3月12日1時46分Cocoが天国へ旅立ちました。13歳と11か月でした。
毎朝のバルコニーでのお散歩姿。
仲良しのLuckyと内緒話。
真剣なまなざしでテレビを観賞中。
My sofa(???)でのお昼寝。
おもちゃにも飽きたね~の図。
お腹すいたよ~の催促の姿。
おなかもいっぱいになったから寝ようか。
植物になりきって考え事。
ひなたぼっこ。
たまには戦闘モード。
もうこんな光景は見られないんだね・・・。
今夜8時に葬儀屋さんが来て、荼毘にふすまでは、リビングにいるから、
まるでお昼寝しているみたいです。
2月19日の夜に突然食欲不振とともにじっと動かなくなり、
明けて20日獣医さんに連れて行くと、エコーで肝臓に黒い影があるから、
細胞を採って検査するといわれました。
2月25日に検査の結果は、悪性リンパ腫の末期だと言われました。
かなり黄疸が出ていて、腹水も溜まっていると言われ、
白血球と血小板も少なくて、極度の貧血状態でした。
余命は1か月~もっても2か月と宣告されました。
この1週間は信じられないほどの食欲喪失で、
1日にスープを20~30g位しか食べれませんでした。
具合が悪くなる前まで、“はらぺこ虫”“お腹すき”というあだ名がつくほどの
大食漢で1日に4缶くらい食べていました。
この日、なんとなく母が獣医さんに不信感を感じたらしいので、
前にも診てもらったことのある近所の獣医さんにセカンド・オピニオンとして
診てもらうことになり、この獣医さんは母の信頼を得て最後まで診てもらいました。
獣医さんが変わったのを機に???
Cocoは、だんだんと食欲旺盛な本来の自分を思い出したかの様に、
食欲が出て、スープを2~3口舐めるのが精一杯だったのに、
スープをゴクゴク飲みはじめ、挙句には「もうスープは、飽きました!!」という表情とともに、
スープには一切見向きもしなくなり、普通の猫缶やカリカリを食べ始めました。
11日の夜に急にてんかんを何度も起こし、12日のお昼に獣医さんの所に行き、
てんかん抑制の注射を打ってもらいました。
獣医さんには、もう末期で抗がん剤治療も無理であること。
てんかんを起こしたのは、肝臓で毒素を解毒できないから起きたということ。
腹水以外に胸水も溜まっているから呼吸が苦しいという説明。
今後もっと苦しくなるからと、安楽死の提案と同意書をもらいました。
この日、車が駐車できなくて、母と私に交代に同じ説明を2度してくれました。
Cocoは泣いている私をじっと見ていました。
自宅に帰ると夜の9時位まで全然眠らずに、ひたすら食べて飲んで、トイレで排泄して
てんかんも起こさずに元気でした。
9時過ぎからやっと、うとうとと寝始めて、
11時30分過ぎにダイニングからキッチンに動き出し
夜中の12時40分頃に、
歩いてトイレに行き、おしっことうんちをしてキッチンに戻って来て
急に容体が急変しました。
具合の悪い表情になり、だんだん呼吸が乱れたり荒くなって、私とママに看取られて、
駆け足の如く天国に旅立ちました。
Cocoは本当に猫と思えないほどに賢くて、人間の言葉が良くわかる猫でした。
獣医さんからの安楽死や病状の説明、
私が「明日会社を休んで、獣医さんの所に行くよ」とか、
「安楽死とかじゃなくて、老衰で、すっと自宅から逝ってくれたらいいのに」と言った言葉、
ママが「週末まで病院には行かない」とか、
「Cocoが具合が悪いからお手伝いさんの日を週末に変更してもらおうかしら」などと
いう会話を理解して迷惑をかけない様に急いで旅立ったのだと思うのです。
うちは、キッチンと洗面所以外全室カーペットなので、粗相をしだしたら穿かせようと、
オムツを用意していて、てんかんの時に穿かせたのですが、
何度穿かせても脱ぐのです。オムツは断固拒否でした。
こちらは、寒いだろうと案じて、温かいカーペットに移動させたのに、
最後の最後まで気を遣って、自分で歩いてダイニングからトイレとキッチンに
居場所を移動したのでしょう。
猫なのに律儀すぎるよ!!!
本当にね、まじめで律義で誇り高くて、立派な猫でした。
たくさんの愛情と幸せをどうもありがとう。