私のコンプレックス。とてもたくさんあります。

 

まず石臼のような体形、これは骨格ですので、いくらダイエットしても無駄だと過去の経験から知っています。

 

 

顔も大きめで、中2の時に、とあるキリスト教の宣教師の方に、あなたは顔がひと回り大きいから舞台役者になればいいと言われました。まだ客観的に自分を知らなかったので、正直ショックでした。

 

 

『私は人と違う』ということは、人並みの幸せは得られない、ということではないか?と不安になったものです。14歳の私から、無邪気さが消えた瞬間でもあります。

 

 

顔立ちについても、好ましくないことばかりです。

 

 

アップノーズで短く、小ぶりの鼻は最大のコンプレックスですし、人中と言われる鼻の下が長く、全体的に締まりのない印象を与えてしまっています。

 

 

そんな自分でも、自分らしいファッションやヘアスタイルで、『人並み』になれると信じて東京に出てきましたが、その望みはことごとく玉砕されてしまいました。(笑)

 

 

この世には容姿による優劣が存在すること、そして、この世には『物を売るための基準』があって、心の美は二の次三の次になってしまっていることに、20代30代の『苦行?』の中で知ることになるのです。

 

 

自分のせいでない理不尽を私はたくさん知っています。

 

 

身悶えしながら、のた打ち回りながら、知った現実です。

 

 

別に知りたくなかったけれど、仕方あるまい。

 

 

神様はどうして、同じ規格の人間ばかりをお作りにならなかったのか?と恨めしく思ったことさえありますよ。

 

八百屋で売られている大根やリンゴも、我々はまず姿かたちの良いものを選別します。そのように人も美醜によって選別されているようで、私は悔しかったのです。

 

一時期私は『醜形恐怖症』になったことがあります。

 

 

美容外科のカウンセリングに血眼で回った時代もありました。しかし実際に整形した鼻のシリコンが不自然で、5年後には抜きました。(今のは天然鼻ですよ♪)

 

 

昔、ディズニーランドのアルバイト募集の応募要項に、『容姿端麗であること』と書かれていたことを思い出しました。うら若き私は、怒りとも絶望ともつかぬ複雑な感情を覚えたものです。

 

『ああ、これが現実なのね』と思い知ったものです。

 

個性は大切なものよ!そして頑張っていればどんな人もみんな平等に幸せになれるのよ!という私の高度成長期の弊害とも取れる過度な道徳教育で培ったモラル?はバブル華々しい東京で、見事に打ち砕かれてしまったのでした。

 

今となってみれば、確かに美醜なんて基準すら、実はあってないようなもんだな、とわかるのですが、コンプレックスの塊のうら若き私には『私が不幸なのは、私が美しくないからだ』と思わざるを得なかったのです。

 

そう思うことで私は反骨精神を育てたようなものですし、決して美しいと言えない自分だったからこそ精神世界にも出会い、今このお仕事をさせていただけいるのも事実です。

 

 

この頁がここで終われば、人の幸せは美醜で決まることになってしまいますので、次回は『挽回編』を綴りたいと思います。

 

ブサイクの逆襲、とても言いましょうか?(笑)

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