このブログにもいいね!の機能はついていますが、私はそんなに気になりません。いいね!の数が多くても少なくてもそういう現実があったということを受け止めるだけです。

 

良い悪いは現実には存在しているんですけど、それを自分の価値と結びつけないで完全に切り離しているという感じであります。こういうことができるようになってくると、周りの人がどう思うが私は私だと思えてくるようになります。大地にしっかり根を張っているという感じです。

 

しかしながら、多くの人たちは、他人からの評価が気になってしまいます。

 

 

他人の評価というのは、絶対ではなく不安定なものなんです。

 

10人いれば10通りの解釈ができるわけです。では、「たくさんの人から共感されれば価値が上がるのでは?」という心理に付け込んだのがSNSのいいね!のシステムです。承認欲求を巧みに刺激していると言えます。

 

いいね!が増えていけば増えていくほど、自分に賛同してくれる味方が増えたように思えて嬉しくなるのです。「いいねが多い方が勝ち組、少ないのは負け組」の二元論に支配されることになります。それで、一時の安心感と自信を得ますが、それは長続きしません。勝者になれば、そのときの喜びは計り知れませんが、勝者は敗者という存在がなければ成り立ちません。勝者になる時もあれば敗者になる時もあるのです。

敗者になった時は大ダメージを受けますが、勝者になればそのダメージが帳消しになるくらいの満足感と優越感が得られる、その刺激に病みつきになるのです。

 

勝者と敗者のシーソーゲームにハマってしまいます。オシロスコープの正弦波のごとくアップダウンを延々と繰り返し続けます。

 

 

二元論の世界が大前提になっているので、常に比較する状況が作られます。他人の反応がいまいちだと、私には価値がないんだと自分を責めてしまいます。そして他人の評価こそが全てのように見えているので、振り回されてしまいます。これは本当にしんどいです。もはや自分自身が本当に楽しんでいるのか、それともいいね!を稼ぐのために映える写真を撮りに行ったり、リア充アピールしているのかわからなくなってしまいます。SNSの闇を感じさせます。

 

他人の評価を心の拠り所としているうちは、自分自身を蔑ろにしどんどん自己受容から遠ざかっていきます。気づいたときは、インナーチャイルドがもうボロボロになっているのです。

 

手遅れになる前に自己受容していくことが必要です。

 

インチキ自己肯定は外側依存で誤魔化していくものですが自己受容は自分と向き合います。

 

承認欲求から解放される唯一の手段は自己受容しかないのです。