11月も下旬に差し掛かっていました。
ユリコさんは私の言う通りに、タツヤさんとの恋愛運気と波動がシンクロする日に、必ず波動修正と縁結びのお電話をくださいました。
ご祈祷も3回くらいを過ぎた辺りから、彼女の心はとても前向きになられたそうです。
朝起きた時の重くどんよりした感覚も無くなり、タツヤさんから連絡が無くても、彼はきっと私を必要としてくれている、と確信を持てるようになったのです。
ご祈祷を始めた当初は、オーラの浄化や「エネルギー交換」の影響で多少情緒不安定気味になったようですが、オーラが安定して来るとタツヤさんからのメールの返信が無くても動揺したり、不安になったりしなくなりました。
私のアドバイス通りに短い励ましのメールを送り続けることで、私がユリコさんに施したご祈祷のパワーが
「魂のご縁」で繋がっているタツヤさんにも届くようになりました。
そして水面下で彼は徐々に心を開いて行ったのです。
4回目の縁結びの2日後、なんと2ヵ月ぶりに彼の方からメールが来たのです。
面白くもおかしくもないタツヤさんの近況に続いて、遠慮がちにこんなことも書かれてありました。
「最近、愛がわかった気がする」と。
ユリコさんは9歳の時にお母さんを乳癌で亡くされていたのです。
長距離トラックの運転手の父親は週に3日ほどしか家に居ませんし、お酒を飲んで寝ていることが多かったので、ユリコさんはお母さんの代わりに家事をし、5歳下の妹の面倒を見たのです。
学校から帰って来たユリコさんに、妹が言いました。
「知らないおばちゃんが寝てる」
上と下とで3部屋しかない県営住宅の2階の4畳半の襖をそうっと細く開け、目を凝らすと、見慣れた父親の毛むくじゃらの足に絡みつく、大根のように白い足があったのでした。
11歳のユリコさんはそれがどういう意味なのかは何となくわかっていましたから、また襖を閉め、音を立てず階下に戻りました。
母の形見として、今でも大事にしているものがあります。それは3センチほどの、ドロップ型をした幻想的な深い緑と青に金色の百合が描かれたベネチアングラスのペンダントトップです。
「お母さん!それなに!きれい!どうしたの?」
「デパートで見つけたのよ、ユリコの百合が描いてあるのよ、でなきゃ買わなかったわね。そのうちユリちゃんにも似合うようになるでしょ」と、ふっくらした輪郭の優しい目が更に細くなりました。まるで三日月みたいに。
ビロードの箱に仕舞いながら、横顔でお母さんが言いました。
「お父さんには内緒ね」
ユリコさんの知る限り、お母さんは高価なアクセサリーは何ひとつ持っていませんでした。結婚指輪さえ見たことが無かったのです。
その半年後にお母さんは天国の人になりました。
私は思いました。お母様は無意識のレベルで死期を悟っていらっしゃったんだわ、と。
そしてユリコさんに小さくても「思い出」を残したかったんだわ、と。
ユリコさんは後年ヴェニスの旅行で知りました。母の形見の故郷がヴェニス(ベネチア)であることを・・・
【18日につづく】