

のですけど、これはやはりアニメ。
創作物ですので主人公至上主義になってしまうのは致し方ないのです。
何やかんや言って漫画・アニメの世界は作者の匙加減で描く主人公至上主義の世界なんです。こちらは脚本の方で最後は大円団にすることが、視聴者特に子どもたちの夢を壊さないようにするという配慮をしているわけですよね…。



だがしかし、これを現実の世界に当てはめてしまうとそうはいかないのです。
残念なことに、残念なことに…。


ここのアニメの場合だと人になっちゃうので言いにくいですが、いくら土萌ほたるちゃんが可愛らしい素敵な女の子だったとしてもですよ、破滅を導く諸悪の根源であるならば…

 

 

根絶やしにしない限り、

そこに待ち受けているのは、破滅でした。。。