こんばんは

 

ハーブ魔女のくげもんです

 

前回と前々回の記事で沖縄でのお話をさせてもらいました

 

沖縄はパワーみなぎる場所

私の今につながる出会いや経験をたくさんさせてもらいました

 

ずっといたいなと思いましたが

やはりお別れをする日が来ちゃいました

 

沖縄に来たときは29歳で20代最後の年でした

いつの間にか37歳になっていました

 

それでもまだ独り身

 

でも、ちょっとだけ婚活もしていたんですよ

大手の婚活サイトに登録して( ´艸`)

 

ただ、その時にお近づきになったのが

私より8つほど上のディトレーダーさんでした

 

結婚の申し込みまでされたけど

「けいちゃんの好きなようにしていいから」と言われて、後は全部自分で何でもやっちゃう

 

筋肉好きで、プライドが超高く

一緒にいても私の存在価値ないぞ

と思い別れました

 

そんなこんなで私はもう一人で生きなければならない運命なのかと

なかば諦めていました

 

そして東京にもう一度出稼ぎに行こうと決心して

引っ越しの準備やらなにやらやっているとき

 

連絡をくれたのが今の旦那ひろ君

その前に会ったのは約3年前でほんとすごいタイミングでした

 

しかも引っ越しの手伝いをしてくれたり

不用品をもらってくれたり

すごく助けてくれて

 

引っ越しの準備が落ち着いて

夜壮行会をしてくれた時です

 

普段も割と営業職だからか弁が経つ方ですが

酔っぱらうとさらにおしゃべりになってよく他のお客さんや店の大将とかに絡むんですが

 

ちょっとそれがなあ(;^ω^)

と思いながら

 

そしたら自分もそろそろ辞めて実家の高知に帰ろうと思っていると

 

そして

「けいちゃんが一番今まで付き合った中で落ち着くわ」と

酔った勢いで言ってくるわけです

 

で?

 

それで?

 

その先は💓?

 

「・・・・。」

 

そういえば3年前に会ったときにもそんなこと言っていたな?

 

でも煮え切らなくて結局終わって

私は婚活を始めたんだった💡

 

結局その先はなく、私は東京へ旅立ちました

 

 

東京の病院は隣がすぐ神奈川県という場所にある病院でした

なので、私は職場は東京でしたが住んでいたのは神奈川県の大和市でした

 

そしたら、その大和市にオーストラリアで出会って沖縄でも再開した

AKKOちゃんが住んでいるではありませんか!

 

しかも結婚相手は私と同じグループでインストラクターになった人

 

なんだか不思議なつながりです

 

沖縄からは私が行った後1年くらいして実家の横浜に帰っちゃったんですけど

数年後に結婚式にも参加したり交流はあったんです

 

私はあまりどこに行くにも一人で行動するタイプなのですが

やはり近くに知り合いがいるのはすごくありがたいものです

 

 

久しぶりの病棟勤務

5年のブランクがあるので大丈夫かと不安もあったのですが

まあ何とかついていける程度には

 

民間病院なので、やはりいろんな疾患のいろんな状態の患者さんがいるわけです

救急車もどんどん受け入れるので、夜間の入院も一晩で2,3件とか

 

私は転職するにつれてどんどん大変な場所へ行ってしまい後悔ばかり

 

しかも、勉強したかったけどそんな余裕もない

 

外食が増えて、アロマやハーブで健康維持なんて無理だし

だんだん心も疲れてきました

 

女性ホルモンも減ってくる時期にこんなハードな仕事をして

外食も増えて、不規則な生活

 

あごのところに吹き出物ができて治らない

やはり限界でした

 

そんな時、ふとひろ君のことを思い出したのです

 

あの時の言葉は何を意味していたのだろう?

 

やはり確認しないと!

 

沖縄を出てから時々はLINEで連絡は取っていて

12月には辞めて高知に帰るとの話をしていたので

お疲れ様会と称して、沖縄に行って確認することにしました

 

そして、12月になり私は沖縄の友達にも会いつつ

ひろ君と会いました

 

しかし、なかなか彼の口からはその話が出てきません

次第にべろんべろんになりつつあり

店も終わりに近づきました

 

しびれを切らした私は

今まで自分から告白さえしたことなかったのに

 

一世一代の賭けに出ます

 

「あのさ、この前私に言っていたのは、一緒になりたいって意味なの?」

 

すると

「う、うん。でもけいちゃんは俺でもいいの?」

「ほんとにいいの?」

 

「なんかそんなことじゃないですか?って後輩に言われてたんやけど」

 

 

その気があるならお前が言わんかい!!!

 

 

と結局逆プロポーズをする羽目になったのでした

 

そして、1年も経たないうちに寿退職をするのであります

 

雇う側としては迷惑な奴ですよね(;´д`)トホホ

 

でも私の人生なのですみませんm(__)m

許しておくれなせえ(;^ω^)

 

逆にめでたいことなのでと祝っていただきありがとうございます( ´艸`)

 

 

そして、高知に行くことになるわけですが

 

実は沖縄で使っていた車をそのまま東京まで持ってきていて

通勤にも使っていたのですが

 

しかも10年落ちのEKワゴン

途中で心臓麻痺起こしてダメかと思っていたら保証期間中で修理してもらって復活したので

 

せっかくだからドライブをしながら行こうかと思い

母を呼び寄せ小田原や箱根で宿泊しつつ

 

淡路島にいる従兄の家にも寄りつつ

4日かけて高知入りしました

 

高知の今の自宅の周辺はとても熊本の実家の感じと似ていて

要するに田んぼと畑ばかりの風景なんですが

親近感がありました

 

違うのは海が近いか遠いかです( ´艸`)

 

旦那のご両親もとてもいい人です

気を使ってくれて、同居はせずに15分ほど離れたところに部屋を借りて住むことにしました

 

まあ、最初はほんとイライラすることもたくさんありました

一緒に住んでみるといままで見せなかったところも少しずつ出してきます

 

プチ家出したこともあります

 

お互いに言いたいことも言えず

口を利かない時期もあったり

 

ひろ君が耐え兼ねて実家に帰っていたこともあります

 

ひろ君には弟が2人いるのですが、やはり田舎は長男ファースト

やはりお世継ぎ問題も勃発しました

 

その時すでに39歳

看護師の仕事で身体はボロボロ

 

しばらくは仕事もせずに

不妊治療に通ったりしていましたが、タイミング法ではやはりなかなかできず

 

毎日そのことばかり考えて

ホルモンの分泌を促す薬とかを飲んでいるのでイライラしたり泣きたくなったり

すごく不安定なうえにひろ君があまりにも無知すぎて

タイミングの時には気分が乗らなかったり

 

全然そんな日じゃないときにはやる気満々だったり

 

そんな毎日じゃ気が滅入るので

近所の病院にパートに行くことにしました

 

半日だけで、外回りの仕事メインなので気持ちは楽でした

 

そこで出会った職場の人に

熊本から来た久家さんだということで

 

くまモンとくげを掛け合わせて

「くげもん」と呼ばれるようになったのが私が「くげもん」な理由です

 

さてさて

こうして「くげもん」が誕生したわけなのですが

 

でもこの時点ではまだ起業しようとかまでは考えていませんでした

 

まあ何しろまだお世継ぎ問題が解決していませんからね!

 

 

でも、今日はやはり長くなってしまったので

この辺にしましょう

 

なんだか、これ書いていると

他にもいろんなこと思い出していろいろ書きたくなっちゃうんですよね!

 

とりあえず、このシリーズはあと1回で完結することにします

 

次回は私が今のように起業を考えた理由や伝えたい思いを

記事にしたいと思っています

 

最後までお読みいただいて本当にありがとうございました

 

それではまた次回

 

くげもんでした

 

こんばんは

 

ハーブ魔女のくげもんです

 

昨日に引き続き、沖縄編後半です

 

 

 

沖縄に移住して看護師としても成長はできたのですが

やはり円形脱毛症が再発して病院を辞め

 

そしてハーブと出会いました

 

 

話は少し前後するのですが

 

沖縄にはユタというイタコのような方がいます

私はそういう人に見てもらうのはすごく嫌なところまで見透かされるのではと思い

遠ざけていたのですが

 

私の住んでいた名護市に花風水というちょっと有名なお店があり

今でいうチャネリング?ができる人が見てくれて、今の私にぴったりのパワーストーンを作ってくれるところがありました

ユタなのかと聞いたら「私はユタじゃない」とおっしゃってました

 

不定休でいつ空いているのかはその時次第で

看板が店先に出ているときはいらっしゃるという感じです

 

ある日、友達と看板が出ているから行ってみようということになり

その頃は私は今の旦那と付き合っていたので何となく見てもらおうと行ってみました

 

私はその頃、訪問看護をしたいと思っていたので聞いてみたところ

「それはあなたの天職です!と神様が言ってます」とのお答え

そうなんだと思っていたけど、その後も訪問看護には縁がなく10年以上うたった今

やっと訪問看護を始めています

 

確かに全然病院とは比べ物にならないくらい

楽しいです

早くやれば良かったと今更ながら思います

 

更に花風水では彼とのことも聞きました

しかし、その時には意外な返事

 

「彼とは別れるでも春に新しい出会いがある」

 

そして、友達が見てもらっているときに友達にこう言っていたみたいです

「あの子は沖縄じゃない、出ていくと思う」と

 

友達もその時付き合っている人がいたのですが

「いい人よ、相性もいい」と言われその数年後その彼とめでたくゴールイン

子ども2人にも恵まれ沖縄で暮らしています

 

その友達は、実はオーストラリアで私より1か月後に入ってきて

私の次のグループでインストラクターになった子です

 

やはり看護師で、オーストラリアを出た後伊豆大島で看護師をしていたのですが

沖縄に行きたいと私が沖縄に来て2か月後にそれも偶然にも名護市の県立病院に転職してきたのです

 

 

私はその時に、ピンク水晶のブレスレットを作ってもらいました

そして、そのすぐ後に不思議なことが起こりました

 

母方の祖父が具合が悪くなって入院したということで

私は実家の熊本に帰りました

 

その時はまだ彼と旦那とついあっていました

 

祖父は危篤まではなかったので、少し母を手伝って一旦沖縄に戻ることにしました

 

その帰りの飛行機の中で

ブレスレットがいきなりパチーンと切れてバラバラになったのです

 

とりあえず拾える分だけ拾って沖縄に帰り

それをもって花風水に見てもらいました

 

そしたら、「それはあなたに必要なくなっただけよ」と

新しくブレスレットを作ってもらいましたがそのブレスレットは何処へ???

 

確かに彼と別れたけど、新しい出会いはなく

やっぱりそんなに見透かされることはないんだとその時は思っていました

 

でも、今になってそれら一つ一つのパズルのピースがそろったような気がします

 

そういう予言的なことって時間の前後がわからないと聞いたことがあります

例えば右脳って過去とか現在の概念がないでしょう?

 

だから、振り返ってみると当たっているのです

 

彼とは別れたけど、結婚して籍をいれたのは4月30日なので春でした

だから、必要なくなってブレスレットが切れた

そして、彼は高知県の人だから今は高知に住んでいるので結果としては沖縄にはいないのです

しかも、今は訪問看護を楽しんでいる

 

そんな14年後その時は全く想像していなかったんですけどね( ´艸`)

 

 

すごい寄り道をしましたが

元の道に戻ります

 

 

病院を辞めて一旦休んでいたけど、やはり失業手当も期限があります

でも、また病院に行くのも・・・

訪問でもするかと考えていたのですが

 

病院で働いているときにやはり県外から来ていた先輩がいるのですが

(その方も私にすごく影響を与えている人で、今でもたまにLINEで交流をしています)

 

私がぷー太郎の時に金武町にいる、なんちゃってバーを経営している友達を紹介してくれて

どうせを暇だろう?と言われ手伝っていたのですが

 

そのバーになぜか金武町の副町長が遊びに来ていて

私が再就職を探していたら

 

あるよ!と

 

言われるがままに面接に行き、金武町役場の保健福祉課で働くことになりました

 

その時は、ちょうど健康増進事業の実証実験を金武町で行っていたのですが

地元の看護師か保健師を一人その事業で採用したいということで

地元ではなかったけど、副町長と事業元の東京の財団法人の常務に気に入られていたのもあり

上手いこと入ることができました

 

最初1年は実証実験のモニターさんのお世話や、結果の集計、会議など

ほぼパソコン業務。

文章の書き方、エクセル・ワード・パワポの使い方、パソコンの設定

東京の事務局とのメールのやり取り、会議での報告、議事録の作成

今までにないことまですることになりましたが、それなりに楽しんでできていました

 

実証事業が終了した後もそのままその事業を継続していくこととなり

私はそのまま金武町の保健福祉課の契約職員として雇われることになりました

 

健康増進事業も継続していくのですが、

保健福祉課での健診の準備や健診時の指導、メタボ教室、特定保健指導なども一緒に入ります

保健師になりたいと思っていた私は、その時少しだけ経験させてもらえて

貴重な経験をさせてもらいました

 

更に、私がアロマセラピーやメディカルハーブの勉強をしていたので、

職員さんも興味を持っていただき

メタボ教室の一環で私の講義も一度だけ入れていただいたこともとても感謝しています

 

その時の経験や思いが今の私を形作るひとつのパーツになっています

 

 

金武町でトータル5年ほど働かせていただきました

職員の皆さんともすごく仲良くなって私的には楽しく過ごさせてもらったのですが、

もっと、アロマやハーブの勉強もしたい、でもお給料が少なくてなかなか思うようにはいかない

そんなジレンマに陥りました

 

やはりもっとお給料も良くて、たくさん情報があるのは東京

 

看護師の特権として、日本全国資格とある程度の経験があればどこへでも行ける

というところでしょうか

あまりこだわらなければ職場はたくさんある

 

ということで、私はまた8年半と住み慣れた沖縄を後にすることになるのです

 

 

で、なぜ今高知にいるのか

別れた彼と結婚することになったのか

 

それはまた次回お伝えすることにします

 

またまた長いこと

お付き合いくださってありがとうございます

 

では

 

くげもんでした

 

 

 

 

こんばんは

 

ハーブ魔女のくげもんです

 

前回はオーストラリアの濃い~1年間の話をさせてもらいました

 

そして、今回はその帰国後に移住した沖縄の話です

 

私の人生にとってここ沖縄はほんと今のくげもんを作る重要な場所になってます

 

 

沖縄の病院で働くことを決めて

いよいよ沖縄へ移住しました

 

誰も知らない人ばかりかと思っていたけど

やはり私と同じこと考える人は多く

オーストラリア帰りの人は割と沖縄に移住している

 

私がオーストラリアで知りあった同い年のAKKOちゃん

実はオーストラリアでは途中3か月ほどのお付き合いだったのですが

入国日が同じで、既に私が行った時には沖縄のダイビングショップで働いてました

もともとは幼稚園の先生なのですごく明るい子で今でもまだつながっています

 

沖縄の病院は総合病院で、私は内科系の急性期病棟に配属されました

やはり私と同じで県外から来ている先輩もいたり、年が近い人も多くてすぐに仲良くなりました

みんな明るくて、何かにつけ飲みにゅケーション

別に忘年会とか新年会でなくても師長も一緒に病棟のメンバー引き連れて飲みに行ったりもあり

 

そんなある日、私は夜勤明けで家で休んでいた時に

仲良しのゴマちゃんから電話

「今からのみに来ませんか?病棟のみんなで飲んでます」

 

まあ暇だから行ってみっか!

病棟の人たちばかりだから化粧もいらねえ

 

いつのも行きつけの居酒屋

今は亡き名桜

 

入っていくと「ここ ここ!」

いたいた

今日は師長も一緒にいる

 

空いている席に座ると、目の前にいるのは知らない男の人2人

 

だれ???

どうやら、同僚の利用している旅行会社の社員さんのようで

後々聞いてみたら「誘ってと言っていた」と

 

まあいいかと一緒に飲んで話してなぜか二次会にも参加

カラオケで盛り上がって、そのうちの一人となぜか気が合いメール交換

 

実はそれが今の旦那久家家の長男ひろしです

 

何度かデートして付き合うことになったのは31歳の時でした

でも、仕事が忙しくなるとかの理由で3か月ほどで別ちゃうんですよね

 

で、なぜ今一緒にいるのか

 

結婚するまでにその間8年間たまーに飲みに誘われたりもしていたけど

なんのアプローチもなくですよ

それはまた後程・・・

 

 

病院での勤務はやはりどんなに仲が良いといっても

自分はその渦中にいないとしても派閥ができる

いろんな人がいる、合うあわないもあるし

 

患者さんも今までの大学病院と違って、ほとんどが高齢者

方言も聞き取れず何を言っているのかわからない

 

患者さんの病気にしても呼吸器、消化器、終末期、化学療法

ありとあらゆることをしなくてはいけない

点滴や採血も大学病院は研修医がするけど、すべて看護師

 

医者の指示に従ってほとんど動くのは私たち

下の世話、清潔ケア、食事介助

 

夜はおむつ交換と体位変換を1時間かかり一人で回り、

2時間おきのラウンドなので休む時間も交代ではするけど1時間とれるかどうか

認知症の患者さんは転ばせないようにちょっと物音がすると走っていく

 

あまり経験もないけど、5年も経歴があるからと周りはその体で見てくる

リーダー業務もあり、その日の担当じゃない部屋の患者さんが朝になったら冷たくなっていて対応したり

急変にあたったり、臨終にあたったり

 

看護師としての成長はすごくできたと思うけど精神的にはボロボロに

そのうちまた円形脱毛が再発して、うつっぽくなってしまいました

 

ダイビングができるように海の近くに住んでいるのに

ショップで頼むとお金もかかるから、友達とタンクだけ借りてビーチダイブがほとんどで

友達とも休みが合わない、休みがあっても天気が悪い

 

そんなこんなでダイビングからは少しずつ離れていってました

 

それで、うつっぽくなった私は一旦辞めて休んでみることにしました

少しは貯金もあったし、失業手当ももらえるし

 

旦那のひろしと付き合っていたころ、ちょっとベランダでミニトマトを育てていたのですが

あ、ひろしの実家は農家なんでちょっと教えてもらって

 

それまでサボテンさえも枯らしていたのに、

それからというもの、次々に挑戦していって

 

辞めて休んでいるころにはベランダがジャングルのようになっていました( ´艸`)

しかも、植物に話しかけるようになってしまい

それを見た友達が「病んでるわ(;^ω^)」と

 

気候のいい沖縄といえども野菜は結構難しかったから、簡単そうなハーブを買って育てていた時

いつものようにお水をかけて土いじりをしたりしているとき

 

なんかすごく癒される°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°

 

何なのこれは?

いい香りもするし

 

これが私のハーブとの出会いです

 

 

私割と向学心が強いらしいんです

最近分かったんですが

 

ハーブのことをもっと知りたいと思ってネット検索していたら

民間資格のハーブコーディネーターのサイトにヒット

実用的なハーブの使い方や育て方がいろいろと載っています

 

そうこうしているうちにハーブには癒しの効果があることを知りました

それで次に見つけたのがメディカルハーブ協会

段階的にハーブの基本的な使い方から健康に生かす方法まで学んでいきます

 

その中で、今度はアロマテラピーが出てきます

アロマセラピーは、香りの成分が脳に直接伝わってホルモンの分泌を促したり

皮膚から吸収させて血行を促したり

化粧品の原料になっていたり

 

そこで今度はアロマセラピーも習います

 

ただし、メディカルハーブに出てくるフラワーレメディに関しては

その段階ではどうしても理解ができなくて

目に見えない科学的に証明できないものはちょっととあまり勉強したいとは思わなかったのですが

今ではドはまりです(;^ω^)

 

そして私はどんどんハーブの世界に引き込まれていきます

 

白い薬より緑の薬!

 

今の私を決定づけたのがこの時だったと今は思います

 

沖縄の生活もここで半分ではありますが、

今日も長くなってしまったのでこの辺で

 

本当は次回を自己紹介最後にしようと思っていたのですが

終わるでしょうか(;^ω^)

 

次回、沖縄編 パート2に続きます

 

最後までお読みいただいてありがとうございました

 

くげもんでした

こんばんは

 

ハーブ魔女くげもんです

 

さてさて

昨日は私の新人時代のお話をさせていただきました。

 

円形脱毛症に苦しんで、とうとう5年働いた赤い門のある大学病院を退職し

オーストラリアに逃避行

 

 

 

ワクワク・ドキドキの1年間の幕開けです

 

 

 

オーストラリアに入国

初めに行ったのは、ブリスベンの南にあるバンダバーグという町でした

白熊の絵の付いたラム酒で有名なところなのですが、あまり日本では流通していません(;^ω^)

 

最初にお世話になったのは、ソルティーズというダイビングショップ

そこで半年間ダイビングのインストラクターのコースに参加します

 

日本人のコースディレクターが在中していて

すでに私のグループより一つ前のグループのコースが始まっていました

 

住む場所はシェアハウスで

4人ほどが一つのアパートで共同生活をするというかたちです

日本のゲストハウス的な感じでしょうか

 

インストラクターのコースが開始するまでに既定の本数を潜っていないといけないのですが

私は日本である程度潜っていたのですが、全くの人もいたりしてレベルはまちまちで

だいたいレベルが同じくらいのメンバーで同じクラスになります

 

座学で概論的なことや決まり事を習って、イグザムごとにテストがあります

あとは実技でスキルの習得、あとは何かあったときは助ける側なのでレスキューの方法

 

それから、プレゼンテーションも学びます

プレゼンテーションは初めは何をどうしたらいいのかわからなくて無駄なことまで話してしまい長すぎると言われたりしたのですが

だんだんコツをつかんでくると面白く、最後の方ではすごく面白くなってきて

今でもその時経験したことは他にも応用できるとおもっています

 

一通り修了したら認定試験です。

試験にはプレゼンテーションと実技の試験があります

 

何が課題になるのかは前日に言い渡されるので、前日の夜はその練習です

遊んでなんかいられません(笑)

 

プレゼンテーションは1日目

私はその時のトップの点数でパスして

それは今でも自信につながっている成功体験です

 

二日目は実技

実技の試験はインストラクター役と生徒役に分かれて行います

生徒役の人にはどんな間違いをするのかを指示が出されます

 

自分に出されたお題が何だったか今では思い出されませんが

私たちのグループは全員合格無事にインストラクターになりました

 

インストラクターになったら3か月ほどインターンシップで

ショップに来るお客さんに指導してライセンスを発行しました。

私の数少ない生徒さんのカードには私の名前が入っています(笑)

 

私の名前が入っているライセンスを持っていらっしゃる方!

プレミア付きますよ!

 

今後!!!

 

今はもう廃業したので

 

それと、クルーズ船のクルーとしても同乗して外人の講習も少しだけしたな

海の中ではサインでいいので

 

英語が話せなくても前後の説明は現地の人がやってくれるので

ファンダイビングでガイドしたりもしました

 

でも、行くところ行くところ日本人がいるところにいたので

結局英語耳になって少し聞き取れる程度にはなったけど

ほとんど子ども並みにしかしゃべれないのです

 

私の目的は英語の習得ではないのでそこは特に後悔はしていませんけど

 

 

後半の半年はオーストラリアをバックパッカーでラウンドしました

本当はパースのダイビングショップで働かせてもらおうかと思って履歴書を出していたんだけど

 

思わぬハプニングが!!

 

ラウンド中に友達とレンタカーを借りて旅行をしたんですが

その車の後ろのバンパーがもともと外れていて

トランクに座っていた時ずれてしまい完全に修復できず

返却した時に私たちがやったことにされてしまい修理代を請求されました

 

向こうのレンタカーは借りるときにボンド金を払う代わりに

金額未記入の請求書にサインを書かされるのですが

私のクレジットカードの番号とかも控えられます

 

私たちが向こうのサポートの人に相談をして

弁護士にも依頼して話をつけてもらっていたにも関わらず

話には応じずある日私のクレジットカードから予告なしに引き落とされてしまったのです

 

もう最悪でした(;´д`)トホホ

約10万円ほど

 

帰国するお金もない

 

とりあえず、ダイビングショップでの就職はあきらめて

手っ取り早く稼げる方法を探しました

 

掲示板にあった仕事斡旋の広告(英語でしたけど)

藁をもつかむ思いで連絡したら

 

怪しい日本語を話す現地の男性が電話に出て

「仕事あるよ、ブルームまで来て」

 

とりあえず、ブルームに向かった私

観光バスのようなバスに揺られて丸1日

 

現地の仕事斡旋業をしているのはマイクという男性

救われたのは同じ穴の狢がいたこと

 

斡旋する仕事の中にはパールの養殖場に行くしごともあったけど

私は国内線の機内食を作るケータリングサービスと海苔巻屋の掛け持ちをすることに

 

しかも住むところも斡旋してくれて、私はマイクの家に間借りすることに

 

が、しかし!

マイクに言い寄られてオーマイガー!

 

「I'm not intaresting you!」と言えばいいよとルームメイトに言われて

言ったら、翌日から目も合わさなくなり、私はなぜかお隣の年配のおじいさんのお家に引っ越しました

それからは平穏無事でしたけどね( ´艸`)

 

相変わらず周りには現地在住の日本人がいたりで英語は上達することはなかったけど

職場の人たちはすごくいい人ばかりで、最後まで楽しく過ごさせていただきました

 

オーストラリアではみんな「想い出帳」に一言書いてもらってそれぞれの土地を去ります

私も同様で、その時の想い出帳は今でも宝物です。

 

たった1年間でしたが、中身の濃い1年でした

マルっと1年滞在し、私は日本に帰国するのでした

 

 

と、濃すぎて長くなったやないかい!

 

帰国すると、一旦実家の熊本に戻ります

 

ダイビングの仕事をしたいと思って地元のショップにお手伝いに行ったりもしましたが

なんだかこれで食べていくには難しく

 

でも看護師にも戻る気がしないとふらふらしていたら

私の叔母さんから、地元の人が国政に出るから(その時は県議でした)選挙事務所を手伝ってとオファー

 

しかもその方は私の出身高校の大先輩ではないですか!

 

これは応援するっきゃないでしょう!

仕事は事務職ですが最終日は選挙カーに乗せてもらったり貴重な体験もさせていただき

見事当選なさいました

 

今でも現役で頑張られている

坂本哲史衆議院議員さんです

 

でも、いつまでもこの仕事をしているわけにはいかないと思い

引き留められたけど、やっぱり私は看護師に戻る決断をします

 

ただし・・・

 

住むならオーストラリアに気候が似ていて、海が近くにあって、日本語が通じるところがいい

 

そうだ!

沖縄に行こう!

 

早速、ネットで探してヒットした病院は

名護市にある北部地区医師会病院

 

メールでコンタクトを取ると

「うちの看護部長が今度看護サミットで熊本に行くので、その時に会ってもらいませんか?」と

 

履歴書準備して会いに行くと「来てもらいたい」と

まあ、先ずはどんなところか見学してからと思い兄と共に下見に行き

行くことを決断してお返事をしました

 

ということで、沖縄に移住が決まり

また私は知らない人ばかりの土地へ一人行くのでした

 

本当に長い長い

長すぎ-!!

 

本当に本当に最後までお読みいただいてありがとうございます

 

感謝しかありません

 

次回vol.4は沖縄編です

ここで私は運命の出会いをしちゃいますよ!

 

では

こんばんは

 

ハーブ魔女のくげもんです。

 

昨日は、私の幼少期から看護師になるまでのお話をしました。

 

いろいろと挫折を経験しているけど

それには意味があって

進んだ先には影響を与えられる人物がいる

 

そんなことも書きました。

 

でもそれに気づいたのはほんと最近のことで

起業の勉強で自分の棚卸をしたからです

 

 

ということで

 

今日は続き

vol.2です。

 

 

赤い門のある大学病院に入職して社会人になりました

 

私は、眼科と形成外科の混合病棟に配属になりました

今思うと、このころが一番楽だったなあ

 

でも、楽なところって、大抵暇だからか

他人の穴ばっかり探してしまうようです

 

ベテランさんはマイペースだから別に絡むことはないけど

若手は何かと派閥を作りたがります

 

3年目になると、プリセプターと言って新人のお世話役になるのですが

私の同期は他にも社会経験をしてきている全くの新人ではないので

まあぶつかるぶつかる

 

研修医を取り合ったり

悪口を言いあったり

看護師の世界ってコワッ😱って思っちゃいました

 

私はあまりそういうのは好きではなかったので

とりあえず同期と仲良くしつつ、他の先輩や主任さんにはかわいがってもらっていたので

ここでも静か-にしておりました

 

患者さんは基本元気な方が多いので、ケアも楽

業務としては、手術の前の準備、手術室への送迎、術後のお世話

 

新人だったのであまり急変するような患者さんには当てられていなかったので

今では夢のような職場です

 

プライベートでも同期とスキーに行ったり、ドライブに行ったり

楽しく過ごしていました

 

そしてここで出会ったのがスキューバダイビング

同期と一緒に旅行に行った和歌山の串本でグラスボートに乗っていた時、ウミガメをみて

その中に私も潜りたいと思ったのがきっかけで、他にも先輩がやっていた影響もあり

ライセンスを取ることにしました

 

もともと水泳をしていたりで水には抵抗なく

ダイビングショップのツアーや雑誌に載っている沖縄のツアーに一人で参加したり

ショップで出会った仲間と石垣島に行ったり完全にはまってました

 

挙句の果てには、ライセンスにもランクがあるのですが

アマチュアの最高ランクまで取ってしまって・・・。

 

でもちゃんと仕事はしてましたよ。

 

私も若かったと思うのは、夜勤明けでも平気で出発していたということ(;^ω^)

 

仕事の方はというと

3年目までは同じ職場で働いていましたが

それでは看護師の技術も経験も浅いものになってしまうと思い

異動希望を出しました

 

そして次に行ったのはアレルギー・リウマチ科と消化器内科の混合病棟でした。

今までとは全然違って、生活上のお世話や点滴の管理、精神的な援助など

とにかく今までの数倍忙しい病棟でした

ナースコールを押しっぱなしの患者さんもいたりで夜も座ってゆっくりする時間も無いほど

 

ただここで救われたのはスタッフ同士の仲の良さ

業務も忙しいけど、それでも協力しあっていたし

何かにつけ誰かの部屋(寮)でパーティーをしたりということも

 

でもこのあたりから私の身体にある変化が現れました

 

円形脱毛症

 

やたらと抜け毛が多いな?と思ってある日頭の中にツルツルするところを発見

治ったかと思ったらまた別のところ

最初は後頭部の髪で隠せるところだったのでそんなに気にしてなかったのですが

ある時期おでこの上あたりにできたこともあり必死で前髪で隠していました

 

その頃は病院が古かったので建て替えをしていて

新病棟へ移動する時期だったのですが

同時に病棟編成でスタッフも異動になる人残る人いろいろで

仲良かった病棟もほんの1年くらいしか過ごせなかったのです

 

新しい病棟ではシステムも変わるしスタッフも変わる

患者さんも今までなかった呼吸器内科や心療内科が加わったりと変化していました

 

前の病棟で一緒に働いていた人もいたのですが

やはりそれまでとは違っていて、更に私も5年目となるとリーダー業務をしたり

立場的にも変化のある時でした

 

仲良かった友達が辞めたり

他の病棟に行ったりで辛かったのもあったのか燃え尽き症候群のようになり

 

ついに私はある決断をします

 

それはある日、毎月買っていたダイビング雑誌を見ているときでした。

目に飛び込んできたのは

 

ダイビング留学

 

ワーキングホリデイビザを使ってオーストラリアにいき

ダイビングのインストラクターを取りませんか?みたいなことを書かれていました

 

ちょうどその頃にワーキングホリデイビザ取得の年齢制限が30歳に伸びて

私はその時26歳(それまでは25歳でした)

 

行けるじゃん!

 

しかも、もう一度保健師学校に行こうかと思って貯めていた貯金があって

 

行っちゃおう!!

 

気が付いたら、説明会に行って手続きを始めていました

 

親にはもう行くだけの状態で「行ってくるから」と報告

びっくりはしたけど、まあ私の人生だからと引き留められることはなく行かせてもらいました

 

そして、私は単身オーストラリアに旅立ちます

でも、向こうに行けば日本人の仲間がいるので行く道中のみですけどね( ´艸`)

 

 

あらあら

だいぶ長くなってしまいました

 

今日はこのくらいにします

 

やっと私の人生の半分ちょっとです

ここまではきっとなんでハーブ魔女?って感じですよね?

 

この「Rord of 久家桂子」が完成する頃には

今日のお話が見事につながっていることがわかると思いますよ

楽しみにしていてくださいね

 

ではまた「vol.3」で

最後まで読んでいただいてありがとうございます。