大学生の頃、

 

修行みたいな生活をしていたことがありました。(え、、)

 

 

実際に師匠がいて一緒に生活し、

 

見えない世界のことを叩き込まれたのです。

 

いろんな占術を使ったり、絵を使ったり、宗教のことも耳学や本で浴び続けました。

 

 

 

私の大学生活は青春とは程遠いものでした。

 

周りが楽しく人間関係を作る中で

 

私は見えないものを見るような修行をしていたので

 

悔しさと苦しさで周りと距離をとったこともありました。

 

 

 

それは突然訪れた出来事で(もちろんきっかけはあったのですが)

 

当時の私にとっては嫌でしょうがなかったし、

 

なんで私が!?っていっつも思っていました。

 

(また詳しく書く時がきたら書きます)

 

 

 

でも同時に

 

何か私の奥の奥がそれをしなさい、と命じているような感じもしていました。

 

そしてそれが大きな悦びであり自分に必要なのだと直感的に感じ取っていました。

 

私には悟りたいという願望が昔からありました。

 

高校生の時、自分がどうしようもない状態の時があり、その時からです。

 

だって悟ったら自由じゃん。って。

 

だからこそ、その修行生活が突然訪れた時、やっぱりやることになるんだ、、

 

と言う謎の納得もあったのです。


(その修行中に私の先祖が禅僧だったことが判明。やはり縁のある世界だったのですね。)

 

 

 

 

 

よく師匠に怒られたことがあります。

 

(今は師匠のところは無事に卒業し、今はたまに報告がてらお茶をするような仲です)

 

 

 

 

当時の私は、人生は1本の線で繋がっていて全て必然で全部既に決まってるから、

 

今私が起こしているアクションも、

 

今朝私がちらっと右を向いてふと鳥が目に入ったりとかも、、

 

全部の行動や生きてきた状況、体の形などが関係していて、

 

とにかく全て必然なのだと感じていました。

 

だからとにかく安心して生きればいいのだと

 

どこか確信めいたものを持っていました。

 

 

でもそれを言うとよくピシャッと怒られた記憶があります。

 

1本の線ではなく可能性は無限大なんだと。

 

だからこその鍛錬なのだと。

 

 

でも怒られても腑に落ちない。

 

 

だって仏や大いなる存在って最強(言い方・・)でしょ!?

 

じゃあ私の行動も選択も全て見透かしてるはず、ってことはどうあがいたってなるようにしかならないでしょ。

 

と思ってました。(←怖くて言えなかった)

 

 

師匠には私の言おうとしてることはうまく伝わらなかったかも知れません。

 

その確信は表現の仕方は変わりましたが、根本は今も変わっていません。

 

でもどっちもわかります。

 

 

無限の選択肢であることも1つの線で繋がってることも同じことを言ってる。

 

どちらの視点も大事な気がする。

 

言葉でどっちかって決めようとするから苦しくなる。

 

(だから怒らなくていいのにどうしてそこを汲み取ってくれないのさと思っていました笑)

 

 

無限にある選択肢の中で自分が選ぶのは1つ。

 

それが自分のストーリーになっていくし

 

そのストーリーでしかないのだから確かにすでに決まっていたストーリーだよね。

 

 

だから人は好きなようにしか生きていないし、

 

勝手に宇宙はバランスを保っている。

 

完璧なものがあるとすればそれは宇宙で、

 

私たちはその一部。

 

つまりは私たちも過不足なく完璧な存在なのです。

 

(完璧、という言葉があってるのかは分かりませんが、陰陽含めたバランスを保っているという意味です。)

 

 

宇宙がこの人間の体だとすれば、私たちは細胞のひとつひとつくらいのものです。

 

大きな意識と大きな呼吸や生命の営みの中の一部だから

 

そのバランスによって私たちの中にエネルギーが流れていく。

 

 

そんな大きな視点でものを見ていました。

 

 

もちろんその経験と視点は私にとってはとても大切なことでした。


 

でも、その確信はあるのに悩みが出てきてしまったのが次のステージでした。

 

それも含めて選択だから悩みたくて悩んでるんだ

 

というのもわかっていましたが、

 

やはり感情のコントロールが効かない。

 

たくさん迷走もしました。

 

師匠はよく、山は登ったら降りなきゃいけないとよく言っていました。

 

多分そういうことだと思います。

 

登りっぱなしではいられないのです。

 

登っては降り、登っては降りというのを繰り返して鍛錬されていくのだと

 

師匠のところを卒業して9年。

 

ちょうど九星が一周してやっと身に沁みる日々です。

 

 

 

 

 

 

 

 

その頃師匠宅にあった諸星大次郎の「栞と紙魚子」。

 

この漫画が私にとっての救いとなっていました。。(どんな大学時代や)
 

見えない世界に巻き込まれても自分の思った通りに発言したり

 

拒否できるんだという自由をこの物語に感じていたのです。

 

ケーキを買って食べるというシーンにすら救いを感じていました。

 

それくらい、私にとったら新しい言語を一から学んでいる大変さと窮屈さがありました。

 

 

 

 

 

今回は自分語りが過ぎました。

 

でも書いてみたら少し整理された気がします。

 

 

実はこの9年は上にも書いた通り、「守破離」の「破」の時期だった気がしています。

 

そして色々とあり今年からは「離」の時期がやってきたような感があったのです。

 

 

なので書いてみてよかったです。

 

これだけ読んでると訳わからないかと思いますが読んでくださりありがとうございます。

 

 

そして師匠とたまにはお茶でもしようと思います。

 

 

 

〜 〜 〜 〜

 

守破離(しゅはり)は、日本茶道武道などの芸道芸術における師弟関係あり方の一つであり、それらの修業における過程を示したもの。

日本において芸事の文化が発展、進化してきた創造的な過程のベースとなっている思想で、そのプロセスを「守」「破」「離」の3段階で表している。

 

もとは千利休の訓をまとめた『利休道歌』にある、「規矩作法 り尽くしてるともるるとても本を忘るな」を引用したものとされている。

修業に際して、まずは師匠から教わったを徹底的に「守る」ところから修業が始まる。師匠の教えに従って修業・鍛錬を積みその型を身につけた者は、師匠の型はもちろん他流派の型なども含めそれらと自分とを照らし合わせて研究することにより、自分に合ったより良いと思われる型を模索し試すことで既存の型を「破る」ことができるようになる。さらに鍛錬・修業を重ね、かつて教わった師匠の型と自分自身で見出した型の双方に精通しその上に立脚した個人は、自分自身とそのについてよく理解しているため既存の型に囚われることなく、言わば型から「離れ」て自在となることができる。このようにして新たな流派が生まれるのである。

「本を忘るな」とあるとおり、教えを破り離れたとしても根源の精神を見失ってはならないということが重要であり、基本の型を会得しないままにいきなり個性や独創性を求めるのはいわゆる「形無し」である。無着成恭は「型がある人間が型を破ると『型破り』、型がない人間が型を破ったら『形無し』」と語っており、これは十八代目中村勘三郎の座右の銘「型があるから型破り、型が無ければ形無し」としても知られる。

個人のスキルを表すため、茶道、武道、芸術等、あるいはスポーツや仕事等々において様々な成長のプロセスに用いることが出来、以下のように当てはめることができる。

  • 守:支援のもとに作業を遂行できる(半人前)。 ~ 自律的に作業を遂行できる(1人前)。
  • 破:作業を分析し改善・改良できる(1.5人前)。
  • 離:新たな知識(技術)を開発できる(創造者)。

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』