2月21日の日記 出立にあたり
時はさかのぼり
2月5日(木)の夜でございます。
会社を半ドンで抜けた私めは家に帰り、旅の荷物を整えて、土佐行きの夜行バスに乗るべく新宿にやってまいりました。
時刻は23時、バスの発車まで30分ほど、なんともまぁ、新宿の街は本当に眠らない町、繁華街のネオンの更に奥、オフィス街には煌々と灯がともり、商業活動は24時間続くのだと実感するね。
1月に会社を辞めると決定してからの1ヶ月、有給消化で何をしようかとじっくり考えてみた。有給は40日ある、いってみれば一ヶ月、好きなことして給料がもらえるのだ。ある意味最後の自分への褒美やね。
なにをしよう、なにをしよう。 おそらく一人身最後の自分勝手の時間だわ。何をしよう。
という考えの中行き着いた結論が、龍馬脱藩の旅を実際にやってみるツアー。
なぜか、なぜだろう、
理由は少しある。
ひとつは、ここ数年、坂本龍馬の生き方に感銘を受け、彼が大好きだった。終いには俺は彼の生まれ変わりなのではないかと、真剣に思うことがあった。
続いては、彼が、土佐藩から飛び出して自分の足で日本に飛び出たのも28歳、会社を辞めて、看板と安定生活を捨てて、自分の足で立ってみようと俺が思ったのも28歳。 わぉ、奇跡。
そして最後に、このつらそうな旅を自分の足で一歩一歩クリアすれば、今後の会社で何が起ころうともある程度、あしらう事は出来るのではないかと。
そんな理由から、彼と同じことを俺も1つくらいはやってみようと。
すれば俺は彼の生まれ変わりなのか、どうかの答えが出るのではないかと。
ということで2週間前より企画していたこの一人旅の幕があけようとしている。
宿は一泊目だけを予約して、後は野となれ山となれ、リュックには寝袋も簡易コンロも入ってる、最終的には野宿でどうにかなるだろう。とたかをくくって出発じゃ。
あら、バスが来た。
乗り込むやいなや、バスは中学の部室の臭いがする。
爽快な出鼻を大いにくじかれた。
まずは、初日、深夜に移動で起きたら土佐だ。8時間、移動する部室でさあ出発だ。
2月20日の日記 脱藩旅行
さてさて、またまた久しぶりの更新です。
というのは、すこし、転職前の旅に出ておりました。
(色々な人から仕事大変ときかれますが、実は新職場は3月からで今は有給消化中です。。。)
旅と申しますのは、、、
そう、
おいらもやってみよう「坂本龍馬 脱藩の旅」、を実際徒歩で体験ツアー
その全容は四国は土佐から、愛媛の宿間というところまで100KM弱、龍馬が土佐藩を捨て、風雲急を告げる世界へ飛び出した時の旅路のルートをたどる旅でございます。このルートをおいらも徒歩で行ってみようということで、いってきました。
なんたってそりゃーもう、公道、坂道、山道、崖、川、人情の世界でございました。
開始初日で足を引きづる羽目になり、大変でございましたわい。
この写真は龍馬も愛したという、土佐は桂浜の写真です。
龍馬に関してはいろんな情報がありますが、彼を尊敬する自分としては、なんともじーんとくる場所でした。
旅自体は、脱藩ルートを含め2月5日から2月16日まで、徒歩と船と電車とバスを使いながら
土佐→愛媛→九州→京都→帰京 といった具合の旅でござい。
本日から、その旅程を自分の記憶のためにも更新していきたいと思っております。
楽しくもあり、つらくもあり、ほぼつらい、しかし、面白い旅、本編こうご期待。
1月26日の日記 千、遷都す
そう、まろ、遷都。
「住めば都。」
から考えると。
てか引越し。
いままで江戸に構えていた都を鎌倉に遷都。
江戸時代から鎌倉時代に逆巻き。
今まで見えていた窓からの風景も様変わり。
(←は旧都のベランダからの情景)
仕事変えのカウントダウンも始まり、心機一転と申すか、足元固めというか。
実は鎌倉は日本で初めて住んだ土地でもある。現在住んでいるところもそのときと同じマンション。。。
心機一転というか、分かりました。原点回帰、初心に戻るといった言葉のほうがあっとります。
いずれ鎌倉の空も乗せようと思うが、先ずはいい景色に出会う事が先決。
鎌倉時代といえば、源頼朝、元寇、、、程度の知識しかございませぬ。
ああ、あとは、一所懸命。御恩と奉公。
今の時代からは、少し考えにくい考え方。
自分の場合は、今まで奉公をし、御恩を受けた主人から離れ、終いには土地を捨て、
新しい主人に鞍替え。なんて御家人だ。
今度の主人は今までの主人と比較して、歴史は1/30、社員は1/8000、なんだなんだ
まだまだ農民一揆程度か。
三国志でいうと、劉備、関羽、張飛に、趙雲が加わるか加わらないか程度の次元。いや
それ以下か。
うーむ。こう考えると、これからだ。
3月から始まる、新しい冒険。 過去の英雄達のように新しい秩序を作りに行こう。


