そろそろ・・・
とうとう、出産予定日が来週になってしまいました。 先週辺りからおなかが痛くなったり、なんでもなくなったりを繰り返しているのですが、前駆陣痛というものらしく、なんだか落ち着かない毎日を過ごしています。
さて、この数ヶ月、毎週食べ物のことについて色々書いてきましたが、人から話を聞く限り、子供が生まれたら生まれたで、暫くは書きものをしている余裕はなさそうで、当面文章を載せるのをお休みしようと思っています。 ・・といっても、再開の目処は特にないのですが・・(笑)。
これを書き始めた頃は、食べ物のことについて右も左も分からなくて、少なくとも出産直前まで書き続けられればいいかな・・と思いつつ、そんなにネタは無いかもと思ってました。 でも、実際直前まで続けられて、「食べ物」って奥が深いなーと思いつつも、ほっとしています。
ただ、何も知らないところからスタートしただけに、知らないが故の安易な意見を書いてしまう可能性や、知っていく上で自分の考えが変わっていくことに不安もありました。不特定多数の方が見る場なので、もし不快な思いをされた方がいたら、申し訳ございません。この場をお借りしてお詫びします。
そしてこの半年あまり、あまり書きはしなかったのですが、実は妊娠に伴う嗜好の変化にはよく振り回されていました。でも、もともと和食が好きで、あまりこってりしたものを食べなかったせいか、今のところ体重増加も少なくて、体のコンディションはばっちりとお医者さんに褒められています。体質なのかもしれないけど、特に何の努力もしないでこの体重は珍しいらしいです。和食、お勧めです。
あとは出産ですが、どうなることやら。。実は、心配だったりもしているのですが、あまり考えてもしょうがないので、ゆったりと過ごすように心がけます。 でもなんだか、この期に及んでも実感がないんですけどね~。実家の猫を抱っこしながら、「これより可愛いのかなぁ・・。」なんて感じです。きちんとした母になれるんでしょうか??
でも、これからも、食べ物とは長いお付き合い。子供が出来たら、また違った視点で色々考えることも出てくるかもしれないですね。今後もコツコツ食べ物については考えていきたいと思っています。
それでは、今まで私の拙い文章を読んでくださった方、ありがとうございました! 取り急ぎ、お礼まで。。
食育考2・・というか教育の話
最近本屋さんにいくと、子供の教育に関する雑誌がメインの場所に沢山平積みになっているのを見ます。もしかしたら、興味がちょっとあるので、目に留まるのでしょうか?それとも、実際こういった雑誌が実際に増えているのでしょうか?
特に目立つのが、受験に打ち勝つ方法や、頭の良い子の育て方・・・等。 今まで、中身を見たことがなかったのですが、昨日パラパラとめくってみると有名大学に入った学生がどういう教育を受けてきただの、高学歴高収入の家庭がどういう教育をしているか等のオンパレードです。勿論、有名校だけではなく、スポーツや芸術の世界で目立った活躍をしている子供なんかも出てきます。
なんだか、これを読んで寒々しい気持ちになってしまいました。だって、有名校を卒業するだの、芸術やスポーツの世界で実績を上げるだの、今現在の世間の価値観として「良い暮らし」をするために有益かもしれないけど、これ、20年後にどうなっているかなんて分かりませんよね。 こうした、セレブ家庭やら、セレブ子供の生活を覗くという意味では、芸能人の生活を詮索するみたいで、読み物としては面白いかもしれないけど、本気でこういうものを読んで、そういう教育に憧れるのって、ちょっと私は受けつけないかな・・と拒否反応をおこしてしまいました。
思うに、基本的な日本の学校教育って、戦後から殆ど変わっていないのではないでしょうか。そして、その教育のあり方は、必ずしも今の世界的な流れに追いついていないのだけど、未だにそのままになっているような気がします。でも、今ある雑誌の殆どは、現行の教育システムの中でどう有利に子供を育てるかが議論されているに過ぎないように見えます。でも、もし戦っている教育システムの方向性がイマイチだったり、時代遅れだったら、そこで多少良いポジションにいたからといって、外の世界に出たら太刀打ち出来ないんじゃないか・・、そんなことを思ったりします。
その、「現行の日本の教育システム」、私自身がその中にどっぷりと浸かって育ちましたが、今になって、後悔することも多いのです。 例えば、私の実家のある地域は私が子供の頃から私立中学を受験する子供が多く、私もイヤイヤ受験をして都内の中高一貫の女子高に通いました。そして、そこから大学受験をして、普通に大学に通ったわけですが、今になって思えば、その全てが無駄とは言わないけど、もっと良い勉強の仕方があったのではないかと思うことが非常に多いのです。
例えば、大学受験では文科系だったので、世界史を選択しましたが、今でも、1757年が プラッシーの戦いであること、1871年がビスマルク憲法制定の年だというのを覚えています。なんで覚えているかというと、「コナゴナプラッシーの瓶(1757)」とか、「鼻息荒いビスマルク(1871)」とか語呂合わせで記憶していただけなんですよね。でも、結局今、その2つの出来事が現在にどのように繋がっているのか、どういう意味合いを持つのかということを全く説明が出来ません。でも、大学はこんなんでも記憶力がそれほど悪くなくて、要領が良ければ受かっちゃうんです。
でも、本当に必要なのは、年号ではなくて、今起きていることと歴史をどのように繋ぎ合わせられるかということ。例えば、アメリカ大統領予備選で何が起きるのか、アフガニスタン・イラク・イランでなにが起きているのか、そしてこれらの現象関係する歴史的背景や各国の文化、民族のあり方は何なのかが説明できなければ、知識は生きてこないんですよね。でも、大学受験のテスト問題でそういうことは問われません。そして、大学でもある程度の成績をとって卒業だけしてしまえばいいという考えでいる限り、こうした考えを改めなくても十分卒業できてしまうんです。
結局、私が日本の大学を卒業するまでに身に着けたものは、「与えられた題材をいかに多く記憶し、良い点を効率的に取るか。」という技術だけだったような気がします。数学も苦手ながら国立大学受験のために勉強しましたが、とにかく公式を覚えて問題のパターンを繰り返すということを続けていました。 そこにあるのは、記憶力と要領の良さだけだったような気がします。
でも、そうした考えが大きく変わったのは、20代の中盤でアメリカの大学の大学院に行った時のことでした。日本の大学では政治学、アメリカでは政策学を専攻したのですが(それなのに、こんな素人ブログを書いていてスミマセン)もう、目からウロコが落ちる毎日。基本となるテキストは勿論あるのですが、どんどん自分で情報をとって、自分で思考し、その結果をレポートなりクラス内の発表なりで発表し続けていくのです。 ベースとなる情報へのアクセスに自信が無い場合は博士課程の学生から、適宜必要なサポートも受けられます。日本の大学の先生からも「それは日本でも同じだ」と反論が出てきそうですが、少なくとも学生の側からしてみれば、授業のスピード感も全然違うし、思考+発表のトレーニングのメソッドがきちんとしていて、鍛え上げられる感があるんですよね。そして、こうした授業のやり方は大学院に限ったことではなくて、4年制の学士過程でもガンガン行われます。
勿論、基本的な理論の部分は、自分の考え方もくそも無いので、ドリル型のトレーニングを受けますが、それもかなりプレッシャーがある中で短期間で習得することが求められ、早い段階で、自分で思考する次のステージに移らなければなりません。例えば、私はちょっと背伸びして経済学では博士課程の経済理論の授業を受けましたが、20代の学生が毎週宿題をこなし、頻繁に行われるテストで、徹底的に基本を叩き込まれます。(ちなみに、私はこの授業で始めて数学を面白いと思いました。授業のごく始めの部分で2次元以上の関数を解かされるのですが、微分積分と、ベクトルと、数列がすべて繋がっていたなんて知らなかったし、いろいろな経済事象が数式で説明されていく様子は感動的ですらありました。)
なんだか、こうしたアメリカの大学の授業を受けると、日本の教育だけを真に受けてそこだけでそこそこ上手くやっても、到底国際社会の中では打ち勝つことが出来ないんじゃないかな・・と実感するのです。
何が決定的に違うかというと、日本の場合、はじめに与える情報を固定化してしまうんですよね。だから、高校生だったら教科書以外は読まないのが一番効率的だし、大学受験だったら、過去問題のパターンに沿って勉強すればいい、大学生だったら、先生に薦められた課題図書だけを読んで、そこから出される問題に正解すれば良いんです。でも、実際の世の中はそんなに単純ではないですよね。特に今は情報だらけで、内容は有象無象なのだから、その中で自分に必要な情報を咀嚼して、取捨選択し、自分なりの考え方を持つことが必須です。でも、そういう部分が日本にいると全然鍛えられない感じがします。例えが正しいか分かりませんが、あるボタンを押せば、想定された答えしか返ってこないようなゲームに強くなるだけで、そのゲームの世界の外になると応用が利かないような「浅さ」を感じるんですよね。
なので、私が怖いと思うのは、そういった「与えられた情報をいつでも正とし、それに疑問を持たず、効率的に問題の正答(ゲーム)をこなす」能力だけを突出させるような、受験システムに多くの人が躍起になってしまう状況です。これ、冷静に考えると完全に「思考ストップ」の状態です。つまり、そもそも与えられた情報が正しいのかどうか判断するというプロセス、そして、自分はどう思うのかと意見を持ち、それを表現する、という一番大事な思考のプロセスが完全に抜けてしまっているのです。もっと危機感を感じても良いのではないのでしょうか?
結局、与えられたものをそのまま飲み込むだけのような教育を受け続けるから、今の社会に対する問題意識も低いし、社会を変えられるとも思わない。テレビや新聞を読んで誰かの意見を聞けばそのまま「そうかな・・」と思ってしまう。 なんだか、いまの日本の無気力感って、実は長年に渡るフォアグラ教育の結果じゃないかとすら思ってしまいます。世の中だって、今後数十年のうちにどうなるかなんて、全く保障はないのに、良い大学を出て、一般的に一流と思われるキャリアを目指せば、自分だけは食べていける、どうにかなると思ってるような気がします。つまり、この世の中の価値観がずっと続くと考えを固定しているし、自分のことしか考えていないということですよね。
なんだか、今回「食」の話からは程遠い話にしてしまいましたが、最近思うんです。結局、行き詰っている食(農業)の問題を解決するためには、まずは皆が真面目に「思考」しなければならないんではないかと。食育といって、子供を畑に連れて行くのも、勿論重要な事なのですが、それと同様、若しくはそれ以上に親も含めて、皆が毎日の出来事にもっとセンシティブになり、「なぜこうなんだろう」とか「自分だったらどうするだろう」と考え、それを具体的な行動に繋げることが重要な気がします。そして、一人一人が出来る行動はささやかかもしれないけれど、そうした行動をとる人間が沢山になってくれば、意外とそれは大きな力になるのではないかと、そんな風に思っています。
なーんて、偉そうな事を書いてしまってすみません。でも、なんだか出産を前にしているせいか、自分の子供だったらどうしたら良いのかなー、なんてこともついつい想像してしまう今日この頃だったりするのでした。 こんなこと書いておいて、数年後にお受験ママになっていたら笑えますね。
ではでは。
東京湾の魚
おとといの日曜日に神奈川県の三浦漁港の朝市に行ってきました。三浦に朝市はいくつかあるのですが、その中でも大きめの市で、開催時間は朝5時半から8時まで。早起きが苦手な私としては少々つらかったのですが、5時に起きて神奈川方面に車を走らせると、きれいな朝焼けから始まって、途中の三崎の海岸で水平線にうかぶ朝日もしっかり見ることができました。特に日曜日は天気が良く、冬のクリアな空に昇る朝日は最高でした。もう冬至に近いこともあって、5時起きでもこうした空が拝めるのもラッキーな気分です。
市場は、魚が半分、野菜が半分といったところです。魚については、マグロなども売っていますが、お勧めは近くで朝採れたばかりの魚。本当にピカピカで、しかも驚くほど安いんです。今回は、今朝釣ったばかりなので、生で食べてもOKというサバと、オコゼ、そして三浦のものではないですが、岩手の殻つきの牡蠣を買いました。値段は、サバが一匹200円、オコゼが一匹300円、牡蠣は10個で800円でした。野菜もついでに購入。明日葉、たまねぎ、カリフラワー、きゅうり等。
自宅に帰ってから、サバはシメサバ、オコゼはお店の人には鍋を薦められましたが、母に聞いたら唐揚げが美味しいというので、唐揚げにしました。牡蠣は主人が勝手に殻を開けて食べてしまいました。オコゼは美味しかったですね~。塩をふって片栗粉をつけて揚げるだけなのですが、身がしっかりしていて味が濃いので、油っぽさが無く濃厚な味になります。牡蠣も身が大きくすごく美味しかったみたいです。(私も食べたかった・・)ただサバは、小ぶりだったし、生でもOKというので、塩をふる量と時間を短くしてみたら失敗・・・。なんだか締まりの無い味になってしまいました。せっかくだったのにバカなことしました。。サバは母にもあげたので、どうしたか聞いたところ、意外と塩が入っていかないので長めに塩につけておいた、との事。やっぱり主婦歴が長いと経験値が違いますね。
さて、東京湾というと、どうしても工場や生活排水がガンガン流れ、ゴミの埋め立てが行われている・・というイメージがあるのですが、もともと遠浅で干潟が多く、日本屈指の漁場だったそうです。しかし、1955年代以降における首都圏への人口の集中や臨海部の開発などによって東京湾への流入負荷が増大し、水質は急速に悪化。ただ、現在は国や自治体の水質汚染防止のための施策が効果を出してきているとのことで、だいぶ状況は改善されてきたそうです。
私は見ていないのですが、今年の春にはNHKのハイビジョン特集で、『不思議の海 東京湾 ~大都会と自然がつくる世界~』という番組をやっていたそうで、東京湾の水面下では驚くほど多くの魚たちがいることが紹介されていたそうです。内湾の岸近く、1メートル先も見通せない濁り深い水の中でもじっと目をこらすとメバルやカレイの稚魚を見ることができるし、「海ほたる」の下には豊かなワカメの林があって、ボラやスズキが集まるそうです。また冬の東京湾はスズキや、アイナメの産卵があるそうです。
そんな東京湾で採れた魚、評価は中々高いそうです。一時期は汚染の影響で、採れる場所によってはまずいとの評価もあったそうですが、少しネットで調べてみたところ、今はかなり改善されているという内容のものがありました。私自身、野菜でも良く分からないのに、魚のことになると全くお手上げですが、東京周辺で採れたばかりというアジやスズキ、マダイ、サバ(同じく神奈川県松輪地域のサバは本当に美味しい!)等々を頂くと、美味しいものが多いと思います。この三崎の朝市で買う魚もかなりの確率でヒットします。安全性については、やっぱり不安とか、変な養殖モノを食べるよりはよっぽど良いとか色々意見がありますが、美味しいものはやっぱりいいので、楽しんでいます。
そして、東京湾の環境といえば、最近船橋市漁協組合の代表理事組合長をされている大野一敏さんという方の話を聞きました。この方は、300年続く船橋浦の猟師「太平」の長男として生まれ(お父様は内湾一の魚とりの異名を持った方だそう)、ずっと東京湾を見続けてきた人です。
東京湾は、本来水産資源が豊富で、漁業としても大変優れているのに、現在コンクリートに囲まれていないのは、三番瀬と呼ばれる船橋漁港も含まれたエリアしかないそうです。三番瀬は、東京湾の最深部に位置し、市川市~船橋市の先に広がる約1200ヘクタールの干潟です。ちなみに干潟は、潮のひいたときに現れる、砂や泥がたまる場所のことで、潮干狩りでおなじみのアサリやハゼ、カニやゴカイ、その他様々な微生物が住んでいます。そして、海の水質汚染の原因となる窒素やリンなどの有機物を分解し、酸素を発生し、海をきれいにする巨大な浄化能力があると言われています。更に、大きな生物が入ってこない浅い海なのでたくさんの稚魚達が安心して暮らせる場所でもあり、そこから「海のゆりかご」とも呼ばれているそうです。
しかし、高度成長期にこうした環境が急速に失われていき、大きな危機感を持った大野さんは、埋め立て計画から三番瀬を守るため、様々な活動をされます。特に、開発を進める政府に一人で立ち向かってもしょうがないと、湾の環境保全に関する前例が世界のどこかにないかと調べ、サンフランシスコの湾の保全計画に目をつけ、現地に渡航、文献を集め、和訳して1984年に自費出版したそうですが、その先見性と行動力たるや、本当にすごいですね。こうして出版されたのが「湾計画」という本で、この本が大きな反響を呼ぶことになります。
その「湾計画」こと「サンフランシスコ湾計画(San Francisco Bay Plan)」ですが、なんと1965年に既に「サンフランシスコ湾はかけがえの無い天然資源である」と定義し、50年という長期プランを作っているのだそうです。そうして、そうした共通認識の下に法律がつくられ、プランが設定されていく・・。結果、サンフランシスコ国際空港の大規模拡張工事の計画も撤回され、湾周辺地域の大規模商用開発事業地域の殆ど全てが湿地再生のための用地となるなど、今もその活動は続いているとのこと。
一方、これが日本だと、例えば東京湾では千葉県、東京都、神奈川県という三つの海域に分かれ、また、海上保安庁、環境省、農林水産省、国土交通省、通産省の各省庁がそれぞれの利害に基づいて縦割りの行政を行うため、一貫した保全計画が取れない状況だそうです。また、50年計画などという長期的発想はなく、せいぜい5カ年計画とかそんなものだそうです。
更に大野さんの話は、東京湾だけではなく、日本の水産資源の全体にまで及びましたが、日本は1970年代の200海里問題の時に自国の主張ばかり行い、その一方で海外で略奪的な漁業を続け、世界の遠洋漁業の世界でつまはじきにされる結果となったそうです。その一方で、沿岸地域でどんどん埋め立てなどの開発を行ってしまったため、沿岸漁業も急速に衰退。日本は周りが海に囲まれた島国なのに、水産自給率は60%以下。これから世界的に食糧不足が避けられない状況で各国食料資源の確保に注力しているのに、認識があまりに低く、「知恵が無い」と嘆いていらっしゃいました。
そんな大野さんの理想は、東京でもサンフランシスコのベイエリアのように美しく、きれいな海を眺めながら、湾で取れた新鮮な魚介をおしゃれなレストランなどで楽しむ空間を実現すること。ご自身も「猟師」から一般的に想像する風貌ではなく、きれいな白髪(もう70歳近くだそうです)に日焼けをしたガッチリとした体格、白いTシャツを着て、どちらかというとヨットマンのような感じ。サンフランシスコのカフェにそのまま馴染んでしまいそうなカッコイイ方です。大野さん曰く、ガソリン使って車で遠出して田舎に行くのはもうダサい、地元の環境保全を意識し、日常に近いところでローコストでセンスの良い生活を送るべきとのこと。本当にそんな生活が東京で出来たら最高ですよね。
丁度、去年の秋には私もサンフランシスコに行って、ベイエリアで地場の食材を売っているFerry Buildingを訪れたので、その時の写真を掲載しますね。
確かに改めてこの写真を見てみると、とってもきれい。 東京はサンフランシスコよりだんぜん大きいので、同じには語れないかもしれないけど、こうした環境を目指して、実際に活動をされている方が存在するというのは本当に心強いものです。そして、言われてみれば、エネルギーを使いまくり、ゴミを沢山出しながらも、その認識が低く、自分の住んでいるところの環境が悪ければどこかに旅行に行けば良いという考え方は確かにセンスがないといわれても仕方が無いですね。ふぅ・・。最後はやっぱり反省してしまうのでした。

