俺
参上
ハイッ
ハ~イッ
みんなに笑顔をッ

太閤で~す
(*^∀^*)
イヤッホーイ
どぉもどぉも


今日は月次の所用済ませるべく近隣のショッピングモールに出陣
したが
店内で「怪盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー」ショーがヤってて
子供連れがワンサか来てたぜィ
今日も休みだったが
風邪ようやく治ってきたから昨夜は久々GYM鍛錬に
2週間以上も鍛錬してナッシブルで身体が弛んできた様だから体育館GYM鍛錬したがツラい脚鍛錬であった
故に今日もGYM鍛錬に出陣
此度は乳筋鍛錬まづはベンチプレス80㌔負荷1set計10回+90㌔負荷5set計40回+80㌔負荷1set計10回+70㌔負荷2set計30回+60㌔負荷2set計40回+乳筋上部鍛錬スミスマシンインクラインプレス60㌔負荷5set計50回+乳筋下部鍛錬ケーブルクロスオーバー24㌔負荷2 set計20回+乳筋鍛錬ケーブルフライ14㌔負荷4set計40回+再び乳筋上部鍛錬ケーブルインクラインフライ14㌔負荷2set計18回+再び乳筋下部鍛錬ケーブルクロスオーバー21㌔負荷2set計20回+ラスト乳筋・肩三角筋・上腕三頭筋鍛錬ディップス5set計60回鍛錬仕り申したぜィ
p(^^)q
久々乳筋鍛錬だったが強度が落ちてて情けなや
明日もGYM鍛錬に出陣かと思うたが
明日は映画の日なれば
仕事終えてから
映画でも観るかなo(^o^)o
今日4月30日は1553年天文22年に尾張〈清州城〉(現愛知県清須市)主〈織田信長〉と舅にあたる美濃〈稲葉山城〉(現岐阜県岐阜市)主〈蝮=斎籐道三〉が尾張〈富田とんだ〉の〈聖徳寺〉で初対面し攻守同盟を更に強く結んだ日で
この時期、尾張国内の敵対勢力を統一出来ていなかった〈織田信長〉は正室〈帰蝶きちょう=濃姫のうひめ〉の父親である舅で悪名高い〈蝮=斎籐道三〉から初対面を要請されていた…
当時、信長の素行は悪く
身嗜みも乱れて尾張国内では「うつけ者」と云われて家臣領民達からもバカにされていた為
舅〈斎籐道三〉は「うつけ者」と噂される娘婿を一目見ようと信長に美濃と尾張の国境〈富田〉の〈聖徳寺〉での会見を求めたが…これは〈蝮=道三〉の謀略で
信長の身嗜みの無礼を咎めて
無礼討ちにして、直ちに尾張を奪取せんと画策していた…
しかし!いざ〈聖徳寺〉の会見場に現れた信長は正装で
折り目正しく舅道三をたしなめ
道三の方が信長の奥底に秘めた器量と武将としての行く末可能性に感服してしまい
「いづれ我が子や孫達は信長の前に馬の轡(くつわ)を繋ぐであろう!」と我が子〈斎籐新九郎義竜〉以上に娘婿信長を高く買って
駿河
の〈今川義元〉が大挙押し寄せて来たら援軍を送ると約定したのであった

ここに〈織田信長〉は〈蝮〉と恐れられた〈斎藤道三〉という頼もしき後ろ楯を得る事になり当面の強大な敵、駿河
の〈今川義元〉に対する事が出来る様になったのだったが…
更に1570年元亀元年に天下統一を推し進める〈織田信長〉が同盟する三河の〈徳川家康〉と共に越前〈一乗谷城〉の〈朝倉義景〉方の〈手筒山城〉〈金ヶ崎城〉(現福井県敦賀市)を攻撃中に妹婿の北近江〈小谷城〉主〈浅井長政〉の突然の離反に遭い
越前から京都に全軍撤退していった日で



〈織田信長〉は自らが擁立した〈室町幕府第15代将軍=足利義昭〉の名のもとに諸大名に京の都に上洛して朝廷と室町幕府への臣下の礼を命じたが…越前〈一乗谷城〉主〈朝倉義景〉は再三の上洛要請に従わず
密かに〈将軍=足利義昭〉と結び反信長の包囲網に加担していたのだった…
そして〈織田信長〉は同盟国〈徳川家康〉や従ったばかりの大和〈多聞山城〉(現奈良県奈良市)主〈松永弾上〉ら総勢30000

の大軍を率いて越前へ進撃4月25日朝倉方の〈手筒山城〉〈金ヶ崎城〉を相次いで攻め落とし
〈朝倉義景〉を追い詰めたが…
信長の妹〈お市〉の妹婿であり
信長が〈将軍足利義昭〉を擁しての京都へ上洛戦では進んで味方した同盟国北近江〈小谷城〉(現滋賀県長浜市)主〈浅井長政〉が父親〈浅井久政〉の強い織田家への不振と朝倉家との三代にわたる朝倉=浅井同盟に重きをおいて
突如織田方を裏切って朝倉方の味方に寝返り
朝倉方を攻撃中の織田軍を背後から迫り朝倉軍と挟み討たんとしていた…
この時、夫〈浅井長政〉の裏切りを知った〈お市の方〉は
兄である信長に秘かに知らせるべく〈お市〉は信長への「陣中見舞い」と称して、小豆入りの両端を紐で縛った袋を使者の者に持参させ、暗に伝えたとされ…それを信長が察して
朝倉軍と背後から迫る
浅井軍に挟み討たれると判断し
即座に全軍を京都へ撤退させると即断した

そして〈織田信長〉は家臣〈木下藤吉郎秀吉=後の豊臣秀吉〉に「殿軍しんがり」を命じて
直ちに10騎ばかりの手勢を率いて越前〈金ヶ崎城〉の戦線を離脱し
浅井領の〈
琵琶湖
〉東岸を避けて西岸から〈朽木谷くつきだに〉から京都へと命からがら
逃走
していったのだった…
一方〈金ヶ崎城〉の陣で追撃押し寄せて来る
朝倉軍を迎え討ちながら、軍勢を撤退していく難しい役目である「殿軍しんがり」を引き受けた〈木下藤吉郎秀吉=後の豊臣秀吉〉は朝倉勢を苦戦しながら迎撃しつつ撤退していったが…撤退を留まっていた〈明智光秀〉と信長の盟友〈徳川家康〉の援軍を得て「殿軍」を努めあげたのであった…
京都に無事撤退した〈織田信長〉の裏切った義弟〈浅井長政〉への怒り

は凄まじく後に熾烈な激戦を展開していくのであった…
よって件の如し
恐々謹言卯月三十日
太閤
参上
ハイッ
ハ~イッ
みんなに笑顔をッ


太閤で~す(*^∀^*)
イヤッホーイ

どぉもどぉも



今日は月次の所用済ませるべく近隣のショッピングモールに出陣
したが
店内で「怪盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー」ショーがヤってて
子供連れがワンサか来てたぜィ
今日も休みだったが
風邪ようやく治ってきたから昨夜は久々GYM鍛錬に
2週間以上も鍛錬してナッシブルで身体が弛んできた様だから体育館GYM鍛錬したがツラい脚鍛錬であった
故に今日もGYM鍛錬に出陣
此度は乳筋鍛錬まづはベンチプレス80㌔負荷1set計10回+90㌔負荷5set計40回+80㌔負荷1set計10回+70㌔負荷2set計30回+60㌔負荷2set計40回+乳筋上部鍛錬スミスマシンインクラインプレス60㌔負荷5set計50回+乳筋下部鍛錬ケーブルクロスオーバー24㌔負荷2 set計20回+乳筋鍛錬ケーブルフライ14㌔負荷4set計40回+再び乳筋上部鍛錬ケーブルインクラインフライ14㌔負荷2set計18回+再び乳筋下部鍛錬ケーブルクロスオーバー21㌔負荷2set計20回+ラスト乳筋・肩三角筋・上腕三頭筋鍛錬ディップス5set計60回鍛錬仕り申したぜィ
p(^^)q久々乳筋鍛錬だったが強度が落ちてて情けなや

明日もGYM鍛錬に出陣かと思うたが
明日は映画の日なれば
仕事終えてから
映画でも観るかなo(^o^)o今日4月30日は1553年天文22年に尾張〈清州城〉(現愛知県清須市)主〈織田信長〉と舅にあたる美濃〈稲葉山城〉(現岐阜県岐阜市)主〈蝮=斎籐道三〉が尾張〈富田とんだ〉の〈聖徳寺〉で初対面し攻守同盟を更に強く結んだ日で
この時期、尾張国内の敵対勢力を統一出来ていなかった〈織田信長〉は正室〈帰蝶きちょう=濃姫のうひめ〉の父親である舅で悪名高い〈蝮=斎籐道三〉から初対面を要請されていた…当時、信長の素行は悪く
身嗜みも乱れて尾張国内では「うつけ者」と云われて家臣領民達からもバカにされていた為
舅〈斎籐道三〉は「うつけ者」と噂される娘婿を一目見ようと信長に美濃と尾張の国境〈富田〉の〈聖徳寺〉での会見を求めたが…これは〈蝮=道三〉の謀略で
信長の身嗜みの無礼を咎めて
無礼討ちにして、直ちに尾張を奪取せんと画策していた…しかし!いざ〈聖徳寺〉の会見場に現れた信長は正装で
折り目正しく舅道三をたしなめ
道三の方が信長の奥底に秘めた器量と武将としての行く末可能性に感服してしまい
「いづれ我が子や孫達は信長の前に馬の轡(くつわ)を繋ぐであろう!」と我が子〈斎籐新九郎義竜〉以上に娘婿信長を高く買って
駿河
の〈今川義元〉が大挙押し寄せて来たら援軍を送ると約定したのであった

ここに〈織田信長〉は〈蝮〉と恐れられた〈斎藤道三〉という頼もしき後ろ楯を得る事になり当面の強大な敵、駿河
の〈今川義元〉に対する事が出来る様になったのだったが…更に1570年元亀元年に天下統一を推し進める〈織田信長〉が同盟する三河の〈徳川家康〉と共に越前〈一乗谷城〉の〈朝倉義景〉方の〈手筒山城〉〈金ヶ崎城〉(現福井県敦賀市)を攻撃中に妹婿の北近江〈小谷城〉主〈浅井長政〉の突然の離反に遭い
越前から京都に全軍撤退していった日で



〈織田信長〉は自らが擁立した〈室町幕府第15代将軍=足利義昭〉の名のもとに諸大名に京の都に上洛して朝廷と室町幕府への臣下の礼を命じたが…越前〈一乗谷城〉主〈朝倉義景〉は再三の上洛要請に従わず
密かに〈将軍=足利義昭〉と結び反信長の包囲網に加担していたのだった…そして〈織田信長〉は同盟国〈徳川家康〉や従ったばかりの大和〈多聞山城〉(現奈良県奈良市)主〈松永弾上〉ら総勢30000


の大軍を率いて越前へ進撃4月25日朝倉方の〈手筒山城〉〈金ヶ崎城〉を相次いで攻め落とし
〈朝倉義景〉を追い詰めたが…信長の妹〈お市〉の妹婿であり
信長が〈将軍足利義昭〉を擁しての京都へ上洛戦では進んで味方した同盟国北近江〈小谷城〉(現滋賀県長浜市)主〈浅井長政〉が父親〈浅井久政〉の強い織田家への不振と朝倉家との三代にわたる朝倉=浅井同盟に重きをおいて
突如織田方を裏切って朝倉方の味方に寝返り
朝倉方を攻撃中の織田軍を背後から迫り朝倉軍と挟み討たんとしていた…この時、夫〈浅井長政〉の裏切りを知った〈お市の方〉は
兄である信長に秘かに知らせるべく〈お市〉は信長への「陣中見舞い」と称して、小豆入りの両端を紐で縛った袋を使者の者に持参させ、暗に伝えたとされ…それを信長が察して
朝倉軍と背後から迫る
浅井軍に挟み討たれると判断し
即座に全軍を京都へ撤退させると即断した

そして〈織田信長〉は家臣〈木下藤吉郎秀吉=後の豊臣秀吉〉に「殿軍しんがり」を命じて

直ちに10騎ばかりの手勢を率いて越前〈金ヶ崎城〉の戦線を離脱し
浅井領の〈
琵琶湖
〉東岸を避けて西岸から〈朽木谷くつきだに〉から京都へと命からがら
逃走
していったのだった…一方〈金ヶ崎城〉の陣で追撃押し寄せて来る

朝倉軍を迎え討ちながら、軍勢を撤退していく難しい役目である「殿軍しんがり」を引き受けた〈木下藤吉郎秀吉=後の豊臣秀吉〉は朝倉勢を苦戦しながら迎撃しつつ撤退していったが…撤退を留まっていた〈明智光秀〉と信長の盟友〈徳川家康〉の援軍を得て「殿軍」を努めあげたのであった…京都に無事撤退した〈織田信長〉の裏切った義弟〈浅井長政〉への怒り


は凄まじく後に熾烈な激戦を展開していくのであった…よって件の如し

恐々謹言卯月三十日
太閤