久しぶりにフランスの自転車競技雑誌ミロワール・デュ・シクリスム誌で、昔のレースシーンにタイムトリップしてみようと思います。今回は、今からちょうど40年前、1984年の欧州レース界を見てみましょう。
この時代は、フランスのスーパースター ベルナール・イノーの全盛期でしたが、そんな中で、自転車界に新しい変化が起きていました。
この年のレース界を総括したイヤーブックには、『突然変異体たちの年』というサブタイトルがついていて、それまでの概念を覆す新しいものが現れたことを物語っています。
そんな1984年を象徴するトピックは、フランチェスコ・モゼールによるアワーレコードの新記録樹立でした。
この年の1月、1時間に何キロ走れるかを競うアワーレコードに挑戦したモゼールは、不滅と思われていたエディ・メルクスの記録49.431Kmを12年ぶりに更新する50.808Kmを記録。さらにその4日後には、その記録を更新する51.151Kmという驚異的な記録を樹立しました。(その後のルール変更で、この記録は非公式記録となっています。)
この出来事は自転車競技界に大きな衝撃を与えましたが、さらに大きな衝撃を与えたのは、彼が乗っていた自転車です。
スポークのないディスクホイールで、前輪が小さく、牛の角のように上に突き出したブルホーンハンドルを装着した自転車は、当時の常識からするとあまりにも突飛なスタイルで、ファニーバイク(変な自転車)と呼ばれました。
しかし、モゼールは事前に風洞実験を繰り返し、エアロダイナミクス(空気力学)的に最適なのがこの形状のバイクであることを見出した上で、それをアワーレコードで証明してみせたのです。
これを機に、自転車界では大胆なエアロ化が大きなトレンドとなり、さまざまな試行錯誤を経て、40年後の現在のロードバイクへとつながっていきます。
もし、モゼールの挑戦がなかったら、今日のロードバイク、特にTTバイクはもっとオーソドックスなスタイルだったかもしれません。そういった意味で、1984年は自転車史上特筆すべき年だと言えると思います。
勢いに乗るモゼールは、この年のジロ・デ・イタリアでも、最終ステージの個人TTでファニーバイクを使用し、ローラン・フィニョンを逆転して、初優勝しました。
さて、1984年のもうひとつのトピックは、ベルナール・イノーの新チーム移籍です。
前年のツールでフィニョンが優勝したことで、ルノー・エルフ・ジタンチームはフィニョンをエースとする体制になり、イノーはルノー・エルフ・ジタンを出てラヴィクレールという新チームのエースとなりました。
ラヴィクレールのジャージ(上の写真で一番左の列の中央)は、モンドリアン・デザインがすごく斬新で、かっこよかったのが印象に残っています。
この年のツールではフィニョンが優勝し、二連覇を果たします。前年は欠場したイノーの代役としての優勝でしたが、この年は王者の風格を示す堂々の走りで圧勝し、その実力を証明しました。
フィニョンはブレーキアウターをハンドルの上に出さずに、ハンドルに沿わせてバーテープで巻いていますね。その後、エアロ重視の風潮の中で、このスタイルを真似る選手が増えていき、現在ではこのやり方がスタンダードになっています。
ルックのビンディングペダルが登場するのは翌年からで、イノーもこの時はまだトークリップを使っています。
パリ・シャンゼリゼの表彰台。
マイヨジョーヌはフィニョン、イノーは総合2位、ツール初出場のグレッグ・レモンが総合3位に入り、マイヨブランを獲得しました。この三人はその後、ツール史上に残る数々のドラマを繰り広げていくことになります。
また、この年からツール・ド・フランス・ファム(女子の部)が始まりました。しかし、やがて消滅してしまい、つい最近また復活したのはご存知の通りです。こういった面でも時代を先取りしていたと言えるでしょう。
ところで、この年、ミロワール誌になんと日本の競輪の特集記事が2回掲載されています。世界選手権で8連覇中だった中野浩一は『サムライ魂』を持った選手として紹介され、本場フランスでも注目度が高かったことがわかります。ただ、浩一のスペルがKOISHIになっているところが、ちょっと残念ですね。
最後に、広告を3つご紹介します。
シマノ600EXの広告。600シリーズはデュラエースに次ぐセカンドグレードですね。この時代にはシマノの快進撃が始まっていて、やがてカンパニョーロの牙城を崩していくことになります。
裏表紙の広告はサンプレです。
この時代は、こういったフランスらしいランドナーやスポルティーフの文化も健在だったんですね。今見ると、ちょっと感動します。
一方、こちらはヴィチューのカーボンフレームの広告です。
ヴィチューはアルミフレームで時代の先端を行っていましたが、当時、カーボンはまだ未来の新素材という段階で、このフレームはかなり時代の先を行く意欲的製品と言えます。
これらの記事や広告を今日的な視点で見てみると、1984年という年は、自転車界における時代の変換点、ちょっとオーバーに言うと、古典的な自転車から現代の自転車への変化が始まった年ということができるのではないかと感じます。
また機会があれば、違う年にタイムトリップしてみたいと思います。