こんばんは
ハーブ魔女のくげもんです
前回と前々回の記事で沖縄でのお話をさせてもらいました
沖縄はパワーみなぎる場所
私の今につながる出会いや経験をたくさんさせてもらいました
ずっといたいなと思いましたが
やはりお別れをする日が来ちゃいました
沖縄に来たときは29歳で20代最後の年でした
いつの間にか37歳になっていました
それでもまだ独り身
でも、ちょっとだけ婚活もしていたんですよ
大手の婚活サイトに登録して( ´艸`)
ただ、その時にお近づきになったのが
私より8つほど上のディトレーダーさんでした
結婚の申し込みまでされたけど
「けいちゃんの好きなようにしていいから」と言われて、後は全部自分で何でもやっちゃう
筋肉好きで、プライドが超高く
一緒にいても私の存在価値ないぞ
と思い別れました
そんなこんなで私はもう一人で生きなければならない運命なのかと
なかば諦めていました
そして東京にもう一度出稼ぎに行こうと決心して
引っ越しの準備やらなにやらやっているとき
連絡をくれたのが今の旦那ひろ君
その前に会ったのは約3年前でほんとすごいタイミングでした
しかも引っ越しの手伝いをしてくれたり
不用品をもらってくれたり
すごく助けてくれて
引っ越しの準備が落ち着いて
夜壮行会をしてくれた時です
普段も割と営業職だからか弁が経つ方ですが
酔っぱらうとさらにおしゃべりになってよく他のお客さんや店の大将とかに絡むんですが
ちょっとそれがなあ(;^ω^)
と思いながら
そしたら自分もそろそろ辞めて実家の高知に帰ろうと思っていると
そして
「けいちゃんが一番今まで付き合った中で落ち着くわ」と
酔った勢いで言ってくるわけです
で?
それで?
その先は💓?
「・・・・。」
そういえば3年前に会ったときにもそんなこと言っていたな?
でも煮え切らなくて結局終わって
私は婚活を始めたんだった💡
結局その先はなく、私は東京へ旅立ちました
東京の病院は隣がすぐ神奈川県という場所にある病院でした
なので、私は職場は東京でしたが住んでいたのは神奈川県の大和市でした
そしたら、その大和市にオーストラリアで出会って沖縄でも再開した
AKKOちゃんが住んでいるではありませんか!
しかも結婚相手は私と同じグループでインストラクターになった人
なんだか不思議なつながりです
沖縄からは私が行った後1年くらいして実家の横浜に帰っちゃったんですけど
数年後に結婚式にも参加したり交流はあったんです
私はあまりどこに行くにも一人で行動するタイプなのですが
やはり近くに知り合いがいるのはすごくありがたいものです
久しぶりの病棟勤務
5年のブランクがあるので大丈夫かと不安もあったのですが
まあ何とかついていける程度には
民間病院なので、やはりいろんな疾患のいろんな状態の患者さんがいるわけです
救急車もどんどん受け入れるので、夜間の入院も一晩で2,3件とか
私は転職するにつれてどんどん大変な場所へ行ってしまい後悔ばかり
しかも、勉強したかったけどそんな余裕もない
外食が増えて、アロマやハーブで健康維持なんて無理だし
だんだん心も疲れてきました
女性ホルモンも減ってくる時期にこんなハードな仕事をして
外食も増えて、不規則な生活
あごのところに吹き出物ができて治らない
やはり限界でした
そんな時、ふとひろ君のことを思い出したのです
あの時の言葉は何を意味していたのだろう?
やはり確認しないと!
沖縄を出てから時々はLINEで連絡は取っていて
12月には辞めて高知に帰るとの話をしていたので
お疲れ様会と称して、沖縄に行って確認することにしました
そして、12月になり私は沖縄の友達にも会いつつ
ひろ君と会いました
しかし、なかなか彼の口からはその話が出てきません
次第にべろんべろんになりつつあり
店も終わりに近づきました
しびれを切らした私は
今まで自分から告白さえしたことなかったのに
一世一代の賭けに出ます
「あのさ、この前私に言っていたのは、一緒になりたいって意味なの?」
すると
「う、うん。でもけいちゃんは俺でもいいの?」
「ほんとにいいの?」
「なんかそんなことじゃないですか?って後輩に言われてたんやけど」
その気があるならお前が言わんかい!!!
と結局逆プロポーズをする羽目になったのでした
そして、1年も経たないうちに寿退職をするのであります
雇う側としては迷惑な奴ですよね(;´д`)トホホ
でも私の人生なのですみませんm(__)m
許しておくれなせえ(;^ω^)
逆にめでたいことなのでと祝っていただきありがとうございます( ´艸`)
そして、高知に行くことになるわけですが
実は沖縄で使っていた車をそのまま東京まで持ってきていて
通勤にも使っていたのですが
しかも10年落ちのEKワゴン
途中で心臓麻痺起こしてダメかと思っていたら保証期間中で修理してもらって復活したので
せっかくだからドライブをしながら行こうかと思い
母を呼び寄せ小田原や箱根で宿泊しつつ
淡路島にいる従兄の家にも寄りつつ
4日かけて高知入りしました
高知の今の自宅の周辺はとても熊本の実家の感じと似ていて
要するに田んぼと畑ばかりの風景なんですが
親近感がありました
違うのは海が近いか遠いかです( ´艸`)
旦那のご両親もとてもいい人です
気を使ってくれて、同居はせずに15分ほど離れたところに部屋を借りて住むことにしました
まあ、最初はほんとイライラすることもたくさんありました
一緒に住んでみるといままで見せなかったところも少しずつ出してきます
プチ家出したこともあります
お互いに言いたいことも言えず
口を利かない時期もあったり
ひろ君が耐え兼ねて実家に帰っていたこともあります
ひろ君には弟が2人いるのですが、やはり田舎は長男ファースト
やはりお世継ぎ問題も勃発しました
その時すでに39歳
看護師の仕事で身体はボロボロ
しばらくは仕事もせずに
不妊治療に通ったりしていましたが、タイミング法ではやはりなかなかできず
毎日そのことばかり考えて
ホルモンの分泌を促す薬とかを飲んでいるのでイライラしたり泣きたくなったり
すごく不安定なうえにひろ君があまりにも無知すぎて
タイミングの時には気分が乗らなかったり
全然そんな日じゃないときにはやる気満々だったり
そんな毎日じゃ気が滅入るので
近所の病院にパートに行くことにしました
半日だけで、外回りの仕事メインなので気持ちは楽でした
そこで出会った職場の人に
熊本から来た久家さんだということで
くまモンとくげを掛け合わせて
「くげもん」と呼ばれるようになったのが私が「くげもん」な理由です
さてさて
こうして「くげもん」が誕生したわけなのですが
でもこの時点ではまだ起業しようとかまでは考えていませんでした
まあ何しろまだお世継ぎ問題が解決していませんからね!
でも、今日はやはり長くなってしまったので
この辺にしましょう
なんだか、これ書いていると
他にもいろんなこと思い出していろいろ書きたくなっちゃうんですよね!
とりあえず、このシリーズはあと1回で完結することにします
次回は私が今のように起業を考えた理由や伝えたい思いを
記事にしたいと思っています
最後までお読みいただいて本当にありがとうございました
それではまた次回
くげもんでした