顎関節症の最近の考え方

近年、顎関節症の病態についての理解が進み、国際的に顎関節症に対する考え方は統一されつつある(表1)。

顎関節症は1つの疾患ではない。

つまり、顎関節症は、顎が痛い、音がする、口が開かないといった症状を示すが、その病態は、咀嚼筋と顎関節の問題で生じる、単独、あるいは重複した障害の包括的診断名なのである。

それゆえ顎関節症を考えるときに、どのような病態の顎関節症かを考えなければならない。

しかし顎関節症の病態診断を行うにあたっては、顎関節症と同じような症状を示す疾患や障害が多いことから、顎関節症の鑑別診断がまず重要となる(表2)。

この中には早期に対応を行わなければ致命的になる疾患も含まれているため、常に顎関節症ではない可能性を考えて対応する必要がある。

一方、顎関節症は、線維筋痛症や慢性疲労症候群などの、機能性身体症候群(医学的に説明困難な症候群)と共存することがある。

顎関節症と診断できても、症状の訴えが強く、咀嚼筋、顎関節以外の症状を示す場合には注意が必要である。

ちなみに顎関節症であるとの診断が困難なときには、少なくとも以下のポイントを確認するとよい。

顎関節症による開口障害では下顎頭の回転運動は制限されないため25mmは開口可能であり、感染症や神経性の疾患ではないので腫脹、神経脱落症状、発熱をみとめることはない。

また、リウマチのように他の関節に症状がでることはなく、急な関節円板転位などにより安静時痛が生ずる場合があるが、基本的には安静時痛は認められず、運動時痛を示す場合がほとんどである。

顎関節症を考えるときに触れられることが少ない大事なポイントがある。

通常、痛みの分類として急性と慢性という分け方がある。

急性痛は主に侵害受容性の痛みであり、痛みの刺激が消失し組織が治癒することにより痛みは消失する。

一方、慢性痛は局所的な原因が消失しても痛みが持続するため、痛みそのものが疾患であるだけでなく、それに伴う様々な症状や訴えをすべて含めた1つの疾患として捉えられている。

最近の脳機能研究において、急性痛では感覚系、慢性痛では情動系の回路網が活動していることから、同程度の痛みを訴えていても、慢性痛になると痛みの源がもはや末梢組織には存在せず、情動部に対する対応が必要であることが示唆されている。

また、痛みには必ずストレスなどの心理社会的要因が関係している。

特に顎関節症の場合、心理社会的要因により交感神経が優位に働き、緊張のため噛みしめが強くなるなど咀嚼筋や顎関節への負荷が強まることで、顎関節の機能障害や痛みが誘発されることが多い。

例えば、仕事が忙しくなると顎が痛くなる、口が開きにくくなる等である。

そしてこれは急性痛よりも慢性痛により強く関係してくることから、慢性の顎関節症を扱うときには心理社会的要因について把握し、症状との関係を患者が気づくよう促すことも必要となる。

このように顎関節症は、以前考えられていたように咬合要因が単独で強く関わっているということではなく、様々なリスク因子が発症、維持、永続因子として積み重なり、個人の許容範囲を超えると発症するとされている(表3)。

そしてこの個人の許容範囲を大きくしたり小さくしたりする要因の1つが、心理社会的要因ということになる。したがって治療は、多くのリスク因子の中から軽減しやすいものを減らすこと、そして個人の許容範囲を増やすために、心理社会的問題への対応法を自らが習得するよう指導することが重要となる。

最も減じやすいリスク因子は行動要因であり、その中でも生活習慣や悪習癖を改善することが重要となる。

このように、顎関節症を難しくしている大きな要因は、個々のリスク因子、心理社会的要因が異なることから、病態は同じでも、それぞれの状況に応じた対応法を指導する必要があることであり、現在、顎関節症の治療を行うにあたっては、患者が顎関節症という疾患と自身の病態を知り、自分の病態にあったセルフケアを習得するよう指導すること、すなわち疾患教育(患者教育)が重要となっている。

1990年ごろより質の高い研究によってエビデンスが蓄積され、顎関節症が自然経過の良好な疾患であり、初期治療として適切な対応を行えば、そのほとんどが早期に症状が改善することが分かってきた。

よって顎関節症の初期治療においては、症状改善のための咬合調整、咬合再構成、歯科矯正、外科治療などの侵略的で不可逆的な治療を選択するのではなく、良好な自然経過を促進するための、保存的な可逆的治療を選択することが推奨される。

当然、不可逆的な治療が必要な場合もあるが、症例によっては、早期に不可逆的な治療を行ったために、かえって症状を悪化させてしまうケースもみられることから、日本顎関節学会ではガイドラインの中で、顎関節症における初期治療として症状改善のための咬合調整を行わないことを推奨している。以上のようなことから、顎関節症における現在の初期治療では、良好な自然経過を助けるためのセルフケアの重要性が高まり、プロフェッショナルケアは、必ずセルフケアと合わせて行われるべきであるとされているのである。

 

 

表1 顎関節症に対する世界の共通認識

1.顎関節症は臨床症状が類似した病態の異なるいくつかの症型からなる包括的診断名称である

2.生物・心理・社会的モデルの枠の中で管理される必要がある

3.症状の自然消退が期待できる(self-limited)疾患であるゆえ、まず可逆的な保存治療を優先させる

4.プロフェッショナルケアは、必ずセルフケアと合わせて実施されるべきである

 

 

表2 顎関節症と鑑別診断を要する疾患あるいは障害

Ⅰ.顎関節症以外の顎関節・咀嚼筋の疾患あるいは障害

Ⅱ.顎関節・咀嚼筋の疾患あるいは障害以外の疾患

 1.頭蓋内疾患:出血、血腫、浮腫、感染、腫瘍、動静脈奇形、脳脊髄液減少

  症など

 2.隣接器官の疾患

  1)歯および歯周疾患:歯髄炎、根尖性歯周組織疾患、歯周病、智歯周囲炎

    など

  2)耳疾患:外耳炎、中耳炎、鼓膜炎、腫瘍など

  3)鼻・副鼻腔の疾患:副鼻腔炎、腫瘍など

  4)咽頭の疾患:咽頭炎、腫瘍、術後痕など

  5)顎骨の疾患:顎、骨炎、筋突起過長症(肥大)、腫瘍、線維性骨疾患な

    ど

  6)その他の疾患:茎状突起過長症(Eagle症候群)、非定型顔面痛な

    ど

3.筋骨格系の疾患:筋ジストロフィーなど

4.心臓・血管系の疾患:側頭静脈炎、虚血性心疾患など

5.神経系の疾患:神経障害性疾痛(三叉神経痛、舌咽神経痛、帯状疱疹後神経

  痛など各種神経痛を含む)、筋痛性脳脊髄炎(慢性疲労症候群)、末梢神経

  炎、中枢神経疾患(ジストニアなど)、破傷風など

6.頭痛:緊張型頭痛、片頭痛、群発頭痛など

7.精神神経学的:疾患抑うつ障害、不安障害、身体症状症、統合失調症スペク

  トラム障害など

8.その他の全身性疾患:線維筋痛症、血液疾患、Ehlers-Danlos

  症候群など

 

 

表3 顎関節症の発症、維持、永続因子に関与するリスク因子の種類

1.解剖学的要因  顎関節や咬筋の構造的脆弱性

2.咬合要因    不良な咬合関係

3.外傷要因    かみちがい、打撲、転倒、交通事故

4.精神的要因   精神的緊張、不安、抑うつ

5.行動的要因   1)日常的な習癖:上下歯列接触癖、頬杖、受話器の肩ば

            さみ、携帯電話の操作、下顎突出癖、爪かみ、うつぶ

            せ読書

          2)食事:硬個物咀嚼、ガムかみ、偏咀嚼

          3)就寝時ブラキシズム、睡眠不足、高い枕、硬い枕の使

            用、就寝時の姿勢、手枕や腕枕

          4)スポーツ:コンタクトスポーツ、球技スポーツ、ウイ

            タースポーツ、スキューバダイビング

          5)音楽:楽器演奏、歌唱(カラオケ)、発生練習

          6)社会生活:緊張する仕事、PC作業、精密作業、重量

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