2006年9月9日、16時52分、この世に小さな小さな命が誕生しました。
人生のこの瞬間をいつまでも心にとめておきたい、そんな思いで妊娠から出産までの記録をこのブログに残したいと思います。
本当に本当に私的な妊娠と出産記録、なのでなんの参考にもなりませんが・・・。
ただお時間がある時ふとのぞいてもらって、暇つぶしに私の人生の一こまを一緒に体験していただければ幸いです。
<妊娠できない?!>
(いきなりシビアな話なんです。)
「子供を産む」なんてずっと先、ではなくても、仕事もあるし30歳あたりに1人目ができればいいなぁなんて漠然と考えていました。夫婦だけの生活も安定しているし楽しかったし。
何より、いつでも子供はできるから、まず先に仕事とかやれることをやっておこうみたいな感じでした。しかし夫婦ともにそんな感じで結婚生活をおくって3年半がたった2005年の秋、その考えは大きく揺らいだのです。
「そうですね、これは不妊症の一種と考えていいです。」
お医者様に言われた言葉に、初めて時が止まる瞬間を味わったような気がしました。
何も考えられず、心臓の音だけが聞こえる。血の気がひくっていうのはこういうことかっていう感じも味わいました。病名は「多膿疱性卵巣」
秋の部署異動が、精神的なストレスになり体調が崩れ、病院にいって診断されました。頭が混乱するなかお医者の説明を聞くと、ストレスや環境変化が原因で、卵子がうまく形成されない病気という感じでした。
ショックだったけれど、なんとか旦那さんに説明しました。涙止まらなかった。彼は冷静にそして自分が協力できることはなんでもするといって話を聞いてくれて、それは唯一慰めとなり、私の混乱を静めてくれました。
それから、必死で情報を集めました。そこで世の中には不妊症と呼ばれる病気が多くあること、そしてその克服には時間もお金の多くかかること、そして思っていた以上に不妊症に悩み克服しようとしている女性や夫婦が大勢いることを知ったのです。
「子供は授かりもの」というけれど・・・。まさしくその通りだと思った。
「偶然できちゃった」なんて、絶対言ってはいけない言葉ではないかと思った。
「人間の奇跡のメカニズムでできる、神聖な現象」妊娠とはそういうこと。
2005年の冬、今後の治療方法などをお医者様と話しながら、私はなんとか前向きになろうと必死になっていました。
人生のこの瞬間をいつまでも心にとめておきたい、そんな思いで妊娠から出産までの記録をこのブログに残したいと思います。
本当に本当に私的な妊娠と出産記録、なのでなんの参考にもなりませんが・・・。
ただお時間がある時ふとのぞいてもらって、暇つぶしに私の人生の一こまを一緒に体験していただければ幸いです。
<妊娠できない?!>
(いきなりシビアな話なんです。)
「子供を産む」なんてずっと先、ではなくても、仕事もあるし30歳あたりに1人目ができればいいなぁなんて漠然と考えていました。夫婦だけの生活も安定しているし楽しかったし。
何より、いつでも子供はできるから、まず先に仕事とかやれることをやっておこうみたいな感じでした。しかし夫婦ともにそんな感じで結婚生活をおくって3年半がたった2005年の秋、その考えは大きく揺らいだのです。
「そうですね、これは不妊症の一種と考えていいです。」
お医者様に言われた言葉に、初めて時が止まる瞬間を味わったような気がしました。
何も考えられず、心臓の音だけが聞こえる。血の気がひくっていうのはこういうことかっていう感じも味わいました。病名は「多膿疱性卵巣」
秋の部署異動が、精神的なストレスになり体調が崩れ、病院にいって診断されました。頭が混乱するなかお医者の説明を聞くと、ストレスや環境変化が原因で、卵子がうまく形成されない病気という感じでした。
ショックだったけれど、なんとか旦那さんに説明しました。涙止まらなかった。彼は冷静にそして自分が協力できることはなんでもするといって話を聞いてくれて、それは唯一慰めとなり、私の混乱を静めてくれました。
それから、必死で情報を集めました。そこで世の中には不妊症と呼ばれる病気が多くあること、そしてその克服には時間もお金の多くかかること、そして思っていた以上に不妊症に悩み克服しようとしている女性や夫婦が大勢いることを知ったのです。
「子供は授かりもの」というけれど・・・。まさしくその通りだと思った。
「偶然できちゃった」なんて、絶対言ってはいけない言葉ではないかと思った。
「人間の奇跡のメカニズムでできる、神聖な現象」妊娠とはそういうこと。
2005年の冬、今後の治療方法などをお医者様と話しながら、私はなんとか前向きになろうと必死になっていました。