1993年(平成5年)12月に行われた二つのレースだけは、生涯忘れる事が出来ないと思うくらいの最高のレースでした。
 

 まずは12月26日に中山競馬場で行われた有馬記念。日本最強馬「シンボリルドルフ」の初年度産駒として、デビュー以来無傷で迎えた日本ダービーを圧勝、父ルドルフに並ぶ無敗の三冠馬誕生と期待されながらも骨折が判明、三冠馬にはならなかったが、無敗の二冠馬、そして最強メンバーが揃った1992年「ジャパンカップ」でオセアニア最強牝馬「ナチュラリズム」とゴール前、壮絶な叩き合いを制し1985年父ルドルフが勝利して以来7年ぶりに日本馬に勝利をもたらし、しかも親子二代でJC制覇という偉業を達成した「トウカイテイオー」。
 JCに勝利した勢いそのままに出走した1992年有馬記念。当然1番人気だったテイオーは、全く精彩を欠いて11着。そしてまたしても骨折が判明。それからなんと1年ぶりの競争になる1993年有馬記念に出走しました。
 このときのメンバーも超豪華メンバーで、1番人気はあの「ナリタブライアン」の兄「ビワハヤヒデ」。「トウカイテイオー」は4番人気でした。
 ゼッケン4番「トウカイテイオー」最後のレースをじっくりご覧ください。





 「トウカイテイオー」奇跡の復活で幕を閉じた有馬記念の興奮が冷めない4日後の12月30日、立川競輪場にて行われた「KEIRINグランプリ93」。競輪界最高の名誉と賞金を目指して争う一発勝負。前年、デビュー2年目にして「日本選手権」「競輪祭」「KEIRINグランプリ92」を制覇、93年のタイトルは「競輪祭」だけに終わったが「F1先行」または「ニューモンスター」の異名をとり輪界に旋風を巻き起こしているスーパースター吉岡稔真(としまさ)当時23歳。93年GPも連覇が濃厚と各紙が予想していて、吉岡にマークする「鬼脚」井上茂徳とのワンツーが1番人気。しかし、デイリースポーツの一人の記者だけがこう予想していたのです。
 「93有馬記念は「トウカイテイオー」の勝利で幕を閉じたが、93競輪GPは「競輪界の帝王」滝澤正光選手の勝利で締め括る。」と。

 全盛期の半端でない強さから「怪物」と評された滝澤選手も33歳(当時)。もう全盛期は過ぎたと思われてた滝澤正光。その滝澤選手が見事な「中割り強襲」を決め、2着、吉岡選手との着差が「微差」(タイヤ差が2cmでそれ以下の差の事。肉眼ではほとんどわからないくらいの差)だったけど、勝利を確信し雄叫びをあげながらガッツポーズをしたときは、当時テレビで見ていて興奮し鳥肌が立ちました。
 画面見づらいですが「7番車、黄黒のユニフォーム」に注目して見てください。