最近レコード屋にも演歌のCD(昭和の

オニバスみたいなの)置いてないですね~

ネットでダウンロードして
アイチューンでCDRに焼こうかと
思ったけれどやり方すっかり
忘れてしまって。現物を買うしか
なかったの。

あ、そう言えばハローズと言う24時間

スーパーでワゴンセールになっている演歌

CD見かけたと思って行ったけどすでに

撤去されていたわ。途方に暮れた私は

思い出した、

「そうだ高速のSAよ」

一番近くの高速SAに昭和演歌オムニバスが

あることを祈りつつ走りました。

「ありました!」

この閃きは天からのものでしょう。だって

それは母が生前最後の私への頼み事

だったから…。

「家にあった演歌のCDが聴きたい」

私はこの頃毎日病室に通っていて、

母の欲するものをあくる日届ける

ことを日課としていたの。

今まで食べてもなかったようなメロンパンや

焼き芋など、子供の頃食べたくても

貧しくて食べれなかったものが

潜在意識で出て来るのか?

ひと口ふた口千切ったのを食べたくらい

だったけど満足そうだったわ。

枕が痛いと言うからファンシーピンクの

やわらかい長枕を買ってあげた。

薄手の毛布もニャンコちゃんの絵柄の

カワイイファンシーピンク。

そんな日々も10日の午前5時ちょうどに

終わりました。

母の耳元で小さく流れる「涙の連絡船」が

送りの歌となりました。その瞬間、

私ははるみちゃんの歌に合わせて

歌っていました。

 

 

今夜も 汽笛が 汽笛が

ひとりぼっちで 泣いている…

忘れられない私が馬鹿ね

連絡船の着く港…。

 

母の人生に重なるような

この歌で、母は息をやめました。

 

思っていたより早くの終わりでしたが

私は不思議と安堵してました。

 

お葬式もしない直葬でしたので

葬儀屋さんで死装束に着替え、

お棺に入れられ斎場で一夜を明かし、

朝一で天に昇って行きました。

 

炉に入る前にはお棺に

ささやかな花束と、病室で着ていた

カーディガンと、在宅介護で

着る予定だったピンクのニャンコ柄の

パジャマとヤマザキの三色団子を

入れました。

 

そして般若心経を唱え、弟と共に合掌

、そして点火しました。

 

両手に収まる母を家に連れて帰った後

気分転換に愛犬2匹と散歩に出かけた

大きな池のほとりで佇み、

小さなさざ波をじっと見つめていたら

空の上に死装束姿の母が両手を広げ

まるで飛行機のように自由に飛んでいる

イメージが見えました。

 

人生の色んなしがらみから解放され

自由になったんだね…。そう思いました。