4週間の滞在を終え明後日、日本に帰る母。今回も旦那の長期出張に合わせて来てくれて家事や育児といろんなことを助けてくれた。(出張が伸びてしまい母も1週間延長してくれた)
去年1年は私の体調不良のために何度も渡韓してくれて、出かけるといえば病院ばかりだったので今回は久々にソウル観光に行ったり美味しいもの食べ歩いたりするぞー
とワクワクしていた私。なのに胃炎というハプニングでまたしても病院通い&母に家事も育児もやってもらう形に…
一時はおさまっていた胃炎も今日の午後からまたシクシク。旦那が出張土産に買って来てくれたけし餅食べられへんやん…涙
情けないというか自分でも呆れるというか…「また…?」という以外に言葉は見つからず、自分と健康って縁ないんちゃうかと思ったり。体と心ってちゃんと繋がっていて、どっちかだけが元気ってことってないんやな〜ってここ数年で学んだ。ここ数年、特に韓国に来てからは体の不調に心が引っ張られることが多くて家族や友達、周りの人からは「無理するな」とか「気にするな」「ストレスためるな」と言われるけど、自分では正直何がストレスでどれが無理なのかも分からない。
韓国で生きることがストレスなのかと考えてみる。でも多分日本で生きてても同じやと思う。韓国ならではのストレスはあるけど、日本ならではのストレスもある。結婚生活はシデク関係面倒くさいけど避けて通れないのは誰でも同じ。それに良いことや学ぶ事だってある。育児は大変やけど多くの人がやってることやし旦那も手伝ってくれる。何よりテウは愛しい。結局韓国の水か空気が合わへんのか、風水とかスピリチュアルなものが関係してるのか、本来私がいるべき場所・人・環境にあてはまってないからなのか…。
年とって振り返った時に答えは見えるのか。「あぁ、あの時私頑張りすぎてたな」とか思うんかな。今思うとテウが新生児の時は自分も頑張りすぎてたな〜って思うもんな。当時は必死でそれが当たり前やと思ってたけど、今なら何で母や周りの先輩ママ達が「もっと気楽にしぃ」って言ってたのか分かるもんな。今って何で今のことが見えへんのやろう。いつもそう。一番知っときたいのに今の自分が見えへん。
考え出すとキリがないのでいつも「今生きてる場所はここなんやから」と締めくくる。やりたい事、叶えたい事は心にちゃんと持ちながら、現状ここでこうやって生きてる事を楽しみたいし誇らしく思っていたい。そういう自分でいたい。そう思えるようになってからは随分楽になったような気はするけど、だからといって体はそう簡単には頑丈にはなってくれへんみたい。
このブログを始めたきっかけが「しんどい日々の中にも楽しいことや面白いことがある。後で振り返った時に”あの時はしんどかった”の一言でくくってしまうんじゃなく、良いことにもちゃんと目を向けていきたい」と思ったのが大きかった。実際にブログを1年近く書いてきて良かったと思ってる。「書かなあかん」と思ったりして面倒やった時期もあったけど、そこを通り過ぎると楽になった。
誰かと比べて体が弱いとか、でも誰かと比べるとまだ元気な方とか、そーゆーどうしようもない事を考えてしまったりもするけど、結局は私がやりたいことをやりたいようにやれる体が欲しい。それで十分。今は旅行や1泊のキャンプすら自信をもって行けないことが悔しい。身一つでどこにでも行けた頃が懐かしくて羨ましい。
年をとっていくってこういうことなんやろうと学び始めてるのかなとも思う。実際はまだまだ早いけど体力や代謝が少しずつ落ちてきて、体や心が自分の思い通りにならない時にどうやって自分から目をそらさずに向き合い続けるか。心の鍛錬なのかもと思う。今は一時の体調不良やけど、老いという(体力的には)長く続く下り坂をどうやって歩いていけば良いのか、母の背中を見てるとそんなことを考えてしまう。
いつかテウが読んだり自分が老いて読み返す時のためにここには楽しい事をたくさん書き残していきたいと思う気持ちは変わらない。でもたまには斜め上じゃなくて自分の気持ちと平行線で書き残すのも大切かなと思う。