JIL(全国自立生活センター協議会)の呼びかけで、沖縄・東京・名古屋・兵庫・大阪の各団体からと、朝日新聞厚生文化事業団から1名の総勢16名で被災地視察及び、現地の被災障害者への激励に5月12日~15日まで行ってきました。
JILでは、震災後いち早くゆめ風基金、DPI日本会議と協力して東北関東大震災障害者救援本部を立ち上げました。また、福島・仙台・岩手に被災地障害者支援センターを設置し、避難生活を送る障害者の個別支援をスタートしました。今回は、その被災地センターを中心に訪問しました。
1.4日間の移動スケジュール
【郡山⇛南相馬⇛沿岸部⇛宮城⇛仙台⇛荒浜地区⇛沿岸部⇛気仙沼⇛陸前高田⇛沿岸部⇛盛岡】
2.現地の声・活動状況
(1)被災地障がい者支援センター福島
仮設のバリアフリー化を要望しているが、なかなか進まないので全国の自治体にも全国の仲間から要望していってほしい。
「被災地へ障害者が見に来てほしい!」「早く原発を止めてほしい!」
「この震災を教訓に、全国各自治体で防災計画を見直していってほしい。」
(2)被災地障がい者支援センター宮城
ボランティアと共に避難所や自宅へ訪問し、あらゆる相談にのれるよう頑張っている。大阪からたくさんのボランティアが来てくれている。
「全国から被災地をみにきてほしい。」
(3)被災地障がい者支援センター岩手
内陸部は復旧していっているが、沿岸部の被害がひどい状況。車で往復6時間かけて沿岸部の個人宅で困っている障害者宅へ訪問し、病院の付き添いや生活用品の買い出し等に同行している。避難所では障害者はいなく、どこにいるかというと、施設にみんな入れられてしまっているのが現状である。
「これから施設に訪問していきたいので、一緒に訪問してくれる障害者のリーダーが被災地へ来てほしい。」
以上のような被災地からの要望を受け止め、我々が出来ることを考えていきたいと思っています。例えば、被災地をまわる企画や障害者リーダーを派遣する等の企画提案などです。
最後に、被災地での二分された光景が今も頭の中に浮かんでいます。
内陸部では町並みも復旧し、多くが震災前の生活に戻ってきています。
一方、沿岸部では、今でも船が道路に横たわり、瓦礫で埋め尽くされたまるで戦後の日本を思い返すような光景がどこまでも続いていました。
そんな光景と同時に、現地で伺った数々の生の声が頭から離れません。
津波で子供を助けた父親が子供に手を振りながら流されていったこと、特養の高齢者が100名も亡くなってしまったこと。
津波でベッドごと流される高齢者が空を見上げながら瞬きし、職員が必死で掴んで助けようとしたが、流されていってしまったこと。
原発の避難地域では、高齢者や知的障害・精神障害の人たちが取り残され、7万人の人口から1万人になり、ゴーストタウンになっていったこと。
今は、人口も4万人ぐらいに戻ったけれど、原発の問題で若い人は居なくなってしまったこと。
『でも私たちはこの町を復興していきたい。町は死んでいない事を、全国の人に知ってもらいたい。風評被害によって町は孤立し、出身地差別などが起きている最中、私は差別される側の立場になって初めて障害者の人達が日頃から差別されている現実が実感しました。』と、話してくれた職員さんの言葉が印象に残っています。
この原発の問題、震災の問題も、障害者の人権問題と同じだということが被災地に行き改めて実感できた被災地視察でした。
被災地に激励にいったはずが、私自身にこれからの運動や地域の課題について教えてもらったように思います。
みなさんもぜひ、一度は被災地へ行って欲しいと心から強く思います。
2011年5月17日
自立生活

