どうしてを考える | 好きなものは好き、嫌いなものは嫌いでいい。

好きなものは好き、嫌いなものは嫌いでいい。

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数年前から 違いをハッキリと勇気を出して伝えるということを頑張っている。

嬉しい、嫌、好きと感じることは人それぞれで、そのことを全く感知せずに生きている人がたくさんいるということに日々うちのめらされて、驚かされて生きてきた。


自分の好きや嬉しいことは相手も好きで嬉しいに決まっていると信じて疑わない人種。

困ることをうっすら伝えてみても『遠慮しないで!』と鼻をぷっくりさせながら、目をキラキラさせて差し戻してくる人種。

……苦手だ (´-ωー;)


相手が親切でしてくれたであろうことでも私は嬉しくないし、好きじゃないし、むしろ嫌だな~と感じてしまうんです。 と伝える勇気。


ひどい!喜ぶと思ったのに!
よかれと思ってしたのに!

正直に気持ちを伝えたら 誠意を踏みにじった悪いやつ的な対応もされることも しばしば。

私からしたら 『喜ぶか喜ばないかは相手が決めること』というのが、ごっそりない相手の言い分が理解できない。

相手からすると 親切でしたことを受け取らないうえに自分の誠意をふみにじる私が理解できない。

違いを伝えあうことは相手との理解を深めるのに有効だと思うのだけど

違いを伝えると 『否定された!批判された』と思ってしまうタイプの人もいる。
感情的にそういう内容を言われると
イライラしてしまう。
違いを伝えあってケンカをしても
違いを認めあえるに着地できれば、それは 『いいケンカ』だったと私は個人的に思う。

が、『違い』を批判や否定されたと固執する人々とは、この『いいケンカ』ができない。 毎回。

なのに 『なんで』こうなる出来事があるのかな~?と考えてみる。

大きな視点でできるだけ俯瞰して
え?まさかそこ?ぐらいの視点。

ふむ。
一休さん並に考えた。

ぽくぽくぽく ちーん。

『違いを伝えてケンカになってわかりあえなくても殺されたりしない』

という安心の上で やりとりをしてみたいと実は思っている。

が浮かんだ答えだった。

なんだろう…すごく附におちた。

例えば行われてる政治と違う考えの政治を求めたり、声に出して発言しただけで 、違いを言っただけで 殺されてしまう国が未だにあると聞く。
違う考えを伝えても殺されない現代の日本にいる幸せを感じる。

わかりあえないけどただのケンカですむという幸せ。

命まではとられない。