木曜ドラマ『それでも、生きてゆく』。
録画したものを見ました。
被害者の兄と、加害者の妹。
難しい役とテーマを、瑛太さん、満島ひかりさんをはじめ
役者の皆さんが全身で「生きて」いらっしゃいます。
見ごたえがあるドラマだなあ。
これから、注目していきます!!
「どんなにつらいことがあっても、くるしいことがあっても、
かなしいことがあっても、
それでも生きてゆく。」
素晴らしい言葉だし、これを目標にして生きてゆくのは、この上ないこと。
だけど、この「どんなに」という言葉の重み。
「どんなことがあっても、生きてゆく」
この言葉は、まだそう言って耐えうるほどの苦境にしかいないとき
だからこそ普通私たちは言えるのかもしれない、ともときどき思ってしまう。
大切な人を悲惨な形で失い、そこから派生してゆく
さまざまな苦しみや傷を負っても、
それでも私は「なにがあっても」「生きてゆく」と言えるのだろうか。
簡単に、「どんなことがあっても」と言ってしまいがちだけど、
その言葉の重みはどれくらいなんだろう。
考えてしまいました。
人が生きるのは、不思議なこと。
哀しくて、悲しくて、辛くて、苦しくて、
それでも、ふいに感じるめいっぱいの
幸せと切なさと、楽しさと、胸の痛みやいとおしさ。
恋をせずに、人は生きてゆけないのかもしれないあなんて
思ったり。
高2、3年のときに
読んで衝撃を受け、一番こころに残った小説があります。
恋ってこういうものなのかと。
姫野カオルコさんの『ツ、イ、ラ、ク』
近畿地方の小さな町が舞台となっています。
主人公は、森本隼子(もりもとじゅんこ)。
小学生のころから、どこか他の子よりも落ち着いていて、
一見すると冷めたようにも見えて、大人びていて
早熟な感じを受ける、不思議な美しさを持っている彼女。
そんな隼子が、中学二年生の時、
人生をかけた恋をする相手に出会います。
相手は河村礼二郎(かわむられいじろう)。
24歳の、国語教師として赴任してきた
男性でした。
(以下結末は書いてありませんが、少し
詳しいのでネタばれ嫌な方は見ない方がいいです><)
☆☆☆☆☆☆
はじめは隼子は彼に興味もなく、
礼二郎も彼女を生意気な生徒だと、
いい印象は持ちません。
しかしやがて彼女は彼に興味を示し、
彼も彼女がなぜか心に引っかかってゆきます。
そして、夏、二人は遂に体の関係を持ってしまいます。
そこからは転がり落ちるように恋に嵌ってゆき、
逢瀬を続けるようになります。
それはだれにも知られてはならない
ことでした。
しかし、思いもよらぬところに綻びが生じ、
二人はやがて脅かされてゆきます。
それから、19年後・・・。
☆☆☆☆☆☆
はじめ読んだときは、
性描写もある程度普通に書いてあったので
びっくりしたし、その他の文章表現も、
性に関することだけでなく、
どこか生々しくはっきり書いてあって、
軽くショックを受けてしまいました。
この小説は隼子の小学校時代から、中学、
時を経た大人になっている現在までの時間軸で
描かれています。
何より物語を一層魅力的にしてくれてるのが、
隼子の学校の同級生たち。
小学校のころから、やれ誰が誰を好きだの、
お互い騒いだり囃したてたり、傷ついたり、
男の子がみんなでエロ本を隠し読んでいたり笑、
キスだの、A・B・Cだの、言っていたり。
恋愛小説に、小学生からの出来事を書くなんて早い!
と思うかもしれないけど、こうしてみると、恋愛沙汰なんて
ふつうに小学生から経験しているのですね。
あまりの生々しさに、
「これって、本当に純な恋愛小説なの?」と、
読んでいる途中疑ったこともありましたが、
読了後、これが本物だ!と思いました。
愛情をめぐる醜さ(嫉妬、謀略)、性への興味と目ざめ、
目をそむけたり、「そんなのけがらわしい!」と
切り捨ててしまいがちなことだけど、でも、
それが真実で、人間なのであって。
そういうことを受け入れて、そういうことを含めて、
恋や愛は狂おしくて、いとおしくて、切ない、ピュアな
ものなのであると、これを読んで感じ、気づきました。
後半からラストは切なくだけどすがすがしく、
純粋に感動しました。
本の裏表紙には、
「痛いほどリアルに甦るまっしぐらな日々―」
「消し去れない痛みを胸に隠す大人達へ贈る」
『恋とは、「墜ちる」もの。
この本は、若くて幼い時、若い時、大人になってから、
その時々で、読んだときに感じるものが違い、
年を少し、あるいはある程度経てから
読んではじめて納得できることがある、
不思議で懐かしくて、いとおしい小説です。
本当にお勧めです!
ものすごーーーーく長くなっちゃった(´_`。)