今の、それぞれの企業の立ち位置で若い方は(自分と同世代も含め)営業成績を上げればよいからとにかく周りの顔色を見て売り上げを上げることだけ頑張る。企業は世代交代が激しいから業界の経緯が歴史として継承されにくい。

上の世代は老兵は去るのみ、下の世代は経験談を単に自慢話としかとらえられない貧困さが悪循環を生む。

 

オイシックスとかならいいとおもう。健康で美味しいものどんどん売って広めることでよい循環を応援できる。

食べれば無くなるものだから。ニンジンやお芋は食べればよいから置き所には困らない。

 

ところが、鉄器や漆器、陶磁器というのは、耐久性が高く、ほとんど数世代使えるものでもある。

 

それらの販売は小康状態と飽和状態と停滞期の繰り返しだということがなかなか理解できないのは情報の継承がないから。

 

しかもSNSやスマホ、転売ツールの普及で飽和のオワコンスパンがどんどん短くなってきてる。

 

昔、局番一桁、黒電話時代、陶芸ブームが起きた時は、全国の産地や窯をバスで回るファンがたくさん出て、出せばなんでも飛ぶように売れた。

 

上は三越のサロンで会期中の売り上げ記録を塗り替え、下も温泉地などで日に何度も納品するほど忙しかった。

 

当時、陶磁器や南部鉄器の置物など、大卒初任給ほど高かったのに、旅館の売店などは多い日は1日に3度店頭在庫が空になった。

 

それから、いろんな人が刺激されて作家になりだして、教室をはじめ、更に素人作家が増え、玉石石石石石石石混交ぐらいになって、ブームが去り、市場から飽きられて、食えない人が目立ちすぎて作家=貧乏のイメージが固定した。おそらく平成に入ると以降作家の地位はそんなものではなかろうか。

 

昔の先生たちの窯の大きさや邸宅の規模を考えると、または個展図録などから見る交際範囲のレベルや広さなど見るとブーム以前と以後では窯業や伝統工芸の社会的認知や地位に雲泥の差があるとわかる。その彼らですら、状況を30年以上維持することが難しかった。

 

似たような質の悪いものが乱造されれば、良いものが駆逐され、評判を落とし、市場に溢れたものは嫌気がさして見向き去れなくなる。

 

迂闊に大規模小売りや銀行にのせられて事業展開したところが更に悲惨だったことは皆さんご承知の通りであろう。

 

どんなにファン層を作ってもたちまち飽和する。市場は狭く奪い合いで枯渇する。

 

現在、どこが小康状態で、何が飽和状態で、誰が停滞期か観察できる業界があるので見てみると良い。

 

昭和に年商何十億売って、平成に留保使い果たして、令和に孫が頑張ってるところが結構ある。

 

その孫は爺さんや親父が何に失敗したか教えられないまま、小康状態で突っ走ってる。

 

そしてそれは爺さんの時ほど素晴らしいものかどうかは怪しい。

 

重ねて言う、スパンが短くなってる。

 

どこでスパイラルを断ち切るか、または安定した質の高い仕事はどうすればできるのか。

 

消え物でない、生産稼業選んじゃった人は

考えるしかない。