何度も繰り返しますが、苦労して上に這い上がった人は残念な事に下を見てしまう人がいっぱいいます。

自分という敵に勝つ事ぐらい難しい大変な難行はどうやら無いようです。

自分に勝つという事は理屈では実に簡単な事です。

私情を捨て公平に人に、部下に、周囲の人に色目を掛けずに接する事と、物質、地位、権力には無欲に、そして精神的には貪欲にという心構えさえあれば、哲人として立派に人望も集め、上でやっていけます!

芥川龍之介さんの「蜘蛛の糸」という短編小説は地獄に落ちている、生きている間、盗賊として悪い事し放題だった主人公が、一度だけの善行として道行く蜘蛛を踏み殺す事を躊躇い止めた事を思い出した天国のお釈迦様が、同じく一度だけのチャンスとして、地獄に蜘蛛の糸を垂らしその糸を伝わって登り、天国にその主人公を受け入れようとしたのに、その糸を伝わって登ってくる他の人たちに、

「この糸は俺の物だ、皆降りろ!」

と叫んだ刹那、糸はプッツリ切れて主人公も他の人たち諸共地獄へ逆戻りしてしまい、お釈迦様は深い悲しみと涙に暮れてしまうというお話です(ノω・、)

自分で言うのもなんですが、初めにお話した事を何か象徴しているような気がしてなりません。


下を見て自身の良心を否認と言う方法で麻痺させている人達を嫌というほど見てきました。

彼等の多くは巧妙な、そしてありとあらゆる方法で後ろめたい自身の防衛に努めていることが多いです!

その一例として、公共性の高い利益、良い意味での協調性をその権力を守る為に、彼らは呆れるほど恐れ、それらの健全な方向に向かって行く事を妨げます。

下の人たちが気持ち良く協力して、良い仕事、社会に対しての貢献を果たす事を、自らの後ろめたさ、地位が脅かされ、捨てられてしまうのではないかと恐れているのです。
下の人たちが全く悪意無く忠誠心でいっぱいであるにも拘らずです!

その、下からの抵抗を力でねじ伏せるためとして、いわゆる用心棒を雇い、自らの地位、財産を守っている人たちも数多く観て来ました。

周りから見ると滑稽この上も無い内容でも、それらの悪権力者達にとっては無くてはならない存在という訳なのでしょう!

こんな存在は必要悪でも何でもない、ただの社会悪に過ぎません。

残念な事に、英雄と思っていたアメリカの昔の自動車王は、最晩年、ボクサー上がりの用心棒を雇い、息子さえも見張らせていた事を知りました。

二年ぐらい前だったかな?

ある本で、従業員で品行甚だしく悪く、他の従業員にも、その企業にも大迷惑を掛けている悪党を見つけたら、経営者にとっては良いチャンスだ。そいつをうまく使って身を守り、従業員に反乱を起こさぬように監視させれば良い。と述べていた本がありました。

まともに市場に出回っている本ですよ!

もう棚の奥底に入って捜せませんが、一体この国はどうなって行くのでしょうか?

社会正義は本当に導かれていくのでしょうか?

震撼せざるを得ません( ̄∩ ̄#