”自分の中の"女神さま"。” | 好きなものは好き、嫌いなものは嫌いでいい。

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なかなか 上がり調子になれない今日この頃。
HAPPYさんのこの記事からも2週間たっちゃいましたが、


まぁ気にしない。
ゆっくりじっくり休んでいますウインク



自分自身にすらシークレットにしていることも、(本来の自分、魂の自分は知っている)その時がくれば 


「そういうことね!」


とパズルのピースがピタッとはまる時がくる。
そのピースが集まると、もっと大きなパーツが見えてくる時が その後にあって



なるほど〜こう繋がるのねニコニコ


ってな具合ニコニコ




パーツが更なるパーツと組み合わさって一枚の絵になるときは どんなことになるのだろう?と毎回 ニヤニヤしちゃいます。




今は、ピースがはまって 、
正直「やっぱり」な感じ。



体の異変に、なんかね、覚えがあったのです。
これってもしかして・・・・っていうのが、当たってたニコニコ



このお話がシークレット解禁になったら書きたいな〜と思うのだけど、もう少し先のことになりそう。



まぁそれはさておき、このHAPPYさんの記事。


「女神と騎士」



この例えが、しっくりきすぎる〜

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女が”子供”を産み、
男は”それ”を『守る』という行動をする。
 
この性質を誰もが『己』の中にもっていて
 
自分の中に世界を創り出す、産み出す『女神』がいる。
 
その『女神』の願いを、自分の中の男性性を使い”行動”を通じて叶えてあげる。
 
その『女神』に、”常識”はない。

どこまでも自由で、どこまでも奔放。



女神”の願いを”騎士”が叶える。
 
この女神、気性が激しいため
あんまり願いを無視ばかりすると最終的に大暴れし始めます。
 
『イライラ』って感情で気付かせようとしてくる。


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HAPPYさんの記事の文中のこちら、


女性性と男性性の話でもあるんですけど、その一言で片付けられないお話。



子宮委員長はるちゃんも以前同じようなことを書かれていたと記憶しています。



HAPPYさんの「女神」と表現されているところがはるちゃんは「子宮の声」と表現されている。



はるちゃんの記事を読んだ時も


そうそうそう!おねがい


って大きく相槌をうったもんです。
HAPPYさんのこの記事は更にもう 


そうそうそう!✖100


ぐらいの共感。
頷きすぎて、もはやヘッドバンキングにしか見えないほどw




そして うちの女神も気性が荒いのよね〜(泣)



この一年、女神に


「休みたい」


と言われて 願いを叶える為に騎士の私は、泣きべそをかきながらもよくやったと思う。



たくさん周囲の人にも迷惑をかけた。
今までの私だったら できなかったようなお願いも震えながら泣きながらでもしてみた。



こんなこと言う私は人としてダメなんじゃないの?



私の中の「常識」が私を責めはじめる。
それでも どんなことをしてでも「女神」の願いを叶えたかった。




どんなに周囲からみっともなく思われようとも 「女神」に笑ってほしかった。




そして騎士の私がなりふりかまわず女神の願いを聞いていくことでわかったことは



「世界は優しい」


だったんだよね。



「女神」という女性性の私の願いを「騎士」という男性性の私が叶え続けた結果、



こんなことして、こんなこと言って迷惑をかけたな〜と思っていた相手から 大切にされて、「愛されている」んだなって
ここに愛しかないんだなって思うようなことしかおきなかった。




騎士が女神を大切にしたら、世界から私は大切にされた。



だって騎士も女神も私だから。
それが私の世界に反映された。



おっかなびっくりしながら飛んだバンジージャンプの先の世界は優しかった。




HAPPYさんが女神に「ラーメン」と言われて男性性を使って行動して叶えてあげたと書いていましたが、



私も女神に「○○のパンが食べたい!」と言われて 


熱があってフラフラなのにパンかよ!


と正直思いましたが、女神がパンだって言っているので 上着を羽織ってよれよれになりつつもパン屋に走ります。



熱あるし、めんどくさいし、風邪だからパンじゃなくて おかゆでしょ?
だってパン屋まで(近所だけど)行くのしんどいわ〜



ってこっちの 「常識」とかにつまずいて 女神のオーダー無視すると 治るコンディションもむしろ荒れます真顔



1年かけてこのレベルの女神の願いだって無視することは、もはや できません。
絶対服従。


HAPPYさんのラーメンの話しと被ってて ちょっと笑えた笑い泣き



そして HAPPYさんの記事のこちらの文章。


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 自分の機嫌をとるために

「恐れを超える。」

自分の機嫌を取れば取るほど
恐れが手離れ
自分の機嫌はよくなり

中心の意識で鎮座できる。

それはすなわち

意識の解放、自由を手に入れることだから
 
目の前の"他人"の意識の解放も

存在するだけで起こすことができる。

自分の機嫌をとることは
他人に迷惑をかけるかもしれない...
自己中、わがままってみんな悪い意味で捉えるけど

自己中心意識(自分の中心に意識が在る)
我がまま(われがままで在る)

とは、みんながその状態で在れることを
望んでるわけだから


自分の機嫌を取ることが
他人を1番1番幸せにしてあげれる。

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これを読んでね、自分を愛する大切にするってことを通してでしか本当の意味で他人を幸せにできないって 改めて思ったんだよね。



昔の私だったら こんなこと言われたら
「自分が幸せだったら他人が幸せってどういうこと?都合よすぎじゃない?」なんて思ったけど、



結局それは、「自分」と「相手」が分離していたら そう捉えるのかもしれないけど
「波動」として考えたら 同じだよね。



だから「私」の波動がご機嫌になったら、私の周囲の「他人」の波動だって 「変えよう」としなくても そうなっていくっていうことなんだろうなって思うとしっくりくる。



「私のご機嫌を取る」ってなんだろう?って考えたら、先月 レンタルしてきて一気に見たドラマ「JIN〜仁〜」を思い出した。



タイムスリップしてお医者さんが過去と未来を行き来して 時空を越えて 願いを叶えるって感じのストーリーなんだけど、



原作が漫画で、この作者さんがなにかのインタビューでコメントしていたのが頭に残ってた。


「作品の中だけでも 性病に苦しむ遊女を助けたかった」


ドラマの中では 仁先生がペニシリンを製造して、たくさんの遊女を梅毒から救うシーンが確かにあるのだけど、そのシーンこそが 作品の中に込められた作者さんの「願い」のひとつなんだな〜と感慨深く思う。





私には いくつかの「過去世」の記憶がある。




何千、もしかしたら何万と生まれ変わっただあろう過去世のなぜ 、このいくつかの記憶だけが
今世で浮上してきているのか 疑問に思ったことがあった。


でもね、覚えているものは 全て共通点があった。



ドラマを見て、HAPPYさんの記事を見て気づいた。



私はどんな時(時代)の私の願いだって叶えたい。


あの泣き叫んでいる女神の願いを叶えたい。
私の中の騎士がそう切望する。



だから この記憶を思い出している。
私がどう繋がるかわからないけど 必死でやっていることの答えは これなんだな。



そんな風にやっとこの気持ちがブログに書けたなぁ〜なんて思って、体調不良でここのところ読めてなかった大好きなブロガーさんたちのところを訪問していたら、


子宮委員長はるちゃんが2日ほど前に



わたしが存在することで、
誰かが元気になってくれればいいなと。
その誰かはいつも「過去の自分」。


って書いていましたニコニコ


めっちゃシンクロ!