試験場でお酒を出すと、皆さん安いお酒でも気にならないようです。

実は試験場では、ガラスでも、陶器でも、そのカテゴリの製品で最大限に物の味を崩さずバランス、スペックを維持再現するもの、さらに条件が整えばポテンシャルをひきだすものを普段使いしています。

 

これがお酒のグレードを上げていることに多くの方が驚かれます。しかし実際はグレードは上がってません。それがその酒の本来のスペックです。酒業者は客の機嫌を損ねるので言わないでしょうが、一般の皆さんの器のチョイスが間違っていてどんな上等の酒も「不味くして飲んでいる」のがどうやら原因のようです。

 

酒の味は器の口当たりだと思っているかたが一般のみならずいまだに作家にも多くて70年は停滞したと閉口するのですが口あたりでは、物の味は変わりません。あれは感触と言います。実際物の味や香りが変わるのは器のマテリアルによって瞬時に変化するものです。70年と言うのはちょうどその頃物づくりが生活、精神文化と切り離され、単なる商材消費財となって過去の積み上げられた常識と断絶した時代なのです。戦争と言うものはしてはなりませんし、まして負けてはなりません。

 

見た目だけ古風に作るのは簡単です。しかし物の味を素材の本質や伝統に則った再現をする器を作ることはこの時代では楽ではありません。

器に玩具性やパフォーマンスや安さばかり求められる時代に伝統的、言い換えればナチュラルな生活文化を支える要素を見出すのは困難です。

酒の味ひとつ満足に再現できない、そんな器ばかりの時代を乗り切って楽しみましょう。

 

一応杜氏の友人に器を色々試していただきましたが、彼自作の酒が本来の味に引き出されているのが、試験場鴻海杯と通なら薪焼き小雅杯も行けると言われました。会員開放後は滞在して試験場現地で楽しんでいただけると思います。お楽しみに。