スピリチュアルの業界では、良いも悪いもないが当たり前のように言われています。現実というのは中立で、感じているのは自分の中だけ…だとか。

 



実はこれは大きな間違いなんです。

実際には良いも悪いも存在します。もしも良い悪いが存在しなかったら、犯罪を助長することになってしまいます。窃盗や殺人が許されていいわけがありません。


また、邪気発生源の存在意義を否定することにもなるので、おかしなことになってしまいます。

 

法律を守ることが大前提で、尚且つ邪気発生源に該当するものを切り捨てることは必要です。

ただ良い悪いがないを適用できる例はあります。それは、世間の常識をはじめとする社会的洗脳です。


例えば、

 

恋人がいるのは良い、恋人がいないのは悪い
結婚は良い、独身は悪い
若いは良い、老けは悪い
友達がいるのは良い、友達がいないのは悪い


恋人がいなくても、友達がいなくても捕まることはないですよね?上記のような社会的洗脳は、商業戦略のために作られた幻想であります。例えば、恋人の有無は人の価値をはかる尺度ではないのです。それに気づかないまま二元論でジャッジして条件を満たしていないから、自分には価値がないんだと責めてしまうことはマズいです。

 

社会的洗脳というのは、日常のあらゆるところに潜んでいます。二元論を用いたネガティブキャンペーンさえも洗脳の一つになってしまっています。不安にさせて焦らせて、視野を狭めて冷静に判断できなくさせれば外側に依存させる仕組みの出来上がりです。あとはお金をジャンジャン使ってくれると。

 

恋人がいない自分は価値がない→恋人を作らなければならない

独身の自分は価値がない→結婚しなければならない

 

このような思考パターンにさせて得をするのはどの業界でしょうか?おわかりですね?

 

恋人がいようがいまいが、優劣はありません。比較することも本当はできないのです。いずれにしてもありのままの自分はありのままなのです。

いずれの自分も受け入れればよいだけなのです。恋人がいようがいまいがどちらでも私は私だとなります。どちらに転んでもダメージを受けることはありません。地に深く根を張っているからです。

 

 

それで、そんなの無理だーと抵抗する自分がいたら、まだ二元論の舞台の上にいるということなのです。

 

二元論の舞台から降りましょう。二元論の舞台から降りられない自分をも認めましょう。

 

自己受容をした後に、自分はどうしたいのか、どちらの道に進みたいのかをそのとき選べばいいのです。