私達は知ラナカッタ。
あの日、
多くの人が泣いて、
多くの人が亡くなった
あの日———。
だが私は3日前、
夢のなかで———
地震が起こり、避難した学校の4階から私は
黒くて臭い海が
校庭を多い尽くしていく光景を見ていた———。
3月11日———。
先輩方の卒業式。
先輩と話して笑ったりしたあと私は
友達と本屋さんで
遊ぶ約束をしていた。
学校から家に帰ったら
疲れていたのか、
私服でぐたーっとして
しばらくテレビを
見ていた。
もうそろそろ行かないといけないと思い、机の下に避難させておいたゲーム機を取り出した。
その時、母が
『地震!?』
と叫ぶので一応その机の下に隠れた。
確かに揺れている。
いつもの微妙に強い揺れかと思っていたら
突然強く揺れだした。
慌てて私は机にしがみついた。
私の部屋は棚の上に、
あたったら確実にあの世行きになるくらい重いものを乗っけていたので、CDプレイヤーやいろんなものを乗っけていた棚が倒れてきていた。
揺れがおさまり、私は机の下からでようとした。でもものが倒れすぎて
でられなかった。
幸い、母がいたため
でることが出来た。
あの時ダラダラしていなかったら私は階段から落ちていたかもしれない、と考えるとゾッとした。
次に私と母は弟がいる
小学校に向かった。
小学校は私の家より
海に近かった。
小学校に行く間の道は
私の知っている道ではなかった。
道路がぐちゃぐちゃで
コンクリートにひびがはいっていたりしていた。
小学生は皆校庭に
避難していた。
校舎の中にいた方が
安全なことを知らずに。
そのときは津波警報が
でているとは思いもいなかった。
だが東部道路のおかげでギリギリ津波は来なかった。
またこの話になるが…
もし東部道路が無かったら私は普通のように津波に流されていた。
この偶然に感謝しなくっちゃならないとあらためて思った。
雪が降ってきたのと津波から身を守るために校舎の3~4階に避難した。
4階にきて、私達は
校舎の真ん中にある、
ホールという場所に
避難した。
窓からは雪で外の様子が見れなかった。
何回か強く揺れたあと
外はあり得ないほど
晴れた。すごく変な天気だと思った。
体育館に移動して小学生は学年ごとに並び、保護者を待った。
小学校の先生は
パイプ椅子と
冷えないようにと言って体育館倉庫からマットを出してくれた。
そのとき父はガス会社の仕事で忙しくしていた。
震災から約2週間
私達は小学校にいた。
その間、私は弟の同級生達と遊んだり、先輩達と会ったりしていた。
ちなみに弟達と
遊んだときの写真…w
一番下でうずくまってる人は弟の同級生の
父親です

赤チェックは私で
青チェックが弟です
(`・ω・´)
長々と
お疲れさまでした…
ちなみに…
これ2日かけて
書いたり書き直したりしてましたw
出来れば3/11に更新したかった
ヽ(><ヽ)
ヽ(><ヽ)でぁ


