みなさんは、「貧者の一灯」という話を聞いたことがあるだろうか。



私は20代の後半、ある神社につかえる聖職者の方に教えてもらったことがある。

その方の話し振りがとってもチャーミングで心がこもっていたせいか、

今でも、そのときのその人の真剣なまなざしと強く訴えてきた体の動きが目に浮かぶ。


その当時の私はというよりその当時の私も落ち込んでいて元気がなかったときで、

聖職者の女性は私を励ますためにその話を聞かせてくれた。


「貧者の一灯」とは、ネットで調べてみると内容が違っているが、

私が聞いて覚えているものは以下のようなものだった。

釈迦の説法を聞くために、聞くものが灯明をひとつずつ持ちよって、

その説法堂を照らしていると、邪神がそれを邪魔しようと、

その灯明を吹き消していった。そしてお堂はどんどん暗くなっていってしまった。

それなのに、お金がなくて女性の命といわれる黒髪を渡してやっと手に入れた

貧しい女性難陀の一灯だけは、邪神がどんなに吹き消そうとがんばって、

威力を込めても、ついに吹き消すことはできなかったというお話だった。


当時の私は、心のこもったお布施こそ大事というふうにしか解釈できず、

その真心に心底感動したものの、どうすればそんなに捧げきることができるのかと、

私にはできないとかえって落ち込んだ。

惨めな思いだけして、さらに貧しくなってまで、王や金持ちに混じって釈迦にお布施を

する必要があるのだろうかと大変不思議に思ったことがあった。


でも今朝は、あるセミナーに行って別の視点でみることができた。

それは、その貧者は灯明も買えないほど貧しく、

女性の命といわれる髪をも売り渡してしまったにもかかわらず、

釈迦の説法からそれ以上のものを受けとることを確信できたからこそ

惜しげもなく何もかも手放せたのかもしれないと。

だからこそ、その情熱の炎はどんなに心無い人にも

消すことはできなかったのかもしれないと。

貧者は決してかわいそうな人でも稀有な欲のない人でもなく、

もっとも自分を信頼できた幸せな人だったのかもしれないと。


そして、もしこの貧しかった女性がいなかったら

釈迦でさえもその説法を伝えられずに

終わってしまっていたのかもしれないと。


新しい資本主義では、こんな素敵な女性に投資してくれる

ファンが増えるといいな・・・。