産休に入って半月が経過しました。
「自由だぜ!やった!」というよりは、どこまでも堕落する可能性を秘めているので
我ながら怖くて仕方がないという気持ちが先に立って。
最初に「to doリスト」と、以下のルールをつくりました。
* 寝巻き起き巻きしない
* 新聞を読む
* 決まった時間に昼ゴハンを食べる
* 「to doリスト」から、一日最低ひとつは片付ける
ルールがあまりに低レベルすぎてお恥ずかしいけれど、結果として、最低限の防波堤
として実に役に立っています。
やっぱり自分のことは自分がよくわかっていた・・・
で、新聞なのですが。
産休前はまったくと言っていいほど、読んでいませんでした。
これが真面目に隅から隅まで読むと、今の私には実に2時間かかります。
とくに前半の政治・国際・経済のところ・・・苦行にも近くて、ちょっと気を抜くと、
ぼーっと字面だけ追っていて頭に入っていなかったり・・・それを、いかんいかんと
自分を呼び戻して読んでいます。
一日2時間を新聞読みに充てられるって、考えてみればいい身分なのですが。
でも2週間すると、さすがに読めるようになってくるから不思議です。
ニュースも連載も話がつながってくるというか。
投書欄や川柳(!)なんかも結構面白いんだよなぁ。
うちの母は本当に文字通り、新聞を隅から隅まで読んでいました。
山梨のローカル紙では、今もやっているのかわかりませんが、どういう仕組みなのか
わからないけれど、普通の一般市民の誰が結婚したとか、生まれたとか、
亡くなったとか(通称:お悔やみ欄)まで載っていて、「あなたの同級生の○○ちゃん、
結婚したみたいよ」なんて母のほうがよく知っていたり。
そんなところまで毎日チェックって、どれだけ暇人!とからかっていましたが。
思い起こすと子供の頃、なんていうんだろうか、いわゆる社会の仕組みっていうのか、
そういうことに関する質問を父や母にするとだいたい答えてくれて、なにげにやっぱり
大人はすごいなぁって思っていました。
考えてみれば、あれは新聞から得る知識が元だったに違いない。
もともと情報はインターネットやテレビで充分派だった私。
ダンナさんが新聞をとりたいと言ったときには、「古新聞出し、自分でやってよ。
それなら、とっていいよ。」なんて、足元をみた発言をしていました。
しかし、よく考えたら、毎日この情報量でこのコストってすごいよなぁ。
生活の一部と呼ぶにはまだ日が浅いけれど、この機会に習慣にしたいです。